2009年12月26日

青春の門

青春の門



昨夜、NHKラジオの歌謡番組に「山崎ハコ」が出ていた・・・・・・
何故か可笑しかったというかなんとなくくすぐったいような変な感じ(笑)。
時代かなぁと。




慷慨に青春した時代への回帰なのか・・・・・

ほぼ同年代の還暦を目前にした仲間3人が同居をし始めたとか。

十数年前の飲み仲間だった“I君”は、この地域では大企業“N精工”の技術系社員。
まあ無事、定年を迎えたことかと・・・・・・
それと自前のHPにも笑顔を見せている“O君”。
この“O君”はやはり大企業の“H製作所”の技術系社員でともに、国立の工業専門学校を卒業している。

それにもう一人の、初老とは言いすぎだろうか、
やや老け込んだ感じで、ジャージ姿の趣としてはその“慷慨の士”。

そんな3人にスーパーマーケットでしばらくぶりにばったり会った・・・・・

「大きくなったねぇ・・・・・
こんな小ちゃかったのに」

と、“I君”。自分の膝あたりに手を水平に置くと目を細めるようにして・・・・・・
わが娘を見つめ何度もうなずきながらそう言った。

「行ってる・・・・・」

そう。

“行ってる?”だけで通じてしまう場所。
僕もよく通った、うら若き乙女だったママさんがやっている“縄暖簾”。

ママさん。店を始めたのが27、8の頃・・・・・
もう20年はやっている。

んっ!

ってぇことは、あのうら若きご婦人が47、8!

「行ってる行ってる」

少し吃音のかかった“I君”。
変わらぬ、なんともヒトの良さそうな笑顔で楽しそうにそう言った。

夫々、僕と同い年だ。
“I君”はお姉さんと二人兄弟、“O君”は姉、妹と3人兄弟姉妹・・・・・
もう一人の連れの方のご案内は詳らかではないが、
“I君”も“O君”もそこそこの農家、既に離農はしているが、
多分、人生設計は万全であるに違いない。

お母さんが病に臥されているお噂は承知していたが、

「そうですか・・・・・」

と、僕。

どうもそんな事情が在ったらしいご両人とも。

実はご両人、取立てての訳があろうとも思えないのだが、今日まで一人身。
燃えるような青春があったのかなかったのか・・・・・・
30年来の友人と言うか、付き合いがあるが、そうしたお噂は金輪際、仄聞にもなかった。

あったと言えば・・・・・
その、縄暖簾の“ママさん”、ほとんど毎日通い詰だったから、
とは言うものの、いずれも“好いた惚れた”の艶聞はなかったのだから僕らからしてみると七不思議のひとつ。

とにかく酒が好きで・・・・・好きで。
とは言っても、悪酔いされるタイプではなく、実に温厚なよいお酒。

あの頃・・・・・

昭和43、4年の頃。
仲間の誰かが・・・・・決まってそこそこの商家の次三男なのだが、
“自活”と称して家を出、アパートに暮らし始め、一端を気取るのがいた。

まさに、“梁山泊”慷慨の士を気取る。

学生運動も華やかりし頃で、喧々諤々の政談義・・・・・
いや、みんなカネはなかったけど熱かったなあ、と思うのだが結局今にして思えばである(笑)。
ただ熱かっただけの麻疹みたいなものでしたね。

そんな世代がそろそろ還暦。
実は、独身が・・・・・ヤモメが多い。
僕の周りだけで同年代8人はいる。

“濡れ落ち葉”よりはいいか(笑)。

とは言え、“濡れ落ち葉”だって、いきなり“濡れ落ち葉”になったぁ訳じゃあない。
新緑に包まれた芽吹きの時もあったし、青々とした若葉の頃も・・・・・
そして萌えるような“紅葉”の季節も。

いずれにしろちょいとショックだった。

還暦を前にした高紳士、好々爺・・・・・・
連れ立って抱えきれないほどの買い物をカートに満載して。

缶ビールの“大人買い”がやけに眩しかった(笑)。

年の瀬・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 20:00Comments(0)

2009年12月26日

昭和、大人への三叉路"喫茶店”



今はコレ!!???



昭和たかさきの“喫茶店”

さて、僕のファースト珈琲は何時のことだったろう・・・・・

多分、昭和42年当時、エレキバンド「ザ・プラネッツ」の仲間と行ったオシャレデパートのとこの「ナポリ」か。
否、そうではない。昭和40年も明けたばかりの頃のことで・・・・・・
恐る恐る、胸を高鳴らせ始めて入ったのが本町三丁目の「あすなろ」ではなかったろうか。
たしか、やはりエレキバンドの先輩に連れて行ってもらったような記憶がある。

その「あすなろ」はもうひとつ、鞘町の学陽書房の隣あたりに映画館と並んであったように憶えている。
何でもその「あすなろ」はクラシックを専門に聴かせる「音楽喫茶」で、リスニングルームも確かあったのではなかっただろうか。
本町三丁目のそれとは大分趣を異にしていた・・・・・

時にはそこ、「あすなろ」では群響の楽団員の人たちがコンサートをやっていた。
確か誘われて行ったようなかすかな記憶・・・・・・
もとも僕の場合はクラシック、交響楽と言った高尚な芸術はチンプンカンプン。
なにせ、その頃は「エレキ」に夢中だったので誰と行ったのか、いや、誰に連れて行ってもらったのかさえ全く憶えていない。
ただ、一、二度、入ったような気がするだけだ。

僕はもっぱらその手前、うなぎの「銀直」の隣辺りの、床屋の二階の喫茶「コンパル」だった。
エレキバンドで出演していたダンスホール「みゆき」の休憩時間にはいつもメンバーとそのコンパルへはよく通った。

そうだ、連雀町だったかの噴水のある「喫茶ローマ」・・・・・
そこには早い時期、昭和40年頃から高経のハワイアンやらウエスタン、フォークソングをやるバンド演奏をやっていた。
うなぎの寝床のような間口2軒ほどの細長い店だったが、その一番奥まったところにステージのようなものがあったように憶えてる・・・・・
そこに、古きよき時代を思い出す。


「あの頃の喫茶店」

西口、高崎駅前を日通の手前の「喫茶うえの」はカウンターだけの小さな喫茶店。
その隣には「キングバー」なんていうのも・・・・・・
ロータリーの所には「喫茶ブリッジ」。ここではバンド時代待ち合わせによく立ち寄らせてもらった。
ジャズを専門に聴かせる「モーニン」も、とにかく狭い店だったが時々ライブをやっていた。




八間道路の「喫茶もりえ」・・・

八間道路、群タク並びの佇まいが懐かしい。



「同伴喫茶」

ここは僕が小学校の時から在った。同級生のお母さんがやっていて・・・・・
どう言う訳か「アベック」と言う徒名で同級生のそいつを囃した覚えがある。
兎に角、「喫茶店」と言うとなぜか、「アベック」を連想させた。今、「アベック」なんて言う言葉をご存じだろうか、皆さん(笑)。

実は、この「もりえ」は昔付き合っていた彼女とよく行きました。昭和40年代・・・・・
今のカミさんですけど(笑)。

あの頃は「同伴喫茶」なるものも流行った・・・・・
まだ町には車などそうは走ってはいない時代だったし、流行かどうかは知らないが僕らが色気づいた頃は「連込み」。
いわゆる「さかさくらげ」と言う温泉マークの、つまり旅館で、高崎公園の周りとかにそれは点在していた。
当然、まだ僕らはその「連込み」に入る歳ではなかった。ませた同級生や先輩から話を聞くのが精々で・・・・・
僕らはといえば、もっぱら片町の「キャメル」、お堀端の「キャンドル」とか「マーセル」などで、若い男女の秘め事に重宝させてもらっていたようだ・・・・・
チョイト気恥ずかしいが(笑)。

話は変るが、実は僕は「珈琲」とやらが全く駄目。今まで正直な所そのコーヒーとやらを「飲んだ」と言う記憶はない。
今まで一切口につけない・・・なぜか判らない。
あの「珈琲」の香は嫌いではないのだが(好きではない)。仕方なしに飲まされると胸焼けが酷いのには閉口することしきりだ。
ついでに、「タバコ」も生れてこの方吸ったことがない。もちろん、未成年の時は特訓をしたが全くその成果はなかった。
アルコールはその限りではない・・・・・




喫茶“花壇”KADANももうない・・・・・


「喫茶店」と言えば・・・もう昔からのそれはあまり見られない。あまりと言うかほとんどなくなっているのではないか。
一時隆盛を極めた、喫茶「いわと」。さきの名曲喫茶「あすなろ」・・・・・
今も昔をしのばせるのは柳通りの「花壇」くらいだろうか。ここは古い・・・・・とは言ってもそれは昭和40年代の中頃からだ。
マスターが中々の男前で「お水」のお姉さん達の憩いの場であったようだ。
しかし、そのマスターも押し寄せる年並みか、ついこの間その「花壇」の前を通りかかったらすでに看板は下ろされていた・・・・

僕がニュージャパンでドラムを叩いていた頃はもっぱらお堀端の喫茶「プリンス」で、ここは毎日のように通っていた。
「プリンス」は早仕舞なので、9時過ぎになると先のご案内の、同伴喫茶「キャンドル」。その「キャンドル」は一階が普通の喫茶席で、二階席が同伴専用席になっていた。
昭和47年頃はモータリゼーションか、既に「同伴喫茶」の趣も薄れ、店によってはスナック喫茶風に趣を変えていった。
そう、柳川町のど真ん中には「スクール」なんて言う喫茶、田町通りの2階の喫茶「アラスカ」、新町の「くらくら」、今のさやモールの「コンパル」など等・・・・・

まあ、喫茶というか、甘味喫茶ですか・・・・・
子どものころ、母親に連れられて買い物ついでにねだった中央銀座通りの「富士屋」の「たいこ焼き」とか「小倉アイス」・・・・・
昭和30年代、外食なんて極め付きの贅沢だったけど、そこで初めて食べた「ラーメン」の味が今でも忘れられずにいる。
そういえば、「昔ながらの」なんていうのを近頃お見受けするが、アレは「昔の偽装」である(笑)。

「昔」のそれは、あんなもんじゃあない!!!


今ではすっかり変っちまった・・・・・
移ろいの風物「たかさき」と言うところだろうか。
  


Posted by 昭和24歳  at 12:12Comments(1)

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