2009年12月05日

押尾容疑者逃亡か!!???

押尾容疑者逃亡か!!???




<押尾学元被告>所在不明 警視庁が行方追う 麻薬譲渡容疑
12月5日18時32分配信 毎日新聞

 死亡した知人女性(当時30歳)に合成麻薬MDMAを渡した疑いが強まったとして、警視庁捜査1課は4日、麻薬取締法違反(譲渡)容疑で俳優の押尾学元被告(31)の逮捕状を取ったが、押尾元被告の所在が不明なため、引き続き5日も同課は行方を追っている。


  「大物が捕まるらしいです」  

実は私が情報を得たのは司法関係者からで「東京拘置所の警備が異常に強化されている」ということだったのだ。過去、そういう時には大物政治家の逮捕が必ずそのあとにあったという。逮捕者がどうこうというよりも、主としてマスコミ相手の混乱を避けるためだと言われている。

って、ネットゲリラさんです。

大物政治家ですか・・・・・

クスリ部屋として、ヒルズの一室を提供していた、ピーチジョンとかの女社長はどうなんでしょう???

ピーチ・ジョン野口社長「言葉失っていた」…押尾事件後初コメント
 麻薬取締法違反の罪で執行猶予5年の有罪判決を受けた元俳優・押尾学さん(31)がMDMAを使用した東京・六本木ヒルズの高級マンションの部屋を所持する下着通販会社ピーチ・ジョンの野口美佳社長(44)が1日、マスコミ各社にファクスで事件後初めて心境を語った。

 2日に再開する「1oven」ブログの内容を送付したもの。野口社長は「あまりに衝撃的な出来事によって、この四ヶ月間、わたしは怒りと悲しみで言葉を失っていました。とても文章をつづる心境にはなれませんでした」と告白。押尾さんはすでに有罪判決が確定したが「自分自身はようやく元気を取り戻してきました」としている。

 一緒にいた田中香織さんが亡くなっており「事件に関する発言は、まだ慎重にしていくつもりです。心からの応援と共に貸したつもりの場所が、愚かな事件の場とされてしまったことのショックもとても大きく、簡単にコメントはできません」と具体的には語っていない。また、田中さんへの謝罪もつづられていない。

 インターネットなどでは押尾さんと愛人関係にあったなどと書かれたが「ネット上に出現したわたしに関する良くない噂は、どれもが嘘」と否定。野口さんの元夫がAV制作会社社長だという説には「全く見ず知らずの人物を元夫としてあげられていることには最も困惑しています」としている。野口さんは現在妊娠しており、出産準備中だ。


ピーチ・ジョン  


Posted by 昭和24歳  at 21:03Comments(0)

2009年12月05日

4割が「子ども必要ない」

4割が「子ども必要ない」




4割が「子ども必要ない」=20~30歳代は6割-内閣府調査
12月5日17時5分配信 時事通信

 内閣府は5日、男女共同参画に関する世論調査の結果を発表した。それによると、結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考える人は、2年前の前回調査に比べ6.0ポイント増の42.8%となり、1992年の調査開始以来最高となった。持つ必要があるとする人は同6.5ポイント減の52.9%だった。少子化の背景に、国民の家庭に対する意識変化があることを示した結果と言え、内閣府の担当者は「生き方の多様化が進んでいる」としている。
 調査は、10月1日から18日にかけて、全国の成人男女5000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は64.8%だった。
 子どもを持つ必要はないとした人は、男性が38.7%、女性が46.4%だった。年齢別では、20歳代が63.0%、30歳代が59.0%と高く、若い世代ほど子どもを持つことにこだわらない傾向が浮き彫りになった。 



 「生き方の多様化が進んでいる」としている。

そもそもが、そういう問題ではないはずだ・・・・・・
内閣府というか、政府がそういう認識ではこの国の未来はない。

「子どもが必要」とか、「必要ない」とかを論ずること自体が間違っている。

「誕生」という、「摂理」を価値観の多様とかで片づけるのはあまりにも愚かしい。
僕らも、そのようにして誕生、生まれてきているのだから・・・・・


「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと・・・・」


たしかに、子どもを産み育てると言うことは楽しいことばかりではない、
しかし、過ぎてみればその全てが良い思い出、そして今の満足感がある・・・・・

感覚として、

「子どもは必要ない」

という考えを引き出すことに何の意味があるのか、
そして、それを「生き方の多様化」と括ることにどんな意味があるのか、
そこにこの国の精神に異様ささえ覚える。
  


Posted by 昭和24歳  at 20:40Comments(1)

2009年12月05日

青春の光と影

青春の光と影

 





 昭和45年、未だ明治大正の匂いを感じさせる高崎駅舎お券売で「高崎始発=上野行き」の片道480円の切符を買った。
 上りは決まって7番線か8番線、改札をぬけて高架を渡り階段をかけおりるとそこには電気機関車が今にも発車するかのように轟音をたてて僕を急かせる。僕は急いで乗り込むと木製の硬い座席に身を埋めるようにして僕は発車のベルを待った。

 僕には、取分けて故郷を離れるなどと云う感傷はなかった。と云うのも、僕の生まれ育った関東平野の北端、ここ「高崎」から「上野」へは高崎線で距離にして100キロちょっとでしかなく、鈍行でおおよそ2時間の所だからだ。それにこれまでも何度となくここは往復している。まあそれがかえって人生の節目、少々大袈裟だがそれをあいまいなものにしてしまっているのだろう。
 
 ただそれは、ひとつの時間の終わり。そして新しい時間の始まりのような一抹の不安と寂しさが過ぎっていたのはたしかだった。
 その一抹は今までの喧騒が嘘のように消えた「青春」と云う時代が崩れ去った音なのかもしれないと、その時ふと思った。

 21才、今ににして思えばそれが青春なんだろうが、その当時はすでにそれを捨て去っていたように思っていた。生意気にも。
 大方の同級生はこの高崎というそこそこの地方都市で「サラリーマン生活」をしているか家業を継いでいた。やはりその同級生たちも、そこの「ほんのり」としたそれでいて「とげとげしい」青春に区切りをつけ「地道」とでもいうのだろうか。互いが覚めた言葉を投げあうように暮し始めていた。

「もう、若くねえからな」と。

 しかし、そんな時代にもやはり夫々の生き方というか人生の分岐点「標」が誰にもあった。というのもまだ同級生の中ではストレートで大学へ行った連中でも3年、一浪でもしていれば2年だ。そんな彼等はまだまだ青春真っ盛りで時はオイルショック、ニクソンショックとはいえ高度成長の黄昏。学生運動もすでに収束していて、なにか、そこはかとなく気抜けのしたぼんやりとした時代はやはりひとつの時代の終わりを確実に告げていた。

 時は恰も、「青年は荒野をめざす」。自分探しというか、遠い将来への不安だろうか、あの時代の僕ら世代は手探りするようにヨーロッパ、アメリカを夢見た。それは、五木寛之を貪り、小田実に傾き、横尾忠則に嵌り「自由」という、実は全く意味不明の思想と言っては大袈裟が過ぎるが、ようやく自分で稼いで、自分の道を探れる、漠然としているが夢の始まりの終わりの頃だったようだ。今にして思えば。
  
 ご多分に漏れず僕も多分そんな「欠片」の一人ではなかっただろうか。あの、二十歳そこそこの時代の一年は一生かけても体験できないような事を瞬時の内にやってしまっていた。思えば、あの頃の経験、体験を肥しに今を生きている、そう思えてならない。
 やはりそれが「夢」の時代というものなのではだろうか・・・・・・
 現実と云う「地獄」の一歩手前で夫々が聞きかじり、受売りの中で大きな夢を語り合う。喧々諤々、まるで自分だけを中心に世界が動いているような錯覚の中で好き勝手を叫びながら、結局は、こんな狭いこの国の中の僅か2%足らずの「青春」で世の中が動くはずも無いのにである。
 そう。だからこそ、それが「夢」なのだ。「夢」を見たからこそ現実もほどほどに受け止められる。それが「青春の時代」と云うものだろう。

 僕のそれもそうだった。「夢」などという大それたものではないが、いやっ傍目には大それた大馬鹿者に映ったかも知れない。いや映っていた。
 そんな僕の中のロックミュージシャンの夢は、もちろん当時は「ロックミュージシャン」などとそんな洒落た言葉はなかったが、ただの「エレキ小僧」だった僕は世間では不良のなり損ない、鼻つまみ者。15の時から大人に混ざっての「エレキバンド」。ダンスホールにパーティーに。
 そして時はまさに空前の「エレキブーム」の到来で街中が猫も杓子も「テケテケテケ―――」と、アストロノウツの「太陽の彼方へ」とか、ベンチャーズの「ダイアモンドヘッド」とか。テレビでは連日連夜「エレキ、エレキ」。
 そんな時代が嵐のように過ぎ去った。それが昭和45年春も宵・・・・・・

 高崎から東京に出るには上野までは行かずに「赤羽」で降りる。なぜならその頃の僕の東京は渋谷か新宿だったからだ。
 赤羽は当時は高崎線と東北本線。それに京浜東北線が高架を走っていた。赤羽を降りるとさらに狭い高架通路を渡って木戸で改札を受けて「省線」のホームに出る。僕等は何故かそれを「省線」と呼んでいた。赤羽と池袋を往復する赤茶けた戦前から走っている電車だ。窓も椅子も木製のやつでその車内は独特の油臭い匂いがしていた。
 しかし僕等にとっては、それこそが「東京」の入口、憧れの匂いだったのだった。

新聞で知った、「渋谷ジャンジャン」のオーディションをまず受けるための東京だった。はっきり言って「宿なし」であった。もちろん東京で学生生活をしている友だちの部屋に転がり込むことにしていた。
省線、赤羽線で池袋。そこで山手線に乗り換え高田馬場で西武新宿線にさらに乗り換え、新井薬師へ・・・・・

その夜はその友だちと大酒をかっくらって壮大な夢を語り合ったのは言うまでもない。
誰にでもあるであろう。そんな青春の一頁が。そして光と影が。そして僕はいまもそんな「光と影」の中に生きている。





昨夜、中三の末娘と「夢」の話をした・・・・・
僕のその頃の夢の話をした。

「夢・・・・・見なくちゃ勿体ないぞ、今、夢を見なくていつ夢を見るんだ」

僕は娘にそういった。

いっぱい夢を見て、そのうち、ほんの少しでもいいから叶う・・・・・

「まいっか!!
今のパパがそれだ」

それが人生だよ。もちろん大きな夢がかなって、大成功している人もいる。それに越したことはない。
その頃の時代の友だちが一人いる。

そんな「夢」、レールがしかれているかもしれない。時代時代のどこかで太い糸で結ばれてるいのかもしれない。
でもそれがわかったら、誰も努力なんてしなくなる。わからないからこそ人生が楽しいんだ。
末娘、いよいよ受験。それも夢の一歩・・・・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 11:40Comments(0)

2009年12月05日

押尾学に逮捕状(再)です!!

押尾学に逮捕状(再)です!!





押尾容疑者に逮捕状 MDMA譲渡の疑い
2009.12.5 01:00 産経ニュース

 押尾学元被告 元俳優の押尾学元被告(31)=麻薬取締法違反罪で有罪判決=と一緒に合成麻薬のMDMAを服用したとみられる飲食店従業員、田中香織さん=当時(30)=が死亡した経緯をめぐり、警視庁捜査1課は4日、押尾元被告が田中さんにMDMAを渡した疑いが強まったとして、麻薬取締法違反(譲渡)容疑で逮捕状を取った。捜査関係者が明らかにした。

 捜査1課は田中さんの携帯電話を捨てた証拠隠滅容疑で元マネジャーと、押尾容疑者にMDMAを渡したネット販売業の友人の男についても逮捕する。また、押尾容疑者から過去にMDMAを譲り受けたモデルの女性からも事情を聴く。

 捜査1課は押尾容疑者がMDMA譲渡の発覚を恐れ、田中さんの異変直後に119番通報しなかったとみて、引き続き保護責任者遺棄容疑などで捜査する。
 捜査1課の調べでは、押尾容疑者は8月2日午後2時半ごろ、東京・六本木の「六本木ヒルズ」の一室で田中さんとMDMAの錠剤を飲んだとされる。「田中さんから錠剤を手渡された」などと供述していた。

 しかし、捜査1課が田中さんの所持品を調べたところ、MDMAを入れるような容器がなく、カバンなどからMDMAの成分も検出されなかった。

 こうした状況から、捜査1課は押尾容疑者がMDMAを用意し、田中さんに譲渡したとみて捜査。押尾容疑者の交友関係や周辺者から事情を聴くなどした結果、譲渡した疑いが強まった。



大スキャンダルに発展か!!???

その時その部屋にいたのは押尾学と田中香織さんだけではなかった・・・・・・
っていうのがその辺の情報ツウの情報です。

まっ、元首相の息子だとか。
で、田中香織さんの携帯電話を捨て証拠隠滅を図ったとかの押尾のマネージャーにも逮捕状が。


で、元首相の息子ってどなた・・・・・???

で、その一件、もみ消し工作しておったわけですが・・・・・・・
とある政党、野党になっちまいました。

まあ、MDMAも入手経路の目星がついたんでしょうか。
  


Posted by 昭和24歳  at 07:33Comments(0)

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