2009年12月08日

もりや食堂

もりや食堂


http://www.takasaki-town.com/review/detail_img.php?M_Cd=000108815


もりやの、大盛り焼きそば!! 

あの時代の高校生アルバイトが時給100円くらい???
そうです。ラーメンが70円か80円、コーヒーが60円くらいの時代ですから・・・・・
僕はバンド仲間と音楽センターの掃除のアルバイトで、時給というか一回100円。
その100円で「もりやの大盛り」が食えたんだから、たぶん大盛り・・・・・

60円???

ぼくらの「もりや」といえば、もっぱら旭町の「もりや支店」でした。
八間道路、大類里街道にある踏切手前、東京ガスとか、賛光ネオンの前にあったソレ。
今から45年も昔、ほぼ半世紀前の話です(笑)。
その時代、知っている食堂といえば、そば屋の「すかや」とか、中華の「三明」くらいしか知らなかった。

「三明」といえば、砂賀町にあったダンスホール「社交」の入口の対面にあったやつだった。
ぼくが初めて「湯麺(タンメン)」を食したのもソコ、「三明」。餃子も美味かったなあソコは・・・・・・
で、ぼくの「ファースト餃子」は中学3年の時、元紺屋町だったか、
オリオン座近くで「自転車預かり店」を商っていた同級生の中山くんちの隣にあった中華「五十番」。

しかし当時、ラーメン80円から思うと・・・・・・
如何に「もりや」の大盛り焼きそばが破格であったかは想像できる。
もちろん、値段もさることながら、その大盛りたるや尋常ではない、大概のモノは初めてのソレに仰天する(笑)。
まあ、僕らはソレを「トレンチ・サイズ」とか言っていたのだが・・・・・・

その「もりや支店」は、若いというか30歳前後の御夫婦で商っていた。

まあ、若いとか言っても、高校生の僕らから見ればオジさん、オバさんでしたけど・・・・・・
で、その女将さんですけど、今風にいえばチョイとした小料理屋のママさんの趣でハッキリ言って、美人。
どちらかというと、その「もりや支店」の女将さん・・・・・・

「おかみさ~ん時間ですよ」

で、松の湯の御主人が出入りしていた飲み屋の女将「おりょう」の篠ひろこ風。
っていうことなら、御亭主はさしずめ、その飲み屋のカウンターの隅でいつも静かに飲んでいた藤達也の風間さん。
まあ、そんな趣の「もりや支店」・・・・・・

多分その女将さん、「もりや本店」の娘さんだったんでしょうね。そしてその旦那さん、
ご案内の、藤達也と篠ひろこですから。如何にも「板前」といった感じの寡黙で「イケメン」(多分?)。
で、その「もりや支店」、ぼくらが立ち寄る夕刻になると、5、6坪の店内では保育園からの帰りだろうか・・・・・
なんとも可愛らしいお嬢ちゃんが、アルバイト風のお姉さんを相手ににぎやかにしていた。
で、まあ、その「もりや支店」なんですけど、旭町のお店を閉めると住吉町の方で、
昼は定食、夜は小料理の「もりや」を開店していたような昭和も宵のころ。

なにを隠そう、その「アルバイト風」のお姉さんこそが、今、新田町、観音通りの新しくなった・・・・・
まあ、新しくなったとは言ってもだいぶ昔のことだが「もりや本店」、とは言っても今は「支店」はない(?)が、
ソコで、主のようにお客をさばく貫録十分の女将さんなのである。
一時、その「支店」で、その遠い昔戯れていた保育園児、幼稚園児だったかの可愛らしいお嬢ちゃんが、
その「本店」で、アルバイトというか、お手伝いをしていたのを憶えている。
もちろん、それも昭和の終わりの頃の話だから、そのお嬢ちゃんもおそらく・・・・・・・
数えで40は超えているのではないだろうか。しかし、時代というのは「糸可笑し」である。
その高校生くらいに成長した「もりや支店」のお嬢ちゃんが「もりや本店」を手伝いながら、女将さんの娘さんだろう、
幼稚園児くらいのかわいいお嬢ちゃんをにぎやかに相手に・・・・・
ソレも「昭和の宵」のころのことであった。

ところがである、今では、その幼稚園児だった「もりや本店」のお嬢ちゃんが・・・・・
女将さん以上にたくましく成長なされて貫録の、

「もりや三代目女将」

襲名でしょうか。
しかし、人間60年から生きていると多事遭遇です(笑)。

で、今もときどきだが、その「もりや」の味が懐かしくお尋ねする・・・・・・
しかし、さすが「大盛り」は食えません(笑)。
精々が「中盛り」だがソレも平らげるのが難儀である。
因みにぼくは「もりや」の「トン汁」がフェヴァリットでいつもの定番のサイドメニューである(イカ天も)。

で、その「もりや」、安さとボリュームが売りだったわけです。
しかし安いと思っていたソレが、巷間この「デフレ戦争」の今、「もりやの」お会計は「700円」を下ることはない。
まあ、焼きそばだけなら小が「350円???」、日替わり定食なら「500円」???とかなんですけど・・・・・
ソレでも結局、味噌汁を「トン汁」に変えたり、サイドメニューを頼んじゃったりすると「1000円」からになっちゃう。

つまり、さすがの「もりや」も・・・・・・
昨日の牛丼“デフレ戦争”280円!!とか、
今朝のマック全米「1ドルBF」とか。

そのデフレ戦争といかに戦うか!!!
まっ、老舗「もりや食堂」です。
そこまで考えてはいないか(笑)。


因みに、わが末娘はそんな、もりやの・・・・・・
「ショウガ焼き定食+トン汁」がフェヴァリットである。

P.S 「もりや」って、半世紀以上の老舗です。   


Posted by 昭和24歳  at 17:36Comments(3)

2009年12月08日

押尾容疑者「オレはどうなるんだ」

押尾容疑者「オレはどうなるんだ」





押尾容疑者ひどく動揺「オレはどうなるんだ」
12月8日7時2分配信 スポニチアネックス

 元俳優の押尾学容疑者(31)による麻薬取締法違反事件で、警視庁捜査1課は7日、同法違反(譲渡)などの疑いで押尾容疑者ら3人を逮捕した。押尾容疑者は合成麻薬MDMAを一緒にマンションの部屋にいた飲食店従業員田中香織さん=当時(30)=に譲り渡した疑い。田中さんはMDMAの使用後に異変を起こして死亡したとされており、捜査1課は押尾容疑者が保護責任者の立場にあったとみて、保護責任者遺棄罪などでの立件へ向け追及していく構えだ。

 逮捕状が出てから3日。押尾容疑者は7日午後4時すぎ、横浜市内で身柄を確保され、同5時36分頃、シルバーのワゴン車で警視庁麻布署に移送された。白いTシャツに茶色のコートを羽織り、後部座席の中央に座ってぶ然とした表情。無数のフラッシュを浴びても顔を隠すことなく、同署に入る際には眉間(みけん)にしわを寄せていた。

 逮捕容疑は8月2日、港区のマンションの部屋で、持ち込んだMDMAを田中さんに渡した疑い。押尾容疑者は容疑を否認している。



「オレはどうなるんだ」

って、執行猶予中に逮捕ですから・・・・・・
どうもこうもありません。
まあ、裁判の行方ですけど、事犯だと懲役8年(最高)だとかですから、
すくなく見積もっても2、3年はムショ暮らしは間違いないんじゃあないでしょうか。

まあ、ヒト一人が死んでるわけですから・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 12:13Comments(1)

2009年12月08日

今日はジョンレノンの命日

今日はジョンレノンの命日





ジョンレノン暗殺
1980年12月8日の午前中、自宅ダコタ・ハウスでジョンはローリング・ストーン誌掲載用写真のフォトセッション(撮影:アニー・リーボヴィッツ)に臨んだ。

午後10時50分、スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがアパートの前に到着した。レノンとオノが車から降りたとき、その場に待ち構えていたチャップマンは暗闇から「ミスター・レノン?」と呼び止めると同時に、リボルバー拳銃のチャーターアームズ・アンダーカバーを両手で構え5発を発射、4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、レノンは「撃たれた」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた。警備員は直ちに911番に電話し、セントラル・パークの警察署から警官が数分で到着した。ちなみに、チャップマンが使用した弾丸は.38スペシャルのホローポイントである[20]。

警官の到着時にレノンはまだ意識があったが、既に大量出血し、一刻を争う危険な状態であった。そのため、二人の警官が彼をパトロールカーの後部に乗せ近くのルーズベルト病院に搬送した。一人の警官が瀕死のレノンの意識を保たせるため質問すると、声にならない声で、自分がジョン・レノンであること、背中が痛いことを訴えたというが、ジョンの声は次第に弱まっていった。病院到着後、医師は心臓マッサージと輸血を行ったが、レノンは全身の8割の血液を失い、失血性ショックによりルーズベルト病院で午後11時過ぎに死亡した。伝えられるところによれば、レノンの死亡時に病院のタンノイ・スピーカーから流れていた曲はビートルズの『オール・マイ・ラヴィング』だったという。





そういえば、加藤和彦さんが自殺したホテル・・・・・・
ジョン・レノンとヨーコが逗留していた「万平ホテル」じゃあなかったかなぁ?

万平ホテルとジョン・レノン
万平ホテルは、1894年に開業し、軽井沢の歴史と共に歩んできた由緒あるホテルで、今年で創立110周年を迎えます。
ジョン・レノンは、1977年から3年間、夏になると必ず一家で軽井沢にやって来て、万平ホテルでの生活を楽しんでいました。


今年もあるんだろうか「万平ホテル」の、
ジョン・レノン追悼コンサート・・・・・

  


Posted by 昭和24歳  at 10:09Comments(0)

2009年12月08日

日米開戦「真珠湾攻撃」

日米開戦「真珠湾攻撃」



日本軍奇襲攻撃で炎上する戦艦アリゾナ



昭和16年12月8日(米時間12月7日)真珠湾攻撃

 日本海軍が択捉島のヒトカップ湾からハワイの真珠湾(パールハーバー)まで、31隻からなる艦隊で北太平洋を横断する大遠征を行った上で、戦艦や駆逐艦が駐留している軍港を奇襲し、しかも成功したという事実は、アメリカに大きな衝撃をもたらした。

当時アメリカにはモンロー主義に代表される孤立主義の伝統があり、他国の戦争に巻き込まれることを嫌う傾向があった。また、ルーズベルトは選挙戦において「あなたたちの子供を戦場には出さない」ということを公約にしていた。ヨーロッパで第二次世界大戦が始まっても、レンドリース法による兵器・物資の供与は行ったものの、アメリカは中立の立場を取っていた。そこに起こった真珠湾攻撃は、アメリカが連合国に加わって第二次世界大戦・太平洋戦争に参戦するきっかけを作り出した。



仕組まれた戦争が「太平洋戦争」だったわけです。

まあ、「仕組まれた」とか言っても「仕組まれる」には「仕組まれる」だけの理由が当時はあったとか。
というのは、当時は欧米列強による「植民地時代」の末期でした・・・・・
まっ、アフリカ大陸からアジア大陸のほとんどがソノ欧米の植民地だったわけです。

つまり、「植民地権益」っていうやつですか・・・・・
そんな欧米列強に食い込んでいったのが「大日本帝国」だったっていうわけ。
まあ、日本も朝鮮半島は植民地化してたわけで、
そこから、ラストエンペラー皇帝愛新覚羅溥儀をたてての「満州建国」とかで実質「傀儡国家」でした。




<中国軍の国旗をつけたアメリカの戦闘機>


まあ、そんなこんなの中「日中戦争」は蒋介石の国民党と毛沢東の共産党、国共合作とかを相手に燻っていたわけ・・・・・・
で、ソノ燻りを影から援助していたのがアメリカだったっていうわけです。
まあ、当時の中国なんかには戦闘機なんかはないわけで、
空中戦は中国軍に偽装した米戦闘機が「フライング・タイガース」と日本軍の戦闘機とゴチャゴチャやってたわけです。


まあ、欧米列強にしてみれば極東のイエロー・モンキーが「許せん!!」とかで、

「ハル・ノート」

とかで、その内容とは・・・・・・

「その内容は、アメリカが日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ、およびアメリカ合衆国の包括的な不可侵条約を提案する代わりに、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものである。」

まあ、「全てを直ちに放棄しろ」っていうのもスゴイですね(笑)。
で、日本政府もキレちゃったわけです。
まっ、「身も蓋もない」っていうやつですか・・・・・・
「最後通牒」とかですから、外交とかの余地はなかったわけです。
っていうかそれまでが「外交べた」でしたけど、
まあ外務省です。今もそのまんまなんじゃあないでしょうか(笑)。

で、真珠湾奇襲攻撃とか・・・・・
昭和16年12月8日
  


Posted by 昭和24歳  at 09:36Comments(0)

2009年12月08日

Mc全米で「1ドル朝食」!!

Mc全米で「1ドル朝食」!!






マクドナルド、全米で「1ドル朝食」の展開を検討
11月13日11時53分配信 ロイター

 [シカゴ/パームスプリングス(米カリフォルニア州) 12日 ロイター] 米ファストフード最大手マクドナルド<MCD.N>は、全米で「1ドル朝食」メニューの展開を検討していることを明かした。最終決定には至っていないという。ドン・トンプソン米国部門社長が12日、投資家向け説明会で語った。
 雇用環境の悪化で朝の出勤時間帯の客足が減少するなか、マクドナルドはすでに、シカゴを含む一部地域では1ドルの朝食メニューを導入している。2010年前半での全米展開に向け、初期の問題はクリアされており、同社幹部の間で引き続き検討が行われるという。
 ジム・スキナー最高経営責任者(CEO)は先に、失業者の増加が、米国事業の売上高の約25%を占める「朝食ビジネス」に影響を与えていると述べていた。
 同社が9日発表した10月の米既存店売上高は0.1%減少。米国内の既存店売上高が減少するのは、2008年3月(0.8%減)以来のことだった。


まあ、超円高だから・・・・・・
さしずめ、マック・モーニングセットが!!
90!!!!!!!! 


まあ、アメリカのことです・・・・・
もしかしたら「1ドル朝食」でも10セントくらいは儲け出るかも(笑)。

それにしても、デフレ、日本だけじゃあないっていうか、
もしかして、日本なんていい方なのかも知れない、かも知れない。

大失業時代のアメリカ・・・・・
で、コレです↓


米失業率10%、大統領へ怒りの声「ペテン師だ」
(読売新聞)

 アメリカの失業率が10%を超えた。1983年以来、26年ぶりの危機的水準だ。

 オバマ大統領は4日、雇用問題について国民の声を聞く全国行脚を始めたが、最初に訪れた米産業革命の発祥地、ペンシルベニア州のアレンタウンで待ち受けていたのは、冷ややかな「歓待」だった。

 「大統領、小さな企業が資金を借りられるよう、何をしてくれますか。みんなそれが知りたいのです」

 社会人の就職を支援する地元のコミュニティー大学。質疑の時間になると、厳しい質問が飛んだ。

 「約束する。銀行の人に年内に会う」と大統領。だが、聴衆には不信が渦巻く。

 地元の労組代表、フレッド・シェフさん(61)は「質問できたら、『本当にやれるのか』って言ってやりたかった」。5月にリストラされたジェフ・デュークさん(37)は、「仕事は簡単には見つからない。妻が働いているので一息ついているが」と浮かぬ顔だ。

 工場、大学、レストラン。駆け足で巡った先々で、オバマ批判のプラカードが待ち受けた。キャスリーン・ティーさん(48)は、「彼はペテン師。この国を間違った方向に向かわせている。雇用なんて戻って来ないわ」と吐き捨てた。

 昨秋の「リーマン・ショック」を発火点に、米東海岸のニューヨークの金融街から始まった解雇の波は、全米を覆っている。4日に発表された11月の失業率は10%ちょうど。2けたに乗った10月(10・2%)からは改善したが、就業者数は23か月連続で減っている。(米東北部アレンタウンで、岡田章裕)

[ 2009年12月6日11時20分 ]

しかしそれってスゴイです。だいいちアメリカの人口が約3億人だから、10%だと・・・・・・

3000万人!!???

まあ、未就労者の子どももいるわけだけど。
でも、そんなこと言ってられませんね、日本だって実質10%超だとかですから。

「大統領、小さな企業が資金を借りられるよう、何をしてくれますか。みんなそれが知りたいのです」

オオッ、良い質問だ、ソコの君、Good Job !!!

「鳩山さん、小さな企業が資金を借りられるよう、何をしてくれますか。みんなそれが知りたいのです」

まあ、鳩山銀行でもいいんですけど・・・・・・
9億円とかの!!???
細川さんみたいに「街金」じゃあイケませんけど(笑)。


  


Posted by 昭和24歳  at 06:36Comments(0)

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