2009年05月19日

高崎市教委修学旅行実施




群馬県高崎市教委は十八日、市立中約十校の月内の旅行を予定通り実施する方針を決めた。

 吉井一・学校教育課長は「学校側が『マスクを持ってでも行く』と希望する以上、京都、奈良に『行くな』とは指示できない」。東京都内でも区立中のうち九校が同日、京都、奈良へ出発した。

 栃木県教委は「月内に複数の小中学校が関西旅行を予定しているが、自粛要請などはしない」と様子見の構え。埼玉県も自粛は求めず、慎重に検討するよう市町村教委や学校に要請するにとどめた。



吉井一・学校教育課長は・・・・・・

「学校側が『マスクを持ってでも行く』と希望する以上、京都、奈良に『行くな』とは指示できない」。

とのことですけど・・・・・

「マスク買っといて!!」

って娘が言ってました。
ホテルに缶詰めになる可能性も否定できません・・・・・・
当然、行動は制限されるようです。

まあ、どうなんでしょう。最悪の事態を想定した場合です・・・・・・
中止じゃあなくて、延期にしたらいかがでしょうかと、親としては思うのですが。

旅行会社や、京都、奈良、大阪の受け入れ先も大変でしょうけど・・・・・

 
集合の駅で延期通知 大阪の中学

大阪市がすべての市立学校の七日間休校を決めた十八日午前、修学旅行に出発するためJR新大阪駅に集合した市立高倉中学校(都島区)の三年生百六十人を前に、山ノ井寛久校長は修学旅行の延期を伝えた。「残念だが戻ります」。引率した教諭によると、最初きょとんとした表情を浮かべていたが、本当だと分かり「うそっ」と涙ぐむ生徒もいたという。


新型インフルエンザの感染、急速に拡大続ける公算=WHO事務局長
5月19日4時19分配信 ロイター

[ジュネーブ 18日 ロイター] 世界保健機関(WHO)は18日、新型インフルエンザ(H1N1型)について、人から人への感染が世界中で急速に拡大し続ける公算が大きいとの見方を示した。
 マーガレット・チャンWHO事務局長は年次総会で、新型インフルエンザがH5N1型鳥インフルエンザウイルスと混合した場合、大きなリスクにつながる可能性があると指摘。新型インフルエンザの感染拡大により、鳥インフルエンザウイルスがどのように変異するかは誰にも予想できない、と語った。
 また、HIV/エイズや肺炎の患者にとってリスクとなる可能性や、混雑したスラム街などでの感染リスクを指摘した。



やっぱり強行するんでしょうか・・・・・・
高崎市教委は!!???


延期じゃあまずいんでしょうか・・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 18:55Comments(1)

2009年05月19日

エゴなエコ2



 「不都合な真実」に矛盾する不都合


貧困層が負担する富裕層の電力

太陽光発電で固定買い取り制度、2010年に設置申し込みが殺到も 自然エネルギー

 ドイツで太陽光発電が急速に普及した原動力になった制度が、2010年度に国内に導入される見通しだ。これまで約20年だった太陽光発電の投資回収期間が10~15年に短縮。2010年の市場急拡大は必至だ。

 自然エネルギーによる電気を電力会社が長期間、固定価格で買い取る制度は「フィード・イン・タリフ(FIT)」と呼ばれる。ドイツでは2004年に1kWh当たり約60円で20年間買い取る制度が始まった。この条件だと10年足らずで投資回収できるため、大規模な太陽光発電所が次々と設置され、爆発的に普及した。



で、日本も導入だそうです。しかし・・・・・・

「日本版FIT」を発表したのは、総選挙を前にした自民党による政治決断だったからだ。これまで経産省は、太陽光発電の普及策として電力会社に一定の自然エネルギーによる電気の導入を義務付ける「新エネルギー等電気利用法(RPS法)」を軸にしてきた。今年に入り、追加対策として設置補助金を復活させたものの、「FITには欠点も多い」として後ろ向きだった。

つまり、麻生政権の選挙対策の一環でした。
で、その買い取り保証、1kWh当たり約50円で10年間買い取る制度とかですけど、まあ元をとるのに20年とかです(笑)。
しれにしたって、はたして日本全国でどれくらいの家が「ソーラパネル設置」に耐えうるでしょうかです・・・・・・
それは、経済的にも、家の構造的にも。

まあ、鳩山民主党代表の選挙区では「灯油さえ買えない」おばあちゃんがいるそうです。

「高まる貧困率」

とかで、世の中大変ですね。まあ、ドイツの事情は知りません。
しかし日本の住宅建築のレベル・・・・・普通の分譲建売で、30年ローンだとして、30年後には「建て直し」するか、
もっとも、子どもも大きくなって「爺婆」の生活です、ハッキリ言って30年後には・・・・・

電力の心配よりもっと他の心配がありそうですね(笑)。

まあ、ソーラーパネルシステムは自家用車1台分のお値段です。
そんな自動車だって、精々が10年、その間車検が3回に税金とか故障とかです・・・・・・
だから、「ソーラーパネル」が20年も30年も全く故障なしという保障はありませんね。

まあ、アレです、屋根の上の温水器みたいなやつもなんか家の景観を壊すだけで対して普及してません。
朝日ソーラーとかの屋根の上の温水器屋みたいのもありましたけど・・・・・・
強引商法とかでさっぱりじゃあなかったでしょうか。


で、電力会社、東京電力とかが余剰電力、余った電気を買ってくれるとかなんですけど・・・・・
まあ、笑わせます。
東京電力の1kwhの発電原価が原子力で5.3~13円程度とされ、最も安い発電はLNGで7円ほどとか。
まあそもそもが揚水力ダム発電という、原発のためのダム発電は1kwh=100円とかの世紀の無駄の政策発電ですから、
これが、その他の安い電力を食っちゃっているわけですけど、
それでも平均が家庭用で1kwh20円前後とかですから、それを政府自民党は東京電力に一般家庭余剰電力を・・・・・・・

1kwh=50円で押し売りっていうんですから、

当然東京電力だって、その仕入れ原価は電力料金に上乗せするわけです(笑)。
で、こういうことなんですけど・・・・・・

日本版FITでは、投資効率を下げてメーカーに対するコスト削減圧力を維持しつつ、余剰電力に限定して「もうけのための太陽光発電」を排除。その上で買い取りによる電力会社の費用負担を薄く広く電力料金に上乗せする。経産省の試算では、毎月の電力料金は1世帯当たり数十円~100円程度上がる見込みだ。

結局、ソーラーパネルつけた人も、まあ富裕な人たちでしょうから政府の音頭で踊りますけど・・・・・・
まあ、そんなもんつけたら生活できませんっていう人、多くの国民の電気料金が値上がりするというおかしな話です。

まあ、地球温暖化とかですけど・・・・・・
人知の及ばない、それこそ地球規模の、46億年の大自然の話です。
まあ、マンモスとかの氷河期の話とか、ジュラシックパークの話とかもあるわけですから・・・・・・
それよりなにより第三世界の飢餓、貧困は、「ソーラーパネル」も糸瓜もありません。

まあ、京都議定書すら批准しない世界第一の経済大国なんですから。
で、その国のかつての副大統領が、エコでノーベル賞って、
それこそ寓話の世界の話です。 

  


Posted by 昭和24歳  at 16:33Comments(0)

2009年05月19日

エゴなエコ

魂を奪われる古都ケルンの大聖堂




大聖堂は第二次世界大戦時のケルン市に対する英米軍の空襲で14発の直撃弾を受けた。内部は激しく破壊されたものの全体は崩れなかったため、1956年まで復旧工事が行われ、元の状態に復元された。この際に周囲の廃墟から再利用した粗悪なレンガで復旧された部分が残っていたが、1990年代に入り空襲前の外観に戻す作業が始まっている。


 御存じの通り、古都・京都は新幹線側から北の街を一望することができなくなった。
 つい先年まで奇怪な京都タワーが駅前に見られたのだが、今では、醜悪な駅ビルが天をついてそびえたち、京都タワーばかりか、一切何も目にすることができなくなった。
 遠望すれば丘陵起伏する連山が一面に展開された古都は、その入り口に着いた途端、どこにでもあるコンクリートの衝立に視界を阻まれ信じがたき光景と変わった97年12月、ここで開催されたのが地球温暖化防止のための国際会議であった。
 一体誰が、街の影絵を垣間見ることさえ許さない、このように愚かな建築物を計画し、一体いつ誰がそれを承認したのか、旅人は知らない。しかし、一人二人で計画尾を進めたはずはなく、行政をあげての事業であっただろう。
 何年も前から、京都に高層ビルを建てること自体が、「古都の景観をそこねる」という寺社関係者による強い反対の声を受けていたが、それは日本人の多くの気持ちでもあった。
 
 外国へ行けば、街の文化は最大の財産として保存されている。
 ライン川ぞいのドイツの古都ケルンでは、駅前に、見上げんばかりのゴシック式大聖堂が威容を誇っている。列車の窓からそれを一望した旅人は、車窓に走りよりて、見知らぬ人と顔をあわせて驚嘆の声を上げる。ケルンにおりる予定のなかった人でも、これを目にすれば、思わずこの駅におりてしまう。
 しかもこの大聖堂の修復は、何百年にもわたって続けられ、職人と芸術家たちの気の遠くなるほどの努力により、八世紀末の時代へと、旅人を手招く作業がほどこされている。
 ごく自然なつくりのケルン駅には、日本のようなやっかいな階段も改札口もなく、プラットホームから地続きの大聖堂まではほんの何メートルという距離で、駅そのものが聖堂への参拝口の趣をもつ。鉄路を走ってきた列車と、それを迎える街全体が、さあ大聖堂へお入りなさいとささやき、この生きた遺跡を守っているような親近感がある。
 あたりにもまた、この建築物の景観をこわす邪魔なものはない。観光客のためのみやげ物屋が、道路ぞいに軒を連ねることは許されているが、そこから、ながらかな勾配の道をのぼれば、さらにゴシック建築の全身を目におさめて、宗教と宗派にかかわりなく、崇高の念に呑まれ、あたりに溶け去る近代人の姿に不思議を覚える。

 これは一例で、それはず抜けてよい例であるだろう。しかし日本の車窓でも、新幹線で静岡県を通りすぎる時には、天候さえよければ、ほとんどの人が茶畑に富士山の雄姿を見て、心が満たされ、「今日は運がよかった」と思うものである。

 ドイツには近代的な金融街フランクフルトもあり、そこには冷たくモダンなドイツ銀行本店が、それらしく天にのばしてもいる。ところが金融街と反対の区画には、古都としてのフランクフルトの街並みが保存され、古い石畳の道は、ベンツやフォルクスワーゲンとも調和を保っている。ドイツ北部には、港町の潮汐さざめく歓楽街ハンブルクもあって、ここからリューベックまで足をのばせば、現代から、手風琴の調べ漂う古きよき時代へと旅人を招いてくれる。
首都として甦るベルリンの駅前には、世界的な動物園があって、待ち合わせ場所として誰にでも利用され、長い旅の疲れを癒すように、静かな木々と庭園が広がっている。南へ道をとれば、ミュンヘンからオーストリア、スイスへと至る恍惚の街道が山間をぬって走り、満山の景勝に心を奪われる。

 ドイツと日本は、第二次世界大戦の爆撃をうけ、いずれも徹底的な都市破壊にあった国である。戦後は、占領の苦難を味わい、そこから這いあがって、今ではヨーロッパ最強の通貨マルクを誇るドイツと、世界最大の預貯金高を誇る日本となった。ところがその復興の過程で両者には大きな違いがあった。
 ドイツ人がここまで風光を甦らせるには、建築物ひとつ、喬木一本におよぶまで、実に厳しくそれを守りぬく芸術眼的な規則をつくらなければならなかった。この規則は、やがて全国民にとって暗黙の了解となり、一度破壊してしまえば修復できないものは、かけがえのない財産だと認められている。また、その保存にあたっては、街全体との色彩の調和や、時代的な格式の統一がはかられている。一部の人間のために、このような共有財産の景観を損なうことが許されないのは、目を愉しませる風物が、日々を愉快にする人生そのものであるからだ。
 ドイツばかりでなく、ここに連なるオーストリアの雄大な城郭も、今度はモーツァルト調べと共に、巧みに四面の山岳地形を活かして、彼らなりの誇らしい伽藍の街並みを演出している。
 これに比べて、何と哀れな古都・京都のすがたであろう。かつてロートレックが惚れ込んでポスターに描いた日本人の芸術感覚が、怪異なビルの谷間で次々と埋め殺しにされている。
 京都府は、丹波から丹後へと北に広がって、日本海に接する。この北西方向の列車に乗った行路は、しばらくして京都市を離れると、渓流下りで知られる保津川の山峡地帯をぬけて走り、遠望さわやか、天橋立に至る長途をいたわってくれる。こちらの京都にゆけば、一千年の昔をしのばせる峠の街道を窓に見て、ふとそちこちに飛脚や町民の着物姿を想像し、その時代と今の己を較べたくなる。
 天橋立から。外海に面した奥丹後半島まで出ると、さすがに“浦島太郎と竜宮城”の童話を生んだ里である。
 先般訪れた時には、天候の変化めまぐるしく、冷たい雨に迎えられたが、身を乗り出すほど絶景の海岸線は、いよいよ桜満開から五月の暖気へと山容を変えつつあった。だがその海岸に、雨のなか、もくもくとして働く人の姿があった。みな下を向き、砂浜から何かを拾い集めていた。

広瀬隆「地球の落とし穴」より抜粋引用

子噛み孫喰い

まさにこれまでの戦後政治、高度経済成長期以降の自民党政治は「子噛み孫喰い」の政策の連続。
今度の14兆円とかの補正予算もその最たる典型ではないか。

エコというエゴで、エコカー、エコ家電の購入には減税をというが、その恩恵を受けるのは・・・・・・・
そのエコカー、エコ家電を買えるのは、その意味では豊かな階層、こくみんであろう。

しかし後に言われる消費税増税で負担を強いられるのは、ほとんどがその恩恵にあずかれない大衆である。
高速道路、祝休日“1000円”しかりである。車に乗らない人、自家用車を所有していない人・・・・・・
所有していても、高速道路を利用しない、利用する必要性のない人、利用していても“ETC”を未搭載の人等である。

また、エコ電力だという、数100万円のイニシャルコストと、余剰電力を電力会社が購入するとかの・・・・・・
「安価な電気料金」とかだが、その費用は、それらを利用しない人、出来ない人が等しく、強制的に電気料金に上乗せされ、
また、近い将来の増税で強制的負担が待っている。

原発による電力が、開発当初、30年後には限りなく無料になる「電気料金」とうたわれて立法、施行されたが・・・・・・
今日どうだ、限りなく「無料」どころか、さらなる負担が強いられつづけている。
どこまでも中途半端な行政のお政策は、一部「持てる」国民だけに恩恵を与え、
その他大勢の国民には、ただ「負担」のみが重くのしかかってくるという現実だけのありさまだ。

この街でも、近い将来には確実な「人口減少」、それも40%もの人口減少が50年以内に起こるというのに、
相変わらず、需要増予測の道路、箱モノの公共事業がなされようとしている。
不必要な部門へは、あらゆる理由付けで税金を投入し、本当に市民が、国民が必要としている問題には・・・・・・
ただ、財政難を理由に事業を遅滞させるか、増税との引き替え、受益者負担を強制する。

「子噛み孫喰い」の政治と行政・・・・・

そろそろ国民大衆は覚醒するべき時ではないか・・・・・
つまり、「受益者」は負担していない。
非受益者の実が負担を強いられている現実を知るべきだろう!!


エゴなエコという現実から!!  


Posted by 昭和24歳  at 12:25Comments(0)

< 2009年05>
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
過去記事
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 125人
プロフィール
昭和24歳
昭和24歳
オーナーへメッセージ