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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2010年01月10日
“個”を生きようとしない村人・・・・・
個”を生きようとしない村人・・・・・
極貧の家に生れた愛川吾一は、貧しさゆえに幼くして奉公に出される。やがて母親の死を期に、ただ一人上京した彼は、苦労の末、見習いを経て文選工となってゆく。厳しい境遇におかれながらも純真さを失わず、経済的にも精神的にも自立した人間になろうと努力する吾一少年のひたむきな姿。本書には、主人公吾一の青年期を躍動的に描いた六章を“路傍の石・付録”として併せ収める。
小説もそして脚本による演劇、映画も・・・・・
時として己の“生き人”を教えてくれる。
静かに“映画”を見たいですね。
演劇であれ、映画であれ、その全ては役者にかかっています。
今の映画はつまらない・・・・・
実につまらない。
なんなんだろう・・・・・
その“その”つまらなさは?
やはり60年も生きてしまったからだろうか。
10代の頃に見た映画、
路傍の石、次郎物語、そして橋のない川・・・・・・
その年代でしか感じられないものがあった。
それは、恋に憧れていた頃の時代・・・・・
恋をしていた頃の時代、結婚した頃の時代、
そして子どもが出来た頃の時代・・・・・
そしてそして、そして今という時代。
名画に出合った時・・・・・
その映画がいうその時々の社会の理不尽さや、
人生のはかなさ空しさ切なさ・・・・・
そして、時として底知れぬ慟哭と怒りを覚え、“自分なら”と自問自答させる。
そんな映画は今はもうない・・・・・
それはもう今という時代がそうしたものを作らせないのかも知れない。
-----------------------------------------------------------------------------
山本周五郎の言葉。
「この世で生きてゆくということは、損得勘定じゃあない。短い一生なんだ、
自分の生きたいように生きるほうがいい。」
そして・・・・・
「能ある一人の人間が、その能を生かすためには、
能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしている。」
<ほんとだなぁ・・・・・と思う。>
-----------------------------------------------------------------------------
“初蕾”山本周五郎・・・・・
宮沢りえ、東山紀之・・・・・主、共演の映画だが、
“さぶ”
藤原竜也、妻夫木聡・・・・・
何れも当代最も露出の多いタレント(俳優と呼ぶのかも知れないが)、
そのあまりにもの美形さと日常の行動が希代の作品を“つまらなく”させてしまっている・・・・・
そう感じるのは、僕のこの歳のせいなのか、それともただ単に、
僕が“へそ曲り”であるからなのか(そうかも知れない)。
この手の映画はできれば“オーディション”かなんかでキャスティングして欲しい。
もちろん“どこどこ劇団”のやらせ系のものでないやつで・・・・・
>“個”を生きようとしない村人・・・・・
タイトルとはかけ離れた書き込みになってしまった(笑)。
それを書きたいのに書けないもどかしさ・・・・・・
子どもの授業参観に出席しての感想なんですが・・・・・
それが、書き出せない。
>“個”を生きようとしない村人・・・・・
「集団の中に埋没してしまっている」
それって、「集団の中にいる安心感」なんだろうか。
しかし今やその集団も「個」を守ってはくれやしないのが現実・・・・・
つまり組織の崩壊。大企業のそれですら「組合」は解体されたも同然。
その現実は、日本社会党の崩壊、そして自民党の崩壊だろう・・・・・
かつては集団の中で嬉々としていたモノが、今では悶々とする。
まさに「弱肉強食」の競争社会、自己責任社会。
そしてその集団からはじき出された「個」は「個」に戻れず彷徨する。
その「個」とは自覚だ。「生きる」という自覚・・・・・
つまりその「生きる」という自覚がなければ彷徨するしかない。
自覚しなければならない最低限の「プライド」も失い、たた、上目づかいに社会に背を向けるだけ・・・・・・
「派遣村」、201人が所在不明=2万円支給後、無断外出続出-東京
時事ドットコム
年末年始に住まいのない求職者を支援するため、国と東京都が設置した「公設派遣村」の入所者201人が、求職活動費の現金を支給された後に所在不明になっていることが8日、分かった。
都は6日午前に求職活動に必要な交通費や食事代、日用品代などとして、1人当たり2万円を支給。その後施設から無断で外出する利用者が増えたという。
都は昨年12月28日~1月4日まで、渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターに「派遣村」を設置。4日以降も継続して大田区の臨時宿泊施設を宿泊先として提供していた。
都によると、7日午後6時現在の臨時宿泊施設の利用者は名簿上は557人だが、実際の宿泊者数は356人のみで、155人が外出手続きをしたまま戻っていないほか、手続きをしていない46人の行方も分からなくなっている。(2010/01/08-14:47)
なんでこういうことになってしまうのか・・・・・・
それが事実なのかどうかは確認できない。
しかし、もし事実だとしたらそこにある善意(国に善意があるわけではない)。
それを見守る国民の心の善意は全く無視されたことになってしまうのではないか。
“個”を生きようとしない村人・・・・・
極貧の家に生れた愛川吾一は、貧しさゆえに幼くして奉公に出される。やがて母親の死を期に、ただ一人上京した彼は、苦労の末、見習いを経て文選工となってゆく。厳しい境遇におかれながらも純真さを失わず、経済的にも精神的にも自立した人間になろうと努力する吾一少年のひたむきな姿。本書には、主人公吾一の青年期を躍動的に描いた六章を“路傍の石・付録”として併せ収める。
小説もそして脚本による演劇、映画も・・・・・
時として己の“生き人”を教えてくれる。
静かに“映画”を見たいですね。
演劇であれ、映画であれ、その全ては役者にかかっています。
今の映画はつまらない・・・・・
実につまらない。
なんなんだろう・・・・・
その“その”つまらなさは?
やはり60年も生きてしまったからだろうか。
10代の頃に見た映画、
路傍の石、次郎物語、そして橋のない川・・・・・・
その年代でしか感じられないものがあった。
それは、恋に憧れていた頃の時代・・・・・
恋をしていた頃の時代、結婚した頃の時代、
そして子どもが出来た頃の時代・・・・・
そしてそして、そして今という時代。
名画に出合った時・・・・・
その映画がいうその時々の社会の理不尽さや、
人生のはかなさ空しさ切なさ・・・・・
そして、時として底知れぬ慟哭と怒りを覚え、“自分なら”と自問自答させる。
そんな映画は今はもうない・・・・・
それはもう今という時代がそうしたものを作らせないのかも知れない。
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山本周五郎の言葉。
「この世で生きてゆくということは、損得勘定じゃあない。短い一生なんだ、
自分の生きたいように生きるほうがいい。」
そして・・・・・
「能ある一人の人間が、その能を生かすためには、
能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしている。」
<ほんとだなぁ・・・・・と思う。>
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“初蕾”山本周五郎・・・・・
宮沢りえ、東山紀之・・・・・主、共演の映画だが、
“さぶ”
藤原竜也、妻夫木聡・・・・・
何れも当代最も露出の多いタレント(俳優と呼ぶのかも知れないが)、
そのあまりにもの美形さと日常の行動が希代の作品を“つまらなく”させてしまっている・・・・・
そう感じるのは、僕のこの歳のせいなのか、それともただ単に、
僕が“へそ曲り”であるからなのか(そうかも知れない)。
この手の映画はできれば“オーディション”かなんかでキャスティングして欲しい。
もちろん“どこどこ劇団”のやらせ系のものでないやつで・・・・・
>“個”を生きようとしない村人・・・・・
タイトルとはかけ離れた書き込みになってしまった(笑)。
それを書きたいのに書けないもどかしさ・・・・・・
子どもの授業参観に出席しての感想なんですが・・・・・
それが、書き出せない。
>“個”を生きようとしない村人・・・・・
「集団の中に埋没してしまっている」
それって、「集団の中にいる安心感」なんだろうか。
しかし今やその集団も「個」を守ってはくれやしないのが現実・・・・・
つまり組織の崩壊。大企業のそれですら「組合」は解体されたも同然。
その現実は、日本社会党の崩壊、そして自民党の崩壊だろう・・・・・
かつては集団の中で嬉々としていたモノが、今では悶々とする。
まさに「弱肉強食」の競争社会、自己責任社会。
そしてその集団からはじき出された「個」は「個」に戻れず彷徨する。
その「個」とは自覚だ。「生きる」という自覚・・・・・
つまりその「生きる」という自覚がなければ彷徨するしかない。
自覚しなければならない最低限の「プライド」も失い、たた、上目づかいに社会に背を向けるだけ・・・・・・
「派遣村」、201人が所在不明=2万円支給後、無断外出続出-東京
時事ドットコム
年末年始に住まいのない求職者を支援するため、国と東京都が設置した「公設派遣村」の入所者201人が、求職活動費の現金を支給された後に所在不明になっていることが8日、分かった。
都は6日午前に求職活動に必要な交通費や食事代、日用品代などとして、1人当たり2万円を支給。その後施設から無断で外出する利用者が増えたという。
都は昨年12月28日~1月4日まで、渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターに「派遣村」を設置。4日以降も継続して大田区の臨時宿泊施設を宿泊先として提供していた。
都によると、7日午後6時現在の臨時宿泊施設の利用者は名簿上は557人だが、実際の宿泊者数は356人のみで、155人が外出手続きをしたまま戻っていないほか、手続きをしていない46人の行方も分からなくなっている。(2010/01/08-14:47)
なんでこういうことになってしまうのか・・・・・・
それが事実なのかどうかは確認できない。
しかし、もし事実だとしたらそこにある善意(国に善意があるわけではない)。
それを見守る国民の心の善意は全く無視されたことになってしまうのではないか。
“個”を生きようとしない村人・・・・・
2010年01月10日
転寝に夢をする。
ビッグ3救済から“第2のサブプライム爆弾”、EUとの「通貨戦争」、ロシア・中国の復活…その時、日本の選択は?オバマ政権でもこの国の凋落は止まらない!著者初のアメリカ論。書き下ろし最新刊。
ひねくれモンの独り言・・・・・
今朝のニュース。
セレブの象徴“六本木ヒルズ”のゴミ集積所に臍のをの付いた生まれたばかりの赤ん坊の・・・・・
“赤ちゃん”の瓶詰めの死体が。
大家は国有地払下の特権不動産屋“森ビル”だ。
少子化が問題視される中、赤ん坊が・・・・・
思わず溜息だ。
どうやらこの国は本格的に終わりに向かって突進んでいるようだ。
日本たばこ“JT”で40歳以上、5400人からの早期退職希望者が出た。
退職金3,000万円からその全員に支給されるんだそうだ。
“JT”・・・・・
元々は“日本専売公社”が民営化でそうなったのだが、
何れも“みなし公務員”給与も退職金も税金であることにはかわりがない。
もっとも、こうして民営化になるのはJR、NTTと現業の国営企業だが・・・・・
本来民営化すべきは完全サービス部門の“役所”なのではないだろうか。
電々も民営化した・・・・・
完全民営化だが、放出株式を景気対策に使うとか言う話は“なかったことに”だろぅっ(笑)。
国鉄も、電々も民営化して社長の数が数倍に増えた。
たばこもそうではないか・・・・・・
罠営化リストラとはいってもどこかで退職者の雇用は吸収しなくてはならない。
NTTのように何千と会社を拵えて、そこの管理職に納まる。
仕事はすべて、“JT”の下請。
結局締めた帳簿は同じか、かえって膨らむことになる。
民間は悲惨だ・・・・・
中小零細企業は平均年収が300万円を割り込んでいる。
日本はましだというご意見・・・・・
ごもっともだが、結局はアメリカ様あってのこの国。
軍事、経済もアメリカ様頼み。
最後の仕上げがアメリカ様、
“住基ネット”のソフトが“マイクロソフト”では、
日本人の懐具合はバックドアからアメリカ様に筒抜け。
いっそのこと、“日本州”になったほうがいいのじゃあないかな・・・・・
9千万人からの選挙権、有権者がいる“ステイツ”。
日本州から“大統領”が出るかもしれない(笑)。
転寝に夢をする。