2009年12月12日

都々逸のススメ!!




♪三千世界の烏を殺し~
 主と朝寝がしてみたい♪


♪♪ペペン、ペン♪♪


と、コレで、よろしいのでしょうか・・・・・・師匠???


のつづきは、

さてご案内です。

12月18日(金)「いろりの日」・・・・・
PM7時頃から。
ご予算は、飲む人「割り勘」で4000円くらい。
飲まない人は別会計です。
ちなみに、料理は美味しくて、豊富です、田舎定食風もGOOD!!

まあ、本物の囲炉裏を囲んで、
♪都々逸のススメ♪ですか・・・・・・
粋ですねぇ~、チョイとダンナァ~

柳家紫文師匠、参加確定!!
長谷川平蔵が語る「都々逸」とは・・・・・




  


Posted by 昭和24歳  at 20:04Comments(0)

2009年12月12日

007は二度死ぬ

007は二度死ぬ



まあ、新党ブームとかの時、
一度死んでるわけですから、小沢さん(笑)。
で、「二度死ぬ」わけですか、分かりませんけど???




ま、「平成の無血維新」とかですけど・・・・・・

そんなことはありません。

10年前には、細川政権とか、羽田政権とか村山政権とか、
ハッキリ言って、分けのわからないのが2度3度あって・・・・・・・
まあ日本社会党とかいう、1990年には136議席という、いわゆる「マドンナ旋風」とかです。
まっ、どこが「マドンナか?」っていうお叱りもあったわけですが(笑)。
で、「山は動いた」とか言ってるうちに、「勝てば勝った」で分裂するのが野党の宿命ですか・・・・・・

やっぱし、その「細川政権」の新党ブームとかでした。

 新生党、さきがけ、日本新党。一九九三年の夏は、新党ブームで熱かった。細川連立政権が誕生し自民党は下野、政界再編の鐘が鳴った。その後も新党は続く。新進党、友愛、みらい、平和などの党名を掲げて。だが、それらは再編劇の逆流や混迷で、うたかたのように消えていった。

まあ、「新党さきがけ」とかも約9年もつづいたわけです。
まっ、言われる「失われた10年」ですか・・・・・・
当時、鳩山由紀夫をはじめ、菅直人も40代で大臣とか官房副長官で、「夢の中へ」でした。

結局、その寄せ集めが今の「民主党」です(笑)。

だから、今の民主党を「バラバラ」にすると、新党ブームの時の・・・・・・
新生党、さきがけ、日本新党、のちの、新進党、太陽党、新党公明とか、まあ、闇鍋です(笑)。
で、つまりそんだけ「お山の大将」がいるわけですから、まとまる話もまとまりません。

まあ、小沢幹事長は143人とかの、いわゆる派閥ですか、小沢チルドレンですか、そんな大名行列ですけど・・・・・・・
昔のまんまですね。

「143人でいつでも党を割るぞ!!
俺の言うこと聞けねえんなら・・・・・・」

で、与党党首会談でした↓(笑)。


普天間、3党で十分協議=首相が福島・亀井氏と確認
12月12日0時13分配信 時事通信

 鳩山由紀夫首相は11日夜、都内の日本料理店で、社民党の福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)、国民新党の亀井静香代表(金融・郵政改革担当相)と会談し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について、3党で十分協議していくことを確認した。
 会談では、亀井氏が普天間問題について「3党連立なので丁寧にやっていかなければならない」と述べ、首相も「そうだ」と応じた。会談後、福島氏は記者団に「首相から具体的な移転先の名前は出ていないが、3党で協議しながら移設先を考えようということで一致したのは良かった」と語った。
 また、首相は2010年度予算編成に関し、「特別会計に切り込む」と述べ、特会見直しに積極的に取り組む決意を表明した。10年度予算編成をめぐっては、新規国債発行の抑制が課題となっており、首相としては特会改革を推進することで、財源を確保したい考えだ。
 一方、首相は「何とか自殺者の数を減らしたい」と、福島氏が担当する自殺者対策を重視する考えを示した。
 会談は、首相が福島、亀井両氏を慰労するために呼び掛けた。普天間問題や09年度第2次補正予算案をめぐり、連立内で足並みの乱れが生じたことから、3党の結束を再確認する狙いもあった。 


つまり、「鬼の居ぬ間の洗濯」ですか???

まあ、「政権交代しました!!」っていう時に、スパッと・・・・・・・

「高速道路無料化」とか、

「ガソリン暫定税率廃止」とか、

瞬時にやっておけば、「ああ、政権交代ね」っていうことになったんでしょうけど。
煮えたか煮えない、ああでもないこうでもない、財源がどうしたことこうしたとかでした。
まあ、持ちませんね・・・・・・

しかし自民党があの体たらくですから・・・・・・
変わりがいません!!(笑)。
どうしましょ・・・・・・!!???
  


Posted by 昭和24歳  at 16:48Comments(0)

2009年12月12日

遣唐使、遣隋使?どっちでもいいや(笑)。

遣唐使、遣隋使?どっちでもいいや(笑)。





小沢訪中 時代錯誤の「乾杯」 (1/2ページ)
2009.12.11 19:53 産経ニュース

 小沢一郎幹事長が率いた、総勢600人超の民主党訪中代表団を中国の国際情報紙『環球時報』(11日付)は、世界の交流史上想像を絶する規模と評し、鳩山由紀夫政権の中国に対する「空前の重視」を示すものと述べた。一方で同紙は「日中間の戦略的摩擦や対抗要素は排除できず、蜜月期の序幕にはならない」(社会科学院日本研究所高洪副所長)といった専門家の見方を紹介、小沢氏の意図に警戒心も表している。(北京 伊藤正)

 数百人規模の訪中団はまれではないが、143人もの国会議員の来訪は、中国にとっても「驚き」で、主宰者の小沢氏の意図がさまざまな憶測を呼んだ。

 高洪氏は、小沢氏は一貫して民主党の対中交流の核心人物であり、日本の戦略的重点を米国から中国にシフトするよう主張してきたとし、今回の訪中は世界、特に米国に対し、民主党の対外政策は自主、独立と宣言したものと分析。小沢氏が自分の政治権力を誇示する狙いもあると述べている。

 いずれにせよ、中国が「日本の●(=登におおざと)小平」(最高実力者)と見なす小沢氏を歓迎して当然だ。10日の代表団との会見前、胡錦濤国家主席は、全員と記念撮影、国会議員の大半とのツーショット撮影にも応じた。小沢氏は胡氏に丁重な礼をいい、「日中友好発展にいい結果を生むと思う」と述べている。

 この場面や小沢氏の言葉は中国では一切報じられなかった。中国の主席が日本の議員にこうした慣例や規格外のサービスをすれば、国内の反日世論を刺激しかねないからだ。しかし小沢氏が言う通り、中国は議員の多くを取り込み、政治的に大成果を収めた。



小沢一郎が日本の鄧小平だそうです(笑)。

まあ、歴史ですか????

遣唐使、遣隋使、どっちでもいいんですけど、民主党国会議員143人ですか・・・・・・
そら、カネかかるでしょう。色々とねっ、お土産もあるだろうし。
民主党国会議員143人の旅費はどこから出てるんでしょうか、税金です。

「文句あるかっ!!???」

とかって言われそうですから・・・・・・

「文句ありません。聞いてみただけ」

まあ、コッチが、普天間だの提灯だのと騒ぎだって言ってるのに・・・・・・
いい気なもんです。

「文句あるのかぁ!!????」

って言われそうですから、

「文句ありません」

確か、2年前も、この遣唐使だか、遣隋使の大名行列がありました。
で、新人議員が多いんでしょうか・・・・・・
その143人の遣使って???

ヨコクメさん、インタビューされてましたね・・・・・・

わが郷土の誉れの「三宅雪子代議士」がさっぱり見えませんけど。
お勉強中なんでしょうか・・・・・
で、三宅雪子代議士、遣唐使とか遣隋使の御鉢は???


まあ、女が言ってもつまらないのが中国とか北朝鮮とか・・・・・・・

何処かで、誰かが、

「ハニートラップに気をつけろ!!」
ですって・・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 11:37Comments(0)

2009年12月12日

昭和30年・・・・・



京王線新宿駅



昭和30年・・・・・
新宿が始発の発の京王線はまだ路面を走っていた。

伯母の家はその新宿から一つ目の「初台」を降りて甲州街道を渡り、
しばらく路地を行くと「水道道路」のガードに出る。
で、そのガードをくぐったすぐのところで、タイル工事業を営んでいた・・・・・・

その水道道路のガードは母にとって忘れられない場所だったようだ。
母はその水道道路のガードをくぐるたびに昭和20年3月10日の「東京大空襲」の話をした。

「ここで、いっぱい人が焼け死んでたんだよ」

って。母たちも大編隊の米軍爆撃機B-29の落とす焼夷弾に焦がされながらそのあたりを逃げまどったと言う。

「防空壕に入った人はみんな蒸し焼きになっちゃった」

その焼夷弾の業火は鉄をも溶かしていたという。
母は僕の手を引きながらそれがなんでもなかったように独り言のように言うのだった。
まさに地獄絵の世界だったのではないだろうか・・・・・・


「正しい戦争」


http://www.history.independence.co.jp/ww2/phtop.html

焼夷弾の被害にも焼死体ではない・・・・・


「正しい戦争」


http://www.history.independence.co.jp/ww2/phtop.html

一夜にして10万人余りがこのような惨状に・・・・・


「正しい戦争」


http://www.history.independence.co.jp/ww2/phtop.html

焼夷弾の業火から逃れるために隅田川に飛び込んで・・・・・・
川の水は業火で熱湯だったという。



昭和30年、戦後10年でも住むところの定まらない不運な人たちは、淀橋の浄水場あたりに沢山いた。
「水道道路」の両側は、バラックがいっぱいだった。


あそこに住んでた人たちはどこへ言ったんだろう。
それから、何ねんか伯母の家に行く度そこを通る時・・・そう思う。

東京オリンピック開催が決定し、
全ての戦後が掻き消されたとか・・・・・・

あれから50年・・・
浄水場のあったところは「新宿西口公園」になっている。
それは都庁舎をはじめとする超高層ビルが林立する眼下に・・・・・・

「ブルーテント」が公園に、「ダンボールハウス」が公園に。
惜しげもなく贅をつくした大都会副都心・・・・・
そのビルの谷間に肩を寄せ合うようにして生活する人たち。


「正しい戦争」の結末。

昭和30年・・・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 08:09Comments(0)

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