グンブロ広告

ビジネスライセンス料  3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告  1,600円/月

お問い合わせは、 info@gunmawen.net

本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。  

Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2010年07月10日

コレからの時代Ⅳ

コレからの時代Ⅳ



最後のお願い・・・・・・










“平和ボケ”と罵るご意見もあるが・・・・・・

世界一強いアメリカ合衆国でさえイラク戦争の5年間で延べ5000人の戦死者を出す。

近代戦争はいずれも“軍事経済”がゆえん。

戦争なくしては経済が成り立たない。

その意味では知恵のない人間が欲望と財力、暴力で経済安定、成長を図る。

この国の過去もそうだった・・・・・・

結果、“統帥権者”が何の責任もとらずただただ被害者は国民。

今日を見れば国防を言うのはそれを商売にする階層の連中で、

政治はただその道具に過ぎない。

しかしね・・・・・

「イラク戦争は!!??」

と、今、民主党政権下、菅首相に問うたらなんと答えるだろうか(笑)。

「テロとの戦い、正しい選択」

などと、まさか答えるだろうか ???

アレほど前政権を糾弾していたわけだから・・・・・・

しかし、問うてみたい。

普天間の日米合意堅持のこともあるし(笑)。

今では、あのイラクのフセイン大統領とアルカイダは無関係だとか。

イラクには大量破壊兵器はなかったと、アメリカ政府までが決定付けている。

戦争がなければアメリカは窒息してしまう・・・・・

属国日本はそういうアメリカ、宗主国とどう向き合っていくか。

そこには国民の意思がまったく見えない。

というか関われるはずもない。

“同盟”などとまやかしの安全保障論でごまかす政治・・・・・・

>政治を変えたい。これからの時代を生きる人たちのために。
>高齢化社会に腐りきった政府を変えていくいい方法はないものでしょうか。


いつの世も革命は若い世代。

この国は戦後教育、国家の洗脳教育でその若者の精神は政治から殺がれてしまった。

国家に阿る教師、思想に現を抜かす教師・・・・・

子供たちを大人に成長させる教師がほとんどいない。

親もそう・・・・・

残念ながら日本人って、そういう目、

つまり悲惨な目にあわなければ生きる力を発揮できないのかも知れませんね。

とはいえ、僕らの父母世代も勝ち取った平和、民主主義ではなかった・・・・・・

“たなぼた”

ところで、民主党の無血維新は・・・・・・・
どうなっちゃったんでしょうか ???


コレからの時代Ⅳ  


Posted by 昭和24歳  at 20:45Comments(1)

2010年07月10日

コレからの時代Ⅲ

コレからの時代Ⅲ










僕ら戦後世代には「夢」があった。


それは「戦争を知らない子どもたち」と歌われ・・・・・・・

その意味では極めて「幸せな」な時代を過した、

世界でもまれな時代に生まれ育ったからではないだろうか。
 
まあ、それにしても、それは何もなかったせいなのかも知れない。

たしかに何もなかった。

テレビどころの話ではない・・・・・・

ラジオだって物心つくころでさえそう記憶はないし、

オモチャや、ゲームがあるわけでもない。

毎日は学校の校庭で、原っぱで、横丁で汗まみれ、泥まみれで仲間同士遊ぶしかなかった。

履物はズックなどは上等な物で、・・・・・・

正月にやっと買ってもらえるくらいで、普段はゴム草履か下駄。

靴下なんていう洒落た物はなく「足袋」それも幾重にも継ぎ当てをしたような代物で、

真冬だって素足に草履、下駄なんていうのも珍しくはなかった。

真冬はしもやけ、アカギレ、青ん洟垂らしたり、ハタケにタムシなど等。

着るものといえばお下がりのズボンに詰襟のツンツルテンのテッカテカで汚いの汚くないのと・・・・・・

今時のパパやママが見たら目をむいてひっくり返ってしまうかも知れない。

このところテレビで良く流してるお隣の「地上の楽園」の子ども達さながらのよう。

それは今に言う・・・・・・

「あの頃は良かった」

などといった代物ではない、それしかなかったのだ。

それは時代そのものが貧しく、

それまでの軍国主義、富国強兵一辺倒時代から解放された親世代の安堵感・・・・・・・

その中にあって、なお明日をも知れぬといった不安な毎日を暮らしたにちがいなかった。

しかし僕等、子ども達には「夢」があった。

とてつもなくデッカイ夢をもてた。

それは敗戦による解放と自由・・・・・・・

まあ、民主主義とかのお陰なのだろうが、おそらく物不足の中にもその時代、

初めて手にした自由。

大人たちは雑誌を読み漁り・・・・・・

僕等子どもたちは次々と発刊される少年向け雑誌、

「少年王、冒険王、漫画王、少年画報」

そしてそれらに連載される月光仮面、赤胴鈴の助、はては二一世紀の現代を予測する鉄腕アトム、等々・・・・・・・

正義、正義、正義のオンパレード。

ソコに果てしない夢を見つづけた。

やがて、ラジオ、映画から―――

そして、それは白黒テレビの西部劇に、アメリカ製のホームドラマ。

そして洋楽のヒットパレードに夢中になる頃になると・・・・・・・・

夢は外国へ行くこと、自動車を乗り回すこと。

自分の「なりたいものになる」と言う将来未来を描くこと。

しかしそれはけして手の届くことのない叶うことのない「夢また夢」の毎日だった。

それでも僕等は夢を追いかけて、求め続けた。

はたしてそれが今はあるだろうか・・・・・・

僕らが夢にと描いていたことが今ではそれがいとも簡単に「手品」のように叶ってしまう。

しかし、その「夢」は掴むのではなく買う「夢」。

じっくりと時間をかけて、心から願ってのそれではない「お金で買う夢」。

自分で想像した夢ではなく誰かが拵えた売り物の夢。

バーゲンセールの夢。

僕の言う夢とは小学生が見るような夢ではない。

女の子なら看護婦さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか・・・・・・・・

男の子ならパイロットとか野球選手、サッカーの選手とかのことではない。

やはりそれは一五、六で見る夢。それは「自分」探しの夢――――

まさか僕自身、その時には自分が60歳になるなどとは・・・・・・・

「努々」思いもしなかったがその一五、六で見た夢。

それは、その夢はまるであのころ押入れの中で見た「幻灯写真」のように・・・・・・

今も、僕に話しかけてくれる。

コレからの時代Ⅲ  


Posted by 昭和24歳  at 18:31Comments(1)

2010年07月10日

コレからの時代Ⅱ

コレからの時代Ⅱ



忘れてました・・・・・・







僕が物心ついての祭りというと・・・・・・

そこいら中の神社という神社の入り口には、
アコーディオンやバイオリンを物悲しそうに奏でる白服の傷痍軍人の姿が必ずあった。

もちろん兵隊帽子を深々と被り・・・・・・
色眼鏡に松葉杖、義足に片腕での演奏と、色々だった。

それをまるで無視するかのように、
いや、無視するというよりは忌み嫌い蔑視するようにして聴き流し、
見て見ぬフリをする父母のその時の何故かしかめた顔もその音とともに思い出される。

傷痍軍人。

父母はほぼ同世代・・・・・・

戦前、戦中と南方、北支にお国のためと、家族の、国民のためと、

銃後の守りを信じての末の負傷復員兵。

新生日本「万歳万歳 !! 」の出征も・・・・・・・・

敗戦焦土に迎える同世代の目はこうも冷たいものだったのかと今にしてみると思えてならない。

そして、それはこの平成の世に上野公園、墨田公園のブルーテントの脇を・・・・・・

見て見ぬフリをしながら通り去る僕らの顔を映しえに見るようで心地は悪い。

何れの時代それは「傷痍軍人」も、

ブルーテントの「ホームレス」のみなさんも・・・・・・

その時代を括る風景としての「音」をそこに見る。

時代に作られた「音の風景」。

それは今にして作られたものではなく・・・・・・・

おそらく「ホームレス」の人たちは僕等世代に違いない。

高度成長期、バブル経済―――

いや、それ以前の受験戦争、企業戦士といわれた競争社会を生き抜いてきた―――

それが僕ら世代の答えなんだろうか。
こんな答えを得るために僕等は生きてきたのだろうか。

そんな気がしてならない。

月光仮面世代がこの国の中枢で悪戯にどうしたことか余念がない。

かとおもえばニュースを騒がせるのは「子殺し、親殺し事件」や、
得体の知れぬ「伝染病」やら、商人のあくどさ・・・・・・
そして当時では想像することもなかった「ネット事件」を報じる新聞、テレビの毎日。

情報過多なのだろうか・・・・・・

あの時代、知らされないことも随分とあったようにも思えるが、
逆にそれが嘘のニュースを創作する暇も時間もなかったような良心の時代だったのかもしれない。

言われる敗戦直後からの政治腐敗、汚職、疑獄。

それらも単純明快でそこには幾分その「良心」の呵責が見て取れたような気がする。
それはいつでもやり直しの利く「悪戯」のようなもので、
「嘘に嘘を重ねる」と言ったような慇懃なものではなかったような気がする。

今の平成のそれは・・・・・・

ひとつの嘘に幾重にも重ねに重ねてもなおボロボロとほころびの絶えない疑惑、事件。
そこには聴く「音」は何もない。

空耳か、耳鳴りか――――

記憶に留まる「音の風景」は何処を探しても見当たらない。

そう感じるのは僕だけだろうか。

コレからの時代Ⅱ

  


Posted by 昭和24歳  at 15:27Comments(1)

2010年07月10日

さっ、ヤワラおばちゃん !!???

さっ、ヤワラおばちゃん !!???



まあ、当選間違いありません・・・・・・

ヤワラおばちゃん(笑)。

でも、日教組のドン・・・・・・
あっ、参院のドンでした(笑)。









谷亮子氏 選挙戦最終日に「富士山登山」
2010年07月09日 スポニチアネックス


 参院選比例代表に民主党から出馬した女子柔道五輪金メダリストの谷亮子氏(34)が、選挙戦最終日となるあす10日に富士山に登ることになった。

 谷氏は富士登山の経験がなく、「日本の象徴である富士山に国民の皆様はいろいろな思いを持って登っている。実際に自分も登ってみることでその気持ちを理解でき、国政に携わる時に役立つと思う」と説明。5合目から登り始めて頂上に達し下山する丸一日の強行軍で臨む。

 選対関係者によると、8日午前に本人が「富士山に登りたい」と切り出したという。谷氏は「全国を回ってたくさんの方に応援をいただき、国政に真剣に臨む気持ちを行動で示したいという思いが強くなった」と話した。候補者は選挙戦最終日はたいてい、人が集まる繁華街などを中心に回る。谷氏は登山者と握手して支持を呼び掛けながら頂上を目指す予定だが、選対関係者も「前代未聞」と驚いている。

 8日は山梨選挙区に出馬した同党の輿石東参院議員会長(74)の応援に入り「熱い情熱を持った輿石先生と国政で一生懸命頑張らせていただきたい」と訴えた。
“参院のドン”輿石東氏の応援に入った谷亮子氏・・・・・


富士山に登る !! 
なんて、なんかアレみたいですね・・・・・・・
それとも、アレのみなさんへの、
受け狙いでしょうか(笑)。



まあ、すっかり、出だしのころとは状況が・・・・・・

まっ、鳩山さんがコケて、小沢さんもコケちゃいました。

で、地球よりも重い愛がチョット ???

でも、

ヤワラおばちゃん・・・・・・

まあ、柔道みたいに地道です。

技の決まらない柔道って・・・・・・・

1本っ !!!

のない柔道って、

まあ、ウサギのダンスです(笑)。

でも、世間の評判は上々のようですね・・・・・・

ところで、

谷亮子氏“一家総出”で選挙戦、合間には授乳も
2010年06月25日 スポニチアネックス

 【第22回参院選】柔道女子金メダリストで民主党比例代表の谷亮子氏(34)は、選挙事務所を置く東京・麻布十番の商店街で正午に第一声。「晴れた気分だったので」と水色のジャケットに白いパンツ姿で、「柔道で培った力を国政で生かしたい」と訴えた。

 これに先立ち午前9時から、縁結びで有名な赤坂の氷川神社で必勝祈願。大事な試合の前にも必ず神社を参拝するといい「政界との縁結びをお願いしました」と笑顔。母方の祖母やおじ、おばも福岡から上京。選挙事務所には昼すぎに、母が長男(4)と次男(8カ月)を連れて訪れ、谷氏は合間に次男に授乳していた。

 午後には品川区の武蔵小山商店街と戸越銀座商店街を練り歩いた。夫でプロ野球巨人の谷佳知選手(37)の両親らも大阪から駆けつけ、父和明さん(66)と兄光昭さん(40)、姉の夫の福島健二さん(44)がビラ配りを手伝うなど親族が全面バックアップ。和明さんは「素晴らしい嫁なので、みんなに愛される議員になってほしい」と応援。谷氏はスポーツ振興のためスポーツ省の創設などを訴えており「議員になるからには大臣になってほしい」と期待を寄せた。



アレレレレェ~

家族総出って・・・・・・

お父さんと、お兄さんはどうしたんでしょうか ???

お噂の(笑)。

さっ、ヤワラおばちゃん !!???  


Posted by 昭和24歳  at 14:52Comments(0)

2010年07月10日

コレからの時代・・・・

コレからの時代・・・・



ソレにしてもイマイチです・・・・・
さあ、「明日は明日の風が吹く」ですけど(笑)。

あっ、石原裕次郎ですけど憶えてました???







田波耕治の存在。

1983、松下康雄の下で主計局主計官に抜擢。

1994、理財局長として財政投融資の配分査定。

1997、行革に内閣内政審議室長として参加。

義父ともども大蔵族、官僚が省益を目論むのは、ある種当然の事と言える。

田波-伊原-佐々木-澄田と続く大蔵ファミリー、その監視下で進む行革審が、財政と金融の分離を認める筈がなかった。

日銀と大蔵省の亡霊が、会議室を包んでいた。

1997.8/21、行革と同時にまとめられた、恥知らずな九八年度予算。

道路整備五カ年計画は78兆と前年比3%の伸び。整備新幹線は横這い。

8/28、予算要求総額は4.1%増の80兆5500億。

ますますの借金地獄、何の為の行政改革か。

高額の予算を獲得すれば、偉いのではない。

それは逆に、馬鹿と無能の証明。

と言うより、その大半が利権や裏金に使われるのが落ち。

広瀬隆著『私物国家』より抜粋引用。

------------------------------------------------------------------------------------

日銀総裁に“田波耕治”とは・・・・・・

あっ、今の白川さんは飾りです(笑)。

竹下登元首相が大蔵大臣当時の秘書官。
その後主計局主計官から理財局長。

つまり“田波耕治”とはその“財投”での今日の日本を借金大国にした張本人ではなかったか。

しかも大蔵ファミリーで閨閥を組、橋本行革で画を描き、その後今日にいたるまで未だその“行革”を言わせている。

つまり、政府の言う“行革”とは「何もしないこと」・・・・・

いや、なにもしないどころか、広瀬隆著に書かれているとおり日本国の『私物化』なのである。

涌井洋治事務次官の“大蔵スキャンダル”・・・・・・・

いわゆる、“泉井事件”(古い)。

その業転石油商“泉井純一”から再婚祝いに絵画をプレゼントされ事務次官を更迭されその後釜に座ったのが“田波耕治”だった。

笑えるのが、その涌井洋治、現在は“JT”日本たばこの会長だという。

“武藤”がだめなら“田波”ですか(笑)。

どこを切っても“金太郎飴”の日本政府。

いずれもバブルの戦犯ではなかったか・・・・・・・・

この先この日本はどこへ行こうとしているのだろうか ???

船長のいない日本丸(笑)。

国会の審議を見るまでもない“グズグズ”の内閣。

誰一人として、まともな答弁をするものがいない、というか審議がない。


しかしね、官房長官・・・・・・

誰でしたっけっ ???

国民が10年ほど前のことを忘れているとでも思っているのかねぇ。

どうでもいいですけど・・・・・・

コレからの時代・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 14:19Comments(0)

< 2010年07>
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
過去記事
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 125人
プロフィール
昭和24歳
昭和24歳
オーナーへメッセージ