2010年08月07日

「子どもに食べさせて」と100万円

「子どもに食べさせて」と100万円



「くいだおれの閉店にうろたえる。でも店の中に入ったことはない」「大阪人以外の俳優が大阪人の役をしたときのエセ大阪弁に異様に腹立つ」「名古屋の女がキライ」など、「いわゆる大阪人」のメンタリティや行動を面白おかしく解説。すべての大阪出身者必読の説明書です。

「子どもに食べさせて」ラーメン店に100万円
8月7日7時1分配信 読売新聞

 大阪市住之江区のラーメン店で先月27日、男性客が「これで子どもたちにラーメンを食べさせて」と100万円を置いて立ち去った。

 店は6日まで、1杯650円のラーメン計1540杯を高校生以下の子どもたちに無料で提供。子どもたちは男性客を「100万円おじさん」と呼び、「お礼を言いたい」と似顔絵をもとに探している。

 店は「麺(めん)匠味冨久(みふく)住之江本店」。男性客は午後3時頃にラーメンなどを食べて、料金と一緒に新札の束を置いていったという。30歳代で眼鏡をかけていた。

 店側は拾得物として住之江署に届けたが、翌28日に電話があり、「子どもに食べさせてやって」と念押し。届け出た拾得物は、落とし主が3か月現れない場合以外には拾った人に戻らないが、中川一郎店長(35)は「暗い話題が多い中、良い話。希望に応えたい」と2日から、店の負担で無料サービスを始めた。



「これで子どもたちにラーメンを食べさせて」

と100万円を置いて立ち去ったぁ~てぇ、
ええ話やないけっえ !!
とぉきょうのにんげんにできまっかぁ !!???
よぉ、でけしまへんでぇ~、そんなもん。


しっかし、関西っていうか、大阪のぉ・・・・・・

どくとくの空気でんなぁ~

まあ、あの鬼母も、大阪なんですけど・・・・・・

あっ、四日市でしたか~

えろっ、すんまへん。

>30歳代で眼鏡をかけていた。

タムケンだったりして(笑)。

ほなあほなぁ !!???

しっかし、大阪弁で書くの難しいですね・・・・・・

オールディーズ看板娘さん(笑)。

「子どもに食べさせて」と100万円
  


Posted by 昭和24歳  at 14:34Comments(1)

2010年08月07日

今日は「高崎祭り」です。

今日は「高崎祭り」です。



昭和36年7月18日・・・・・・・

高崎市制60周年記念行事の一環としてのお祭り。

まあ、ちょうど「群馬音楽センター」の落成にも合わせた。

昭和24歳。中学1年生でした。

写真は高砂町、東小学校のところの通りです(東2条通り?)。

で、まだ舗装されてません。っていうか、バラス道をタンクローラーで固めたモノで、

そりゃあ雨が降るとぬかるし、乾くと土ぼこりが。

山車の太鼓の練習は、群馬、現代の名工「卓越技能者受賞」とかを受賞された、

深堀木工所の棟梁のお宅。

まあ、とにかくあの時代子どもはわんさかいましたから・・・・・・・

僕の隣近所だけで同級生が9人、上下ひっくるめたら30人からいましたから、

そりゃあ騒ぎでしたでしょう、当時の子ども会の世話役のオジサンたち。

まあ、もっとも、そんなオジサンたちはみんな軍隊、戦地がえりでしたから・・・・・・・

そりゃあおっかねえなんてえもんじゃありませんでした(笑)。

げん骨飛んできましたからね。それに高砂町は「職人街」でしたから、そうじゃなくたって威勢が良かった。

まあ、どこもそうでしょうけど、その意味では高砂町、新興住宅地、戦前の。

だから多少、街中よりはお上品だったかも知れません。ハイ。

そうだなぁ、でもあの当時っていうか、7月18日じゃあまだ夏休みじゃあなかっただろうし・・・・・・

まあ、「高崎市制60周年」っていうことで、学校休みだったのかなぁ ?

そうそう、当時の高崎市立第二中学っていえば、高崎15連隊の兵舎でした。

で、その隣の、引揚者住宅だった旧兵舎跡地に音楽センターが建設。二中の庭つづきでした。

で、二中の西側には「高崎経済短期大学」が、今の高崎経済大学ですけど。

たしか農大二校も石原の校舎が完成するまでわずかだったけどそのあとそこに(?)。

まあ、和田橋もなかったわけだし、市役所、消防署、警察署、保健所、日本専売公社とか・・・・・・

そして、電電公社、裁判所。検察庁はまだお濠の外側でしたね。

で、二中と三中は背中合わせのようにしてあって、三中の入り口のまん前には税務署が。

で、「高崎祭り」っていったらこのブログです↓

ぶら捨蚕 さんちの、高崎祭り①(7歳の義父)と・・・・・・
高崎祭り②・義父の実父の名前が・・・でしょうか。

なんか、義父の実父のとかって、

まあ、戦前の「高崎のお祭り」に映っちゃってるわけです、高崎市広報の表紙に。

ってえことは、江戸時代から、高崎の町人文化の中におられたのではと・・・・・・

まあ、限りなく想像は膨らんじゃうわけです。

で、その、義父の実父のその実父って、ちょん髷結ってたわけですよね。

まあ、僕の実父の実父の実父なんて碓井郡豊岡村の百姓でしたから、でも、ちょん髷?(笑)。

まっ、カミサンの方は多野郡南八幡村字阿久津とかですから、やっぱりお百姓さんでした。

でも、ぶら捨蚕 さんちの義父のお宅ってなんかとんでもないお宝が隠匿されてるみたいですね・・・・・・

まさか、徳川忠長、駿河大納言公のフンドシとか ???

さて、肝心の花火大会ですけど、今夜はどこで見ようかな !!???

例年のもてなし広場はアウトでしょ・・・・・・

なんかでっかいモン作っちゃってるし、それとも高松中の校庭でも開放すんでしょうか。

まあ、由緒ある皆さんには特別観覧席あるんでしょうけどね。

さて、庶民はどうしましょうか。カミサンが五月蠅いんです、場所取りして来いって !!

今日は「高崎祭り」です。

  


Posted by 昭和24歳  at 10:13Comments(1)

2010年08月07日

ネグレクトの地獄絵(苫小牧)

ネグレクトの地獄絵(苫小牧)



主文
被告人を懲役15年に処する。
未決勾留日数中220日をその刑に算入する。





生ゴミ、生米くらって餓
死免れた! 鬼母に遺棄された5歳の「地獄絵」

2007/12/18 19:58 J-CASTニュース

幼い長男(5)と三男(当時1)を自宅に1か月以上置き去りにし、三男を死亡させて死体を遺棄したとして、母親に懲役15年の判決が下された。生き延びた長男は生の米や生ゴミ、冷蔵庫にあったマヨネーズで飢えを凌いでいた。2人とも「死んでいる」と思って自宅に帰った母親に、長男はそれでも、「ママ遅いよ」と駆け寄った。

「ママ、遅いよ」と駆け寄る長男の哀れ
苫小牧市の自宅に幼い長男と三男を1か月以上放置し、三男を死亡させて遺体を遺棄したとして、殺人と死体遺棄、保護責任者遺棄の罪に問われた無職・山崎愛美被告(21)の判決公判(杉浦正樹裁判長)が2007年12月18日、札幌地裁室蘭支部でひらかれ、懲役15年(求刑懲役20年)が言い渡された。裁判長が「幼い兄弟の飢えと苦痛は想像を絶する。計画的で非情で残酷な犯行」とまで形容した、「置き去り」のおぞましい実情とはどんなものだったのか。弁護側は「(被告の)不幸な生い立ちや、経済的な困窮」を挙げて情状酌量を求めていたが、判決や各紙の報道などから見える事件の実態はまさしく「地獄絵図」である。

事件は山崎被告が06年10月30日、自宅に鍵をかけた時から始まる。山崎被告は長男と三男の存在を疎ましく思い、部屋に放置して餓死させることを考えた。山崎被告はチャーハンを食べさせたあと、12月初旬まで交際相手の家に行ったままで2人を放置。1か月間以上あとに再び自宅の鍵を開けるまで、2人の幼子は飢えのなかで苦しんでいた。幼い三男は餓死したが、長男は生の米や生ゴミ、冷蔵庫にあったマヨネーズを食べて命をつないでいたという。

山崎被告は裁判のなかで、長男が生きていることに驚き、長男は「ママ、遅いよ」と駆け寄ってきたと証言している。その後、山崎被告は三男の遺体を交際相手の家にある物置に遺棄した。自分を放置したにも係らず「ママ、遅いよ」と駆け寄る長男の姿はなんとも哀れだ。しかし、生きていた長男にとっては、弟の遺体を横に生活した体験は地獄ともいえる。


つづく↓
「(死んだ三男の)口の中に虫いっぱい入ってた」


2006年の12月事件である。

5歳、長男と1歳、三男を一ヶ月間「殺意」をもって放置し・・・・・・

結果、その一ヶ月間に三男、弟は飢えと寒さで死亡。

そしてその長男、5歳は死んでゆく1歳の弟、そして死後腐敗が進み異臭を放ち、

「口の中に虫がいっぱい」

そんな弟をそばに置きながら・・・・・・・

生ゴミ、生米、ケチャップ、マヨネーズ等で飢えと寒さをしのぎ生き延びていた。

そしてその母親というべきか殺人鬼というべきか、山崎愛美囚は、

その二人の「わが子の死」を確かめるために自宅に戻る。

「 山崎被告は裁判のなかで、長男が生きていることに驚き」

そんなオゾマシイ母親(?)の心中を疑うこともなく、

それは、安堵したかのように・・・・・・

「ママ、遅いよ」

と駆け寄ったという。

その後、その母親、山崎愛美は腐敗し、口中に虫の湧いている三男の口をガムテープでふさぎ、

段ボールに詰め込んで、当時交際相手であった男の家の物置に遺棄した。

当然、その後その長男、5歳は母親逮捕と同時に保護され、施設で養育されていると言うが・・・・・・

その長男のトラウマは想像を絶する。


おそらく、大阪の今回の事件もその様、地獄絵であったに違いない。

たまたま、苫小牧の事件では長男が5歳であったため何とか生き延びたが・・・・・・

大阪の事件の場合は長女3歳。

しかし、1歳の死にゆく弟をそばにしながらその衰弱する小さな体を、3歳の姉はいたわったであろう。

「大丈夫? 大丈夫?」

と、3歳の姉は、お姉ちゃんらしく、弟の身体をさすったであろう。

まあ、秋田の畠山綾香ちゃんの事件といい・・・・・・・

名古屋の森島勇樹(4)虐待死事件といい、母親の離婚、そして男性関係が発端。

「子どもが邪魔」

祖父母世代の僕らだが、そんな僕らがその時代にもソレはあっただろう。

そして僕らが被害者であった時代も、僕は知っている。

そして今日、この「飽食の時代」、いや、すでに飽食の時代は終わったのかもしれない。

それは・・・・・・

「飢餓の時代」

愛情に飢え、生活に飢え、経済的に飢え。

そうして、その社会では一番の弱者、幼い子どもが犠牲となる。

全てを防げるとは思えないが、昨日の大阪の事件にしても・・・・・・

社会はソレを警鐘しているにもかかわらず、行政はソレを忌避するかのよう。

ネグレクトの地獄絵(苫小牧)  


Posted by 昭和24歳  at 05:55Comments(7)

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