2010年08月03日

幽霊に年金給付(笑)。

幽霊に年金給付(笑)。



我々の“安心”を奪った年金官僚の大罪暴く年金制度が破綻の危機――掛け金を上げ、受給年齢を引き上げる口実として官僚がついたウソだ。積立金は官僚の高給に化けていた。許されざる罪を白日の下に曝す。




八王子でも「102歳」男性不明=3年前訪問、「いない」と家族8月3日12時32分配信 時事通信

 東京都内で最高齢とされた女性の所在が不明になっている問題で、八王子市でも102歳とされる男性の所在が確認できていないことが3日、同市への取材で分かった。市は家族らから事情を聴き、詳しく調査する方針。
 市によると、男性は息子(故人)の妻と2人暮らしをしていた。100歳となる2007年の8月末、職員がお祝いのため自宅を訪ねたところ、家族に「いない」と言われたという。 



まあ、今朝の「みのもんた」でもこのお話で持ちきりです(笑)。

で、実際問題として100歳以上の超高齢者がこの日本に何人いるかっていうと・・・・・・・

コレです↓

100歳以上、4万人突破 39年連続増、男女とも過去最多
2009/9/11 10:25 徳島新聞

 全国の100歳以上の高齢者が9月15日時点で過去最多の4万399人に上り、初めて4万人を突破したことが11日、「敬老の日」を前にした厚生労働省の調査で分かった。昨年を4123人上回っており、39年連続の増加。男女ともに過去最多で、女性が全体の約86・5%を占めた。


まあ、100歳以上の超高齢者が4万人超っていうんですからスゴイです !!

で、その4万人超の「100歳バンザイ」のお元気なおじいちゃん、おばあちゃんが・・・・・・・

一体全体、この日本列島に何人いるんでしょうか ???

そしたら、足立区の111歳のミイラおじいちゃんとか、杉並区の113歳の行方不明おばあちゃんとか。

そしたら、八王子にも102歳の神隠しおじいちゃんとかなんですけど・・・・・・


まあ、そんな超高齢者が4万人超って、日本の長寿率を大きく押し上げてるわけです。

まっ、100歳超っていうか、90歳超も、80歳超もですけど・・・・・・・

で、そんな超高齢者がホントに健在なのかっていうことが足立区のミイラおじいちゃんで、

大いなる疑問で、話題沸騰っていうか、

「厚生労働省」とか市、区役所、年金機構の「年金行政」に疑問が沸騰です。

まあ、足立区のミイラおじいちゃんときたぁ日には30年間ですから・・・・・・

その間、一度も面会することなく「年金給付」で、その総額は、ひっくるめて5000万円超とか。

いくらなんでも、30年間一度も、っていう話は信じられませんね。

いや、ところがそこがお役所仕事ですから、つまり「仕事」してません(笑)。

で、コレです↓

100歳確認苦慮、家族拒否・住民票移さず施設…
8月3日12時36分配信 読売新聞

 東京都杉並区の都内最高齢とされる113歳の古谷ふささんが所在不明になっている問題で、読売新聞は3日、都内23区に対し、高齢者の確認状況を緊急調査した。

 多くが民生委員による面会などを通じて所在確認を行っているが、家族に面会を断られるなどして確認が難しいケースがあることがわかった。

 都によると、23区内には1月現在、100歳以上の高齢者が約2480人いる・・・・・・・

・・・・・・・・ 品川区は毎年9月、都に100歳以上の高齢者名簿を提出するのに合わせ、面会や電話などで確認している。このほか高齢者に祝いの品を贈る際、民生委員や区職員が自宅を訪れて手渡すが、家族が面会を拒む例などもあり、「全部は確認できていない」(高齢者いきがい課)という。渋谷区の担当者も「敬老金を渡す時などに確認しているが、100歳以上が約80人いて、すべての確認は物理的に無理」としている。



>「・・・・・100歳以上が約80人いて、すべての確認は物理的に無理」

「物理的に無理」って、100歳以上80人にどうして現状確認できないんですか !!???

たったの80人ですよ、たったの・・・・・・

じゃあ、「未確認物体」っていうか、「未確認超高齢者」って何人いるんですか ???

で、「UFOおじいちゃん」、「UFOおばあちゃん」にも年金給付されちゃってるわけでしょ !!???

まあ、面倒くさいことは後回しっていうか、コレって、高齢者福祉だけじゃあありませんね、

あの、大阪のネグレクト鬼畜母親が後を絶ちませんように・・・・・・・

子ども福祉も、面倒くさいですから、死ぬまで放置です。

まあ、コレも、「児童手当」とか、今じゃあ「子ども手当」で毎月二人なら26000円給付されるわけです。

この母親の場合だって、こうなる前に行政の介入があってしかるべきだったのではと。

幽霊に年金給付(笑)。  


Posted by 昭和24歳  at 20:34Comments(3)

2010年08月03日

桜子ちゃん(3)のママは鬼・・・・・

桜子ちゃん(3)のママは鬼・・・










2年前のブログに、我が子への愛…2児死亡の母
7月31日16時56分配信 読売新聞

 大阪市西区のマンションで幼児2人の遺体が見つかった事件で、死体遺棄容疑で逮捕された母親の風俗店従業員・下村早苗容疑者(23)は、離婚前の2007年12月~08年4月、インターネットの自らのブログに、わが子へのあふれる愛情をつづっていた。

 長女の桜子ちゃん(3)が生後7か月だった07年12月。熱中したいことは〈桜子の服を探しに行って、着せ替え人形のようにオシャレすること〉と記した。

 年末には1年間の思い出を書き残した。〈ハタチになって1週間後、待望の娘を出産。だんだん大きくなるおなか、私はひとりじゃないんだと、思わせてくれた小さな命。わが子に対面したときは、言葉にならないほど嬉(うれ)しかった〉

 桜子ちゃんが発疹(はっしん)を出した時には、〈子供が元気ないことほど、心が痛いことはありません〉。回復し、元気にはしゃぐ様子を見ながら、〈可愛(かわい)い娘と毎日をのほほん過ごせることが本当に幸せ〉と、母親らしい喜びをにじませた。



実は、僕のカミサンも19歳で長女を生みました・・・・・・

で、その長女も今年34歳になっちゃったんですけど。

まあ、昭和51年3月25日でした。

予定日は4月15日だったわけですけど、20日も早くでした・・・・・・

で、カミサンのお母さんも心配しちゃって、そりゃあ大変でした。

で、その長女、生まれて1年間は毎日小児科通い。

母乳は全く飲まないし、粉ミルクもほとんど飲みません。

で、夜泣きです。抱っこしてると泣きやむんですけど、ベビーベッドに寝かせると・・・・・・

火がついたように泣きだすんです。

で、抱っこして、家の周りを夜中散歩です。

誕生が真冬でしたし、初めての赤ちゃんですから、それの繰り返し。

で、昭和51年の話ですから、哺乳瓶は授乳ごとに煮沸消毒です。

でも、ミルクほとんど飲みませんから、すこしづつ授乳で、何度も何度も煮沸消毒。

で、終いにはカミサンも泣きだしちゃうわけです・・・・・・

そんなある日、小児科、片岡の「村田小児科」です。先代の村田先生です。

実は僕もその村田小児科にお世話になっていたとか。

もう亡くなっちゃいましたけど、その村田先生が・・・・・・

「じゃあ、チー太郎ちゃんにはボンラクトにしてみようか」

「チー太郎ちゃん」って、女の子、「千春」っていうんですけどルックスはマジ「男の子」でしたから(微妙)。

で、村田先生に勧められるまま「ボンラクト」、つまり豆乳です。

ソレにしたところ、生後3カ月ほどでしたけど、「グイグイ」まるで一気飲みみたいに飲んじゃうわけです。

まあ、夜泣きはつづきましたけど、みるみるうちにぶくぶく太りだして・・・・・・

お誕生のころにはまん丸の超健康優良児(笑)。

「たまにいるんだよね、母乳も粉ミルクも全くダメな赤ちゃん」

そういって、まん丸の「チー太郎」を抱っこしてくれた村田先生・・・・・・

「まあ、ミルク飲まないっていったって、最低必要量は飲んでるんだ・・・・・・
だからお母さんが心配するほどのことはないんだけどね。でも心配だよねぇ」


そういうことらしいんです。

でも、初めての赤ちゃんだからそりゃあもう、心配だし、不安だし・・・・・・

ってなわけで、次女の時は他の心配があったけど、煮沸消毒もいい加減で、

おこっちたモノを口にしても「あっ、そう」っていう感じだったし、泣いても「平気平気」でした(笑)。

で、今現在、その長女が2歳になる長男と6カ月になる次男と格闘しているわけです・・・・・・

っていうか、長女は極めて「おっとり型」ですから、こっちの方が心配になっちゃうわけです。


<大阪2児放置死>「菓子ばかり与えた」 調理、入浴品なく
8月3日15時4分配信 毎日新聞

 大阪市西区のワンルームマンションで幼児2人の遺体が見つかった事件で、大阪府警に死体遺棄容疑で逮捕された母親の下村早苗容疑者(23)が「子ども2人には、お菓子ばかりを与えていた」と供述していることが、捜査関係者への取材でわかった。部屋の台所に調理器具がなく、浴室には石けんやシャンプーもなかった。府警西署捜査本部は、下村容疑者が子どもにまともな食事を与えず、入浴すらさせていなかったとみて、さらに詳しく調べている。


ほんと、なんでこんなことになっちゃったんでしょう・・・・・・

なぜ、どこにも相談できなかったんだろうか ???

それよりこの二人の子どもの父親はどうしてるんだろうか。

実は僕のカミサンの姉も離婚で、二人の赤ちゃんの「シングルマザー」でした。

まあ、その二人の赤ちゃん長女32歳、次女30歳と立派に成長しちゃってますけど・・・・・・

こうなると、その母親「下村早苗容」の問題なんですね。

しかし、この下村早苗容疑者(23)の両親とかどう思ってるんでしょうか ???

そしたらなんと、下村早苗容疑者のお父さんは・・・・・・・・

四日市市の高校教諭で、しかも全国大会十数度出場の強豪ラグビー部の有名監督だって !!

嗚呼ッ、そんなバカなぁ !!!

下村容疑者の父「1年以上、娘にも孫にも会ってない」…大阪2児死体遺棄
8月1日8時9分配信 スポーツ報知

 大阪市西区のマンションから長女・桜子ちゃん(3)、長男・楓ちゃん(1)の遺体が見つかり、母親の風俗店従業員・下村早苗容疑者(23)が死体遺棄容疑で大阪府警に逮捕された事件で、下村容疑者の父親(49)=三重県四日市市=が四日市市にある高校ラグビー強豪校の有名監督だったことが31日、分かった。父親は「娘が離婚してから1年以上、娘にも孫にも会っていなかった」と話している。

 育児放棄して幼い我が子2人を死なせた下村容疑者の父親は、三重県内有数のラグビー強豪校を率いる“有名人”だった。四日市市にある学校ホームページなどによると、ラグビー部は年末年始の全国高校ラグビー大会に15度の出場を誇る名門。同校で保健体育の教員を務める父親は、監督として27年間、指導にあたっている。



いったいどうなってるんだ !!???

父親が教育者で、ラグビーの有名監督で、その娘が風俗嬢で・・・・・・

二人の子どもを育児放棄の果て、殺人容疑者って ???

で、下村早苗容疑者は全くその父親には相談しなかったと新聞報道。

しかしだ、しかしいくら娘が相談しないとはいえその49歳とかの教員の父親、

「1年以上も孫、娘に会ってない」

って、どういうことなのか・・・・・・

っていうか娘が、二人の孫がどういう生活をしているか、気にも留めなかったっていうことなのか。

信じられない。母親のことはニュースにはなかったが・・・・・・

じつは、この下村早苗容疑者もある意味、この父親から「ネグレクト」されて育ってきたのではないだろうか。

家が貧しいからとかという話じゃあない・・・・・・

人間の本質。それは父親でアレ母親でアレ、わが子には本能というものが働く。

いくら、教育者でも、強豪ら具備チームの監督でも、そのもっとも大事な、重要な本能が欠落してては救いようがない。

つまりこの父親の罪も重い、「容疑者」と言っていい、鬼だ・・・・・・


桜子ちゃん(3)のママは鬼・・・・・

  


Posted by 昭和24歳  at 19:00Comments(1)

2010年08月03日

ガン克服の拓郎が桑田にエール

ガン克服の拓郎が桑田にエール



『ヤング・ギター』誌に掲載された、拓郎関係の全記事・資料を収録。第一線を走り続ける吉田拓郎の魅力と原点に迫る!斬新な歌と、圧倒的に面白いステージの語りで、一躍、人気が沸騰した吉田拓郎。「売れるフォーク」に対する軋轢も跳ね返し、歌謡曲との垣根を取り払って日本の音楽シーンを変容させていく。









吉田拓郎、桑田にエール「ゆっくりしろ」
2010.8.3 06:07 産経ニュース

 肺がんを克服したシンガー・ソングライター、吉田拓郎(64)が、2日放送のニッポン放送「オールナイトニッポンGOLD」(月曜後10・0)の番組内で、初期の食道がんを公表したサザンオールスターズの桑田佳祐(54)にエールを送った。

 番組の序盤、一緒にパーソナリティーを務めるTHE ALFEEの坂崎幸之助(56)から「桑田が食道がん。初期だということで」と振られると、桑田に近い関係者と連絡を取り合い、常に病状を聞いていることを告白。「本人が『心配なさらないでください。ありがとうございます』と。まあ年内は休むということで、詳しいことは知らないけど、年内はともかくゆっくりしろということですね」と“拓郎節”で激励した。



まあ、その意味では桑田佳祐さん、現実的には・・・・・・・

のっぴきならない状況にあるわけです。

で、やっぱり、のっぴきならない状況にあったというか、あるというか、

吉田拓郎さんですけど「肺ガン克服」というその体験から・・・・・・

まっ、そういう時代なんですね。

っていうか、あのギョーカイの寵児っていうかカリスマも高齢者です。

っていうか、あとにつづくあの手のミュージシャンいませんね。

皆さんイマイチです。

思えば、桑田佳祐さんもそうですけど・・・・・・

吉田拓郎はもっとすごいですね。

っていうか、その吉田拓郎の楽曲は「スタンダード」になってますから。

つまり、それは、「懐メロ」っていうより、洋楽のジャズ・スタンダード・ナンバーみたいに、

いつの時代になっても、ソレは「古くない」、いつも新鮮。

まあ、吉田拓郎っていえば元祖「デスマス節」で、日本のフォークの「語り節」を完成させました。

まあ、桑田さんは「ジャパニングリッシュ」的な新たな分野を開発したわけです。

まっ、桑田さんの前には「矢沢永吉」がソレっぽかったわけですけど、まあ、桑田さんでしょ、ソレは。


で、その「デスマス節」元祖・・・・・・・

吉田拓郎なんですけど。

1970年(昭和45年)僕が21の時です。若気の至りでしょうか、「群馬経音楽振興会」っていうのを立ち上げちゃったわけです。

で、初めてのコンサートを想い出深い「群馬会館」で、その1970年5月にお披露目コンサートを。

まあ、21歳ですから行動力はありました・・・・・・

で、当時「ヤマハ音楽振興会」っていうのがあって、ヤマハ楽器が主催してるやつです。

その「ヤマハ音楽振興会」にタイアップを申し込んじゃったわけです。

でその「ヤマハ音楽振興会」っていうのが東京銀座7丁目のパールビル7階にあったわけです。

僕が電話で面会を申し込むと、担当の「管弦打担当課長」だった藤田さん・・・・・・・

この21歳の若造の申し出に快く応諾してくれまして、その銀座のパールビルに乗りこんじゃったわけです。

で、課長の藤田さん・・・・・・

「群馬経音楽振興会。よろしい、応援しましょう」

で、ポスターから、チケットから、会場費まで「ヤマハ音楽振興会」が持ちますってぇ話になっちゃって、さらに・・・・・

「ゲストアーチストを出しましょう」

っていう話になっちゃって、まあ、盛り上がっちゃいました。

で、その「ゲストアーチスト」っていうのが、その前年、1969年「ヤマハポプコン(旧LMC)」で、グランプリをとった・・・・・・

「赤い鳥」(竹田の子守唄)

を、「出演させましょう」っていう話です。

で、「赤い鳥」だけじゃあ、淋しいでしょうから・・・・・・

「ポプコン(旧LMC)で、4位だった“吉田拓郎”っていうのをオマケで」

あの、っていうか、今じゃあ「天下の拓郎」が「オマケ」です !!

まあ、「天下の」っていったて、当時はその拓郎さんってアマチュアみたいなもんでしたから(笑)。

「俺っ、広島のカワイでバイトしてるよ・・・・・・」

その、今じゃあ天下の「拓郎」が僕にいうわけです・・・・・・

僕より3歳年上だから、当時24歳で、背のデッカイお兄ちゃんっていう感じでした。

っていうか、主催者が僕でしたから、ボソボソっと敬語でいうんです。

で、「赤い鳥」の方は、全然話をしないっていうか・・・・・・・

「エライところに来ちゃったなぁ」

みたいな感じで、やっぱり僕より3歳上とかのリーダー、関西弁の後藤さん・・・・・・

で、当然、マネージャーとかなんているわけもないわけですからそりゃあ大変だったでしょう。

まあ、「赤い鳥」さんも、「吉田拓郎」さんも、群馬くんだり、前橋まで鈍行で。

で、「後藤さん」っていえば、ユイ音楽工房も社長、後藤由多加さんなんですけど・・・・・・

多分、僕ら世代です。で、小耳にはんさんだ情報では「高崎出身」とかなんですけど、真贋のほどは ???

あくまでも、「小耳」です(笑)。

まあ、吉田拓郎さんとはたった一度ですけど、そんな思い出があります。

まあ、このお話は当時の朝日新聞前橋支局の取材を受けて、記事になってます。

で、「群馬経音楽振興会」なんですけど、それっきり、っていうか・・・・・・

僕もミュージシャン修行で、「東京、行くべぇ !!」 で、まあ、「修行」しただけで終わっちゃいましたけど(笑)。

まあ、そんな思いで、吉田拓郎さんもですけど、桑田さんも早く元気になってほしいです。

ガン克服の拓郎が桑田にエール  


Posted by 昭和24歳  at 15:40Comments(2)

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