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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2010年04月28日

小沢逮捕という芝居。

小沢逮捕という(?)芝居。



大久保、メシは臭かったか?

いえっ、銀シャリでした。








nobuogohara
郷原信郎



検察審査会の議決を読みましたが、「井戸端会議」のレベルに過ぎず、起訴すべしという理屈になっていません。こういう検審の判断で不起訴処分を覆すことは本来はあり得ないはずです。しかし、2度目の起訴相当議決で強制起訴になれば、捜査記録を指定弁護士に提供せざるを得ず、最悪の事態になります。


トーシローを偽装する検察審査会のいう検察。

まあ、ひみつのアッ子ちゃんですから、いかようにも描きます。

墓場まで、「一切、他言ならず」ですから(笑)。

つうことは、「他言」したら、「墓場」っていうことですか???

オーーーッ、コワッ。

コワすぎです !!
  


Posted by 昭和24歳  at 16:28Comments(0)

2010年04月28日

夢はかなったけど・・・・・

夢はかなったけど・・・・・



今後50年間に何が実現するか。たとえば「空中を飛ぶクルマ」「服を入れるとクリーニングするタンス」「地震の揺れを吸収する“考える土”」東京大学と野村證券の共同研究による「ひと目でわかる衝撃の50年後」!





実は、僕らこの時代こそが・・・・・・
「夢」
なのではないか。



僕らは戦後の荒廃のなか・・・・・・

それは、ラジオ、テレビさえもなかった時代に生まれ、

正月でさえ新調は着れなかった。

お下がりのお下がり・・・・・・

もちろんクリスマスもなければ、お誕生日プレゼントもなかった。

でも、それだけに、嬉しいがいっぱいあった。

そして夢もいっぱいあった。


昭和40年代、夢を見るまでもなく・・・・・・

運転免許を取って、仕事で車に乗って、半年分くらいの給料で中古車を買って。

夢を見る間もなく、パスポートを取って敵国、アメリカへ。

親父やお袋の驚いたことといったらなかった・・・・・・

未だ鮮明の記憶の中、B29の投下する焼夷弾の下を逃げ惑った世代からしてみれば、

それはそれは、あなオソロシヤだろう(笑)。

そして夢も束の間に、新幹線、高速道路、テレビ、インターネット・・・・・・

まさに、「夢か現か幻か」が現実。

今の子ども達。

それが全て当たり前のようにある。

平成6年生まれの10歳のころの娘の夢は・・・・・・

「漫画家になりたいな・・・」

だった。

そして15歳、高校一年生になった娘の夢はTVの「ディレクターだという。

「パパの夢はなんだった・・・・?」

と、その娘がぼくに聞く・・・・・

「パパの夢か・・・・・
パパの夢はねミュージシャンになることだ」

「あれ・・・・パパ、ミュージシャンじゃあなかったの?」

娘は怪訝な顔で言う。

「ギターを作ってるけどミュージシャンじゃあないんだ」

「だって、ギターを弾いて、歌を唄ってお金貰ってるじゃない」

「ずいぶん昔はそれだけで十分生活できたけど・・・・・
今は、そのおカネだけじゃあ生活できないよ。」

「夢って厳しいね・・・・・・」

だって。


でも・・・・・

僕らは次世代の生きる邪魔をしてはいけない。

ただそれだけ。

今の、10代、20代がどんな夢を・・・・・・・・

なにを、どう生きようとしているかを、

今僕らは、社会は気づくべきだ。

その意味では、この日本、20年後、30年後は・・・・・・

どんな夢の国になってるんだろうか ?

僕らが消え去った後の静かなこの国は(笑)。


夢はかなったけど・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 14:59Comments(0)

2010年04月28日

若者たち・・・・・

若者たち・・・・・



TBS系「さんまのスーパーからくりテレビ」で大人気の現役国語教師・下地敏雄。夢・挫折・孤独など人生の悩みに真剣に答えた感動の一冊。ただいま、制作中。






僕が昨日ある場所で話した若者は共に24歳だった・・・・・

彼らはちょいとした文章もすらすらと読んで見せた。

取り立てて優秀と言うわけではなさそうな二人。

彼らも、自分を・・・・・・・

「俺なんかダメッスよ」

と謙遜でもなく言ってのける。

聞けばご両親は僕と同世代・・・・・

いわゆるニートではないことは確かだ。

一人は、大学、留学と、

「親にだいぶ迷惑かけちゃいましたからね・・・・・
少しづつ返さなくちゃ」

と、真顔で言った。

もう一人は、新潟六日町から群馬へ仕事できている・・・・・

「コシヒカリ、佐渡のコシヒカリは美味いッすよ・・・・・
それも玄米、食べる時に精米する・・・・・最高ッス!
南(南魚沼)のはダメッスね。混ぜもんばっかりで・・・・・」

と至って、まじめである。


テレビでふざけている若者はほんの一部ではないだろうか。

やはり、普通の若者は本能的に己を研鑚している・・・・・
それは教えられるものでもなく、
己がどうあるべきかの中で、試行錯誤・・・・・・
本を読み、仕事を探し、選び、そこに自分の将来を探そうと努力している。

そんな彼らとのある場所とは、とある勉強会というか・・・・・・・

「異人種交流会」(笑)。

僕もそうだが、興味本位、何かを知りたくて参加したと言う。

テーマは日本国憲法の前文を普通の文章に書いたやつに・・・・・・

自分の意見を言うという向きの。

正直、驚いた・・・・・・

今の若者、大学生は漢字を読めない、書けないとか言うが、

そんな・・・・・

普通の若者がそれを「スラスラ」と呼んでみせる。

いい意味で、その青年達の「親の顔」を見てみたいと思った。

きっと、しっかり自分を生きた「人」なんだろうと想像する。

確実に、それぞれ社会は二極分化してるのかもしれないが・・・・・

しかしそれは、マスコミ、メディアが言うほどではないのではと思える。

九分九厘が普通でほんの僅か、そうした心に病みを持った者もいるだろう。

しかし、それを面白おかしく伝えるのはメディア・・・・・・

今、大学生がイロイロ云々されるが、部活が出来るのは学費免除の特待生か、

家庭が裕福な家庭の子女だけだろう。

僕の長女もそうだったが・・・・・
学費以外は、小遣いからアパート代まで。
アルバイトの4年間。
もちろん遊ぶ暇はない。

それでも娘は申し訳なさそうに・・・・・

「パパ・・・・・学費大丈夫?」

時には学費納入遅れて、僕が学校の事務まで持参したこともあった。

そんなことも娘は知っている・・・・・・

実は、生き方を教えるなんていうことは出来はしない。
娘たち、子ども達は僕らの生きかた、後姿を見て・・・・・
今必至に自分の人生を切り開こうとしている。


子育ては・・・・・・・

痒いところに手を伸ばしてはいけない。

痒ければ自分で掻かせ、
痛ければ自分でさすらせ・・・・・
悔しがれば、黙って見ていればいい。


先の青年た・・・・・・

聞けばいろんな経験をしている。

普通に僕とも話せる。

そして時には僕の言葉に、興味深く質問する。

「親には迷惑かけましたからね・・・・」

24歳の二人の青年。

この時代、自分を生きることに真剣になっています。

若者たち・・・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 11:59Comments(0)

2010年04月28日

井の中の蛙大海を見る

井の中の蛙大海を見る







世界は面白い・・・・・

まあ世界とはいっても僕なんざぁ、香港と韓国と、アメリカ西海岸くらいだが・・・・・

音楽仲間は実に愉快だ。
未だ独身の頃だが所謂「ヒッピー」というのがはやった頃のことだ。
既にベトナム戦争は終わり、学生運動も拍子抜けした頃のことで矛先は「成田闘争」へと向かっていた時代。

「グァムで商売になるぜ」

と、バンド仲間の米国籍の奴が言った。
要するに、グァム島に日本の「ヒッピー商品」をおろすのだという。

実はその頃は70年代も半ば、ロックもだいぶ下火で、
僕らは拠点を恵比寿と軽井沢に移し、軽井沢のバーゲン屋で一年を暮らそうなんていういい加減な若造だった。
若造とはいっても既に24歳になっていて、それでも虚勢を張るわけでもなくいっぱしのつもりでいた。

あの時代、軽井沢でひとシーズン2坪の店を借りて40万くらいだっただろうか。
とにかく極楽トンボの青春時代最後の時代だった。

12月、横山町で子供だましのアクセサリーを50万ほど仕入れてグァムに持込んだ。

グァムの商店にセールスして歩くのだ・・・・・

グァムにはなぜか、インド人の商店主が一番多かった。
その次が、華僑、そして韓国人。
グァムには周りの島々からクリスマスの頃ともなるとその商店主が仕入れにくるのだそうだ。

持込んだ商品は二日ばっかりで全て売れた。
聞けば、インド人は無茶苦茶商売上手だという・・・・・
そう言えば、香港でもインド人の商店主は多かった。
まあ、インド人とはいっても、あの手の顔は僕なんかはみんなインド人に見えてしまうから、
それが正真正銘のインド人であるかどうかは定かではない。

そこで知り合った、香港人に・・・・・

「今度その商品香港へ持ってこないか」

と、誘われた。

根っからの極楽トンボの僕。
すっかりインチキ貿易商を気取ってしまっていた。

雨季にさしかかったグァムは雨ばかり・・・・・
それも日本でいえば台風のような雨。
それに海にはナマコの大群で、とてもじゃあないが遊ぶどこではなかった。

もっともその頃のグァムは未だ、信号がひとつもないといったようなところで、
72年、恥ずかしながら復員した横井庄一さんの洞穴を見学したくらいか(笑)。
つい1年半前ほどの「日本兵発見」の話だった・・・・・

翌年、グァムで知り合った香港人を香港島のワンチャイに訪ねた。
もちろん注文の品物をしこたま持って。

なんだい・・・・・
貿易商を気取ったつもりが、ただのカツギ屋だった。
周りの観光で香港に行く日本人の興味本位の眼差し。

もっとも僕はいっぱしの貿易商人のつもりだったから結構態度がでかかったのかもしれない(笑)。

よく考えたら、髪の毛ぼさぼさ(流行のロン毛)にTシャツ、穴だらけのジーパン。
実のところはよほど奇天烈に見えたのかもしれない。

パックツアー大盛況の頃で、200キロほどの手荷物も団体に潜り込んで、
超過料金、オーバーウエイトチャージなし。
旅行会社(近鉄)の添乗員に袖に下を渡して・・・・・・

当時はちょうどニクソンショックから3年ほど・・・・・
1ドルが300円ほどだっただろうか。
対円、香港ドルが54円くらいだった。

軽井沢の売れ残り商品をかき集めて、香港で卸す。
あそこもインドネシア、マレーシア等の商人が香港へ仕入れにくる。

「日本時装」と看板には書かれている。

所謂、日本の流行ファッション問屋といったところだろうか。
一年中が真夏の国の東南アジア・・・・・
日本のサマーバーゲン商品は大好評だった。
ちょうど、原宿、竹下通りが流行りだした頃。
日本製、出来はしっかりしているし、ファッションセンスもいい。
モノは瞬く間に売れた・・・・・・

3年は続いたか・・・・・
しかし1ドルが200円を切りそうになり、香港ドルが28円になった頃。

まったく商売にはならなくなった・・・・・・

井の中の日本人、大海を知らず。

まさにそのままの僕。

いや、知らないから出来ている・・・・・

知っていたら臆病風が先に吹いてそんな経験も出来なかっただろう。

僕は、娘にも言っている・・・・・

一度だけの自分の人生。
僕に生まれたい上、そんなに不幸にはさせない。
少しの貧乏は気の持ちようだ。

思いっきり生きろって。
みんなそうしてる・・・・・
みんなとはいっても今のところは長女と次女だが。

その時代その時代、思いっきり生きる。

思いっきり生きれば、
まず横道にそれることはない。

井の中の蛙・・・・・

井に中の「蛙掛け」かな(笑)。

井の中の蛙大海を見る

  


Posted by 昭和24歳  at 08:56Comments(0)

2010年04月28日

軍事の街"たかさき市"

軍事の街"たかさき市"




安全保障上、特異な兵器であるミサイル。ミサイル登場の歴史的な背景と、先端技術によるミサイル技術の発展と現在の技術について、イラストを多用しわかりやすく説明する。







<対戦車用ミサイル>土手に誤発射 爆発はせず 群馬・高崎
4月22日21時5分配信 毎日新聞

 22日午後2時ごろ、群馬県高崎市の陸上自衛隊吉井弾薬支処で、隊員が対戦車用ミサイル「79式対舟艇対戦車誘導弾」(全長157センチ、直径15センチ、重さ33キロ)を点検中、突然ミサイルが発射し、施設の壁を突き破って約5メートル先の土手にぶつかった。ミサイルはさく裂せず、隊員にけがはなかった。外部への影響もないという。陸自などが誤発射の原因を調べている。

<陸上自衛隊吉井弾薬支処>

まあ、秘密のベールといえば秘密のベールです(笑)。

平和憲法とか、平和ボケとか、一国平和主義とかのこの国で・・・・・・・

「対戦車ミサイルの誤射」って、鳥肌モンのギャグですね。

でも・・・・・

>ミサイルはさく裂せず、隊員にけがはなかった。


「炸裂せず」って、それって役立たずっていうことかなぁ(笑)。

隊員にケガなくてよかったっていってる場合と違うんじゃあないの?


そういえば高崎市ですけど、

平成の大合併で軍事基地(自衛隊=日本軍)が新町と相馬ヶ原にできちゃいました。

やっぱりそこも「秘密のベール」なんでしょうか・・・・・・

相馬ヶ原の自衛隊 ですけど、占領軍の進駐が昭和20年、撤収が32年9月。

その撤収ですけど、昭和32年9月っていえば、僕が小学校3年生。

うる憶えですけど、高崎の街を米軍の戦車、そのキャタピラが道路をひっぺがえしながら行進・・・・・

そしてその跡がしばらく残っていたのを、かすかに記憶します。

そういえば、米兵が薬きょう拾いのおばさんを銃撃したとかのニュースも昭和32年。

ジラード事件 とかです・・・・・・

まあ、Wikipedia ですけど、そのジラード事件でも日米政府間に密約ありとか。

ってなわけで、新町駐屯地 と、高崎市も結構、軍事基地に囲まれてます。

つうことは、財政的にも国からの交付金とかってあるんでしょうか ?

軍事基地といえば、軍需工場ですけど・・・・・・

高崎市吉井町にある 中国化薬 です。

で、高崎市ではありませんけど、隣町、

富岡市にはミサイル製造工場、IHIエアロスペース があります。


軍事の街"たかさき市"  


Posted by 昭和24歳  at 03:30Comments(0)

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