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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年05月08日

5.08衆議院予算委員会

衆議院予算委員会





追加経済対策14兆6987億円 補正予算案を閣議決定
4月27日15時18分配信 産経新聞





政府は27日午前の臨時閣議で、新たな追加経済対策の裏付けとなる平成21年度補正予算案を閣議決定し、国会に提出した。一般会計総額は13兆9256億円で、100年に1度といわれる経済危機の克服に向けて大盤振る舞いの財政支出となった。当初予算と補正を合わせた21年度の一般会計総額は102兆4736億円で過去最大となる。

 補正予算案は、追加経済対策関係経費に14兆6987億円を計上。財源に21年度当初予算に盛り込んだ予備費1兆円から8500億円を取り崩し、埋蔵金と呼ばれる財政投融資特別会計の積立金から3兆1000億円を繰り入れる。



問われる“賢い予算” 大盤振る舞いの補正で
4月27日22時40分配信 産経新聞

政府は27日、新たな追加経済対策の裏付けとなる平成21年度補正予算案を閣議決定し、関連法案とともに国会に提出した。補正予算案と当初予算と合わせた21年度の一般会計総額は、102兆4736億円と初めて100兆円を突破。経済危機の克服に向けて大盤振る舞いの予算編成を進めるが、経済効果の高い施策に国費を集中し無駄を省くことができるか、“賢い予算”が問われている。

新たな追加経済対策は、再就職支援など「雇用対策」に1兆2698億円、中小資金繰り支援など「金融対策」に2兆9659億円、エコカー買い替え補助などに1兆5775億円を投入。補正予算案は追加経済対策関係経費として14兆6987億円を計上した。


まあ今日の民主党質疑における政府、閣僚答弁は無茶苦茶だ(笑)。



適当な時期に政府は景気を操作します。
今日の「不況」も意図的に作られたものでです。

まあ、アメリカ発だとかなんだとかだけど、「恐慌詐欺」とかの話まである。

どうしてなのか、なぜか・・・・・???

政府は所謂「団塊の世代」、ボトムアップ世代の「思考と行動」を膠着させるためです。
まあ早い話、小うるさい高齢者のなりそこないの息の根を止める算段だろう・・・・・
それはそうだ、今後5年間で想像を絶する「国家公務員」と「地方公務員」の退職金が発生する。
と、同時に、共済年金給付もだ!!

財源は全て「税金」です。

今や、大衆、国民は完全にコントロールされた管理社会が「アメリッポン人」が実態です。
意識の「自由」はあっても「思考と行動」が経済的に「束縛」されては膠着、停止せざろう得ません。
目に見えない「鎖」です。まさに21世紀版の「奴隷国家」です。
少なくとも昭和40年代('70s)混沌とした世界情勢の中にもその団塊の世代はそんな「社会」に果敢にアタックしました。

時代の流れだったけど、海外渡航の自由化と通貨の自由取引で・・・・・
一斉に20代の青春は「Tシャツ」と「Gパン」で世界に飛び出しました。
その若さと言う爆発的エネルギーで世界を直視し今日の音楽、アート、服飾文化を創造してきたことは事実だ。

しかし、この国が豊かになったと言われれば言われるほど、次第にその行動は知らず知らずに「抑制」されてきたのです。
夫々の家庭は家電製品で溢れ、自家用車は溢れ、高速道路・鉄道網は整備されテレビ、メディア情報は氾濫のごとく。
僅か、カリフォルニア州ほどのスペースに6社のナショナルネットワークが24時間情報を垂れ流しています。

「アドミニストレータ―」国家管理者は敗戦に疲弊し、復興に困憊した「子羊」のような国民に幻の豊かさを与えたのです。

高度成長経済という「幻影」・・・・・

そこそこに公共事業で構築整備された「社会環境」と「生活環境」。
しかしこの国の国民が「アドミニストレータ―」に支払わなければならない「その」使用料は、世界一高いものです。
国民に与えた「餌(経済)」はものの見事に河を逆流させるものでした。
一億総「中流」意識国家というのがそれでした。

世界の貧困をメディアは見せつけ、世界の豊かさは隠し続けてきたのです。
かつて果敢に世界に雄飛した若者は今や人生の佳境に暮らしています。
考えもしなかった「年金」を、夫々が口にし、昨日も連夜で国営テレビが年金の世代間戦争を煽ってました。

占領国から解放されたこの国の「アドミニストレータ―」は・・・
60年代、70年代の大衆の労働、学生運動の危険さに気付き徹底して国民に「アメ」を与え続けました。
国民同士を「争わせた」のです。形の上での「社会主義」と「資本主義」の二者択一を迫ったのです。
ソ連のような「全体主義」か、アメリカのような「自由主義」か、どっちが良いかと?
そして今はスウェーデン等北欧型の高福祉高負担、大きな政府か、アメリカ型の自己責任社会かだったが・・・・・・
そのアメリカはご案内の通りだ(笑)。

昭和40年代の高度経済成長終焉移行の文教行政は画一的な教育、倫理なき官僚的教師に教育される子ども達の「暴走」。
それが、大きく社会問題化した、昭和50年代に始まった「学級崩壊、校内暴力」です。
残念ながら「アドミニストレータ―」の末端にいる地方の教育者には為す術もありません。

しかし、「アドミニストレータ―」にとっては、不良少年も暴走族も大衆の意識を分断するには好都合な存在でした。
その少年達はかつての意識に目覚めた「暴走」ではなく・・・・・
退廃的で甘えた家庭に育てられた少年達の「発狂」だったからです。
吠えるだけ吠えさせて後は適当な時に警察権力で一網打尽にし野に放つ。結局それが今日の児童虐待とかを呈している。
そのことで、労働ストライキ、学生運動が起こるわけでもありません。

従順な子羊の群れの大衆は・・・・・

「何とかしてくれ」

と国家権力にすがりつくだけですから、

「アドミニストレータ―」

の術中です。

今日、疲弊しきった大衆には家にこもって、テレビで戦争を見るか、サッカー、野球、芸能ゴシップを見るか・・・
同じように情報を閉ざされ「目隠しをされた」、北朝鮮人民を哀れむか・・・
まさか、自分達が目隠しされていることにも気付かずに。

馬鹿高い「電気料金」を支払わされながらの・・・・・

「アメリッポン人」 
  


Posted by 昭和24歳  at 16:13Comments(0)

2009年05月08日

2055年5月7日(月)

2055年5月7日(月)



できることなら・・・・・・
木々の木漏れ日に包まれて眠りたい。




麟太郎は従兄弟、太一兄貴の呼びかけで久しぶりに高崎の祖父母の墓参りをした。
高崎は2年ぶりだった。母さんの米寿の同窓会とかで、その付き添いに妻、洋子と長男の一人、長女、莉乃と一緒に。


NEWS-PACKET

今日はATOM-EXで新宿から札幌行きのノースラインに乗って・・・・・・
新宿駅でNEWS-PACKETを買ったけどそれを読む間もなく12分丁度で高崎についた。
子どものころ・・・・・と言っても小学2、3年の頃だったろうか、あの頃は新幹線Maxとかいって東京駅からえらく時間がかかった記憶があった。
もっとも、そのMaxの中のKIOSCでの買い物が楽しみでよく父にねだったもんだった。

Maxといえば、太一兄貴があの頃そのMaxにはまっていて・・・・・
そうだ、叔母が言うには小さい頃はオモチャのMaxをいつどこへ行く時も片時も離さず持ち歩いていたという。
そんな太一兄貴、Max狂のせいなのか、「三つ子の魂百」までなのか、40まで2040年に民営JRから国有JRになったATOMのキャプテンをしていた。
今はチーフコンダクターで乗客の世話係だとか。
そういえば、どこの駅でもやたらと駅員が多い。全てが自動化されて、10年ほど前まであった改札も今はない、MAGに乗る時と降りる時にIDをポートに充てるだけ・・・・・
それに、昔あった指定席とかグリーンとかもない。とにかくリニアなので動力コストはほとんどゼロ、原発と同じようなもので一度稼働させたら止めることができない。
つまり、超高速で動かすよりもブレーキをかける方に相当のコストかかるとかの話を聞いたことがある。

久々の高崎駅だった・・・・・

「へえ、変われば変わるもんだなあ」

麟太郎はそうつぶやきまだゴチャゴチャしていた子どもの頃よく来た高崎駅を思い出していた。
あの賑やかだった街並みはすっかり消え、見渡す限りが森のようで、その中に10階ほどの建物がいくつかニョキッと姿を見せているだけだった。
自動車もほとんど走っていない。走っているのはコミューターと、アナログの自転車だけ。
そのコミューターだが高崎駅をハブにして敷設されたリニアレールを滑るようにして東西南北に走っていた。

そうそう、高崎駅っていっても、昔のそれではない。今、幹線リニアは全て高深度、ホームはどこの駅も地下10階ほどにある。
だから駅の真上は広大な公園でその公園の中心が「コミューター・ハブ」と、10キロ以上の地域を結ぶリニアモノレール駅。
それがこの高崎にはかつての上越線、両毛線、信越線、高崎線、八高線、そして上信線に沿って広がっている。
なんでもその上信線とかは20年前、JRの国有化と同時に解散し、国有JR の下、本当の意味の「上信」、上州と信州を結ぶ路線で、中信の松本まで開通していた。
まあ、リニアモノなので松本までは3回のトランスファーで2時間チョイかかるとか言っていたが、つまり観光路線って言うことだろう。
で、その甲斐あってというか、富岡、下仁田方面が相当観光開発されたとかがNEWS-PACKETで特集していた。

「オーッ、麟太郎、しばらく・・・・・・まあ、しばらくって言っても半年ぶりくらいか。チイちゃんのお見舞いに行ったときだから。
どうだ、チイちゃん元気か、そうそうゾウさんも?」

太一兄貴は相変わらず僕の母さんとオヤジのことを「チイちゃん」、「ゾウさん」って呼んでいる。
そういえば、物心ついてだったが「なんか変?」て思ったことがわが一族にはあった。
なにかといえば、これから墓参りする祖父母なんだが太一兄貴もマナ姉、マヒロ姉も、その祖父母のことを「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばずに「パパ、ママ」って呼んでいた。
まあ、僕もつられてというかつい「パパ、ママ」って呼んじゃっていたんだけど、困ったと言えば、小学校の頃の運動会で来ていた祖父母に「パパ、ママ」って僕が言うもんだからみんなおかしな顔してみていた・・・・・
保育園のときなんか先生が「パパじゃあないでしょ、おじいちゃんでしょ」って言っても、「違うよ、パパだよ、おじいちゃんじゃあないもん」とかいって先生を困らせたらしい(笑)。

「で、麟太郎、オマエ、シアトルに行っちゃうんだって。おふくろが言ってたよ、チイちゃんから電話があってそう言ってたって。
で、ゾウさんまだやってるんだって・・・・・?もうすぐ80だってえのに元気だなあ」

「まあね。オヤジは壱岐で珈琲ショップの名物オヤジで、ピンピンシテいるよ。母さんもあのとおりのんびり屋だからすっかり壱岐のおばあさんになっちゃって・・・・・
そう、そんな電話してたの、叔母さんに。
まあ、来年になると思うけど、シアトルのヘッドにならないかって言う話なんだ・・・・・
で、俺らの仕事って完全なディヴィジョン、事業部制、独立採算だから日本でやるよりあっちの方が正直楽なんだ。
一人は来年は大学卒業だし、莉乃も大学だろ・・・・・シアトルたって俺と洋子だけ。オヤジと母さんにも一緒に行かないかって言ったんだけど壱岐がいいって。オヤジ、学生の頃留学してたって言うのに。それに、一人が壱岐に帰って漁師になるとか言いだして、オヤジ大喜びなんだ。
実は、壱岐のおじいちゃん、おばあちゃん二人の息子を島から出しちゃって、ホントはどっちか戻ってきてほしかったんだろうけど・・・・・
で、オヤジが壱岐に戻ったのはおじいちゃんとおばあちゃんが90過ぎてから、でも相当喜んだらしい。俺も帰ればもっと喜んだんだろうけどね。
で、そんなオヤジがもう80だよ。だから一人が壱岐に帰るって言ったらその喜び様はなかった。母さんもね。
で、母さん、一人に『壱岐で嫁探しは難しいから、それまでに誰け見つけろ』って言ったらしい」

「ウワーッ、チイちゃんらしいな!!」

「そうなんだ、母さんは天然だからね。万事塞翁が馬っていうか物事を悪く考えたことがない。
まあ、オヤジもそんなところあるかな。似た者夫婦って言うの、ああいうの・・・・・
で、日本では一、二って言われるほどの仕事を『跡ができたから』ってすっぱり辞めて壱岐に帰っちゃったんだからすごいって言えばすごいけど。
なんでも、オヤジの珈琲が飲みたくてわざわざ壱岐までツアーで来る奇特なお客さんが結構いるらしいんだ。
今じゃあ壱岐の貴重な観光資源なんだって」

たしかに、人生に迷いがないっていうか、ゾウさんもチイちゃんも・・・・・
そういえば、麟太郎、チイちゃんにそっくりだ、とくに横顔、エクボが出来るところなんて。
で、こいつ、麟太郎もシアトルって言うことは「万事塞翁が馬」じゃねえの・・・・・


公園都市「たかさき」

「どうだっ、変わっただろ!!高崎・・・・・あんなにゴチャゴチャしていた駅前が、ほら森だよ。俺たちが生まれる前にすったもんだで建てられたって言う高崎市庁舎、21階だけど、そろそろ寿命だってさ。だけど壊すに壊せない。莫大なカネをかけて補強に補強を重ねるんだろうけど、それにしてもバカなことをしたもんだな。」

「東京の副都心だって同じさ。でもあれって1970年代だろ、もう80年以上になるけど、なんとか建ってるねぇ・・・・・
まあ、40階がゾロゾロだけど、壊せないよね。壊すとしたら爆破させるしかない。戦争で壊すっていう手もあったんだろうけどね」

「オイオイ、麟太郎、物騒なことを言うなよ!!」

「冗談だよ、冗談。それにしても高崎は変わったね・・・・・
あの頃の面影がどこにもない。で、昔街中に住んでいた人たちどこへ行っちゃったの?」

「あれは2010年の頃だったろうか、まあその前の年、いや、2008年か・・・・・・俺ら子どもだったからわからなかったけど、そうさ、麟太郎、オマエが生まれた年だよ、平成20年10月、アメリカの金融マフィア、リーマンショックとかいってバタバタ銀行証券、保険が潰れた。
で、アメリカといえば20世紀、自動車産業発祥でアメリカのシンボルだったけどその2008年の金融恐慌でクライスラーとかが破綻した。
パパが話してたけど・・・・、パパって言ったって、アッチのパパだぞ。それまではクライスラーは『アイアコッカ会長』とかで世界一とまで言われていたらしい。
それが、破綻、倒産だ。まあ、あの2008年の出来事が多分新しい歴史の始まりだったんだろうな。
なにせ、オマエ、2009年には、ほら、教科書にあったろ『人種差別国家』なんて、つまりアフリカ大陸からアフリカ人を狩るようにして連れてきて奴隷市場とか言ってアフリカ人を売買していた。そんなアメリカがどんな理由にせよ、白人至上主義国家とまで言われたアメリカがアフリカ系『黒人大統領』を選んだ・・・・・
これは、コペルニックスどころではないある種革命だったんだ。」

「そうか・・・・・確かに東京も変わったよね。オリンピックするとか言ってたけど結局あれって、シカゴになったんでしょ。で、次の次、オリンピック広島だって言うし、まあ、兄貴、俺が47だよ今年、変わるよね、そりゃあ・・・・・」

そんなとりとめのない話で時間を遊んでいると、僕らのいるポートにアイボリーの胴体にオレンジのラインの入ったコミューターがスーッと横付され、音もなく開いたドアから相変わらず顔にしわの一つない叔母さんと太一兄貴の奥さんの裕美さんと今年高校生になったばかりの長男、健太と小6の二男、優太、小4の長女悠里が降りてきた。

「おお、麟ちゃん久しぶりだねえ・・・・・
今日はよく来たねえ。シアトル行っちゃうんだって。一人君は壱岐に帰るんだってぇ、毎日のようにチイちゃんから電話がくるよ。楽しみでしょうがないんだね。よかったよかった。
そうだねそうだね・・・・・太一、ほら、早く車もってきないとダメじゃないか、ほら、みんなを待たせちゃ・・・・・」

相変わらず叔母さんは太一兄貴を子ども扱いで、命令口調。でも太一兄貴もそれを嬉しそうに「ハイハイ」と、僕ら、みんなを見渡しながら聞いていた。

「おじいちゃんの店に寄ってから行くからね、あそこ。そうだね、マナもマヒロ、みんなおじいちゃんの店いに行っているはずだから、急がなくちゃね・・・・・」

そういって叔母さんは太一兄貴をせかすようにして腕を叩いた。
義姉の裕美さんが声を殺して笑っている・・・・・


地域通貨“GREEN BUCKS”

今は、車は自家用にしている人はいない。自家用車には高率な保有税がかかるからだ。その分、公共の交通機関はかゆいところに手が届くほどに発達している。
コミューターがそれだ。網の目に張り巡らされたリニアラインでほとんど「ドア・ツー・ドア」で利用できる。しかも乗車定員8人で、利用料金は5グリーンバックス。つまり一人でも8人でも5グリーンバックス。
そう、あの頃、2009年ころなら1000円ていうところだろうか・・・・・
市内10キロ四方どこまで行っても。もちろん75歳以上の高齢者が乗車する場合は付き添い含めて無料。

「ほら、来たよ、来たよ、太一が・・・・・・
さあさあみんな乗って、乗って、急がなくちゃあね。みんなが待ってるから。ホラ、ホラ、太一、急がなくちゃあ」

「昔はよく自動車でいろんなところ連れてってもらったね。母さんも運転してさ。あんときは家に2台もあって、終いには僕も姉貴たちもで5台にもなった時が・・・・・
今はこうして、駅とかモールにはオンデマンドのカーパーク“METRO”があるからいつでも一回10グリーンバックスで利用できるから、しかも運転もほとんどJPSだから楽チンだし・・・・・
だから、母さん、急げっていっても場所場所でスピード・リミッターかかってくるから無理なんだよ」

「まあまあ、不便になったもんだね、この時代にさ。あの頃は街中だって60キロ、70キロで走ってたんだからね」

「ええ、おばあちゃんスゴイ!!そんなスピード、目が回っちゃうよ僕」

二男の優太がそう言うと、

「まあまあ、優太は太一そっくりだね・・・・・・
あたしがちょっとでもスピードを出すと、『ママ、コワ~イ』とかいってしがみついてきたんだからね」

METROの中は大爆笑だ!!

烏川、聖石橋を渡るとそこは観音山丘陵に沿って碁盤の目に整備された「居住ゾーン」が広がっていた。
そこの中心にあるショッピングモールのカフェで叔父さん、そしてマナ姉、マヒロ姉たと家族と待ち合わせていた。

「叔父さん、相変わらずたばこ吸ってるの?」

叔母さんに聞いてみた・・・・・・

「なんでだろうね、あんな気持ちの悪いもの。止められないんだね・・・・・
今、ひと箱いくらするんだい、えぇっ?
10グリーンじゃあないのかい。バカだね。昔なら2000円だよ、2000円!!
ああ、もったいないもったいない」

「でも、それで公共料金安くなってるし、困っている人も救われているし・・・・・
僕らも税金は高いけど、医療費も、教育費も無料だし、子どもたちにも月額で一人当たり150GB戻ってくるし、3人目の悠里にはプラス50GBだよ。
母さんたちだって、特区で住居費、食費、医療費、全て無料で年金だって、お小遣いだけど250GB給付される。250GBって言えば昔なら5万円で、働ける人は働いた分収入だよ。75歳以上高齢者は非課税。そっくり所得だから僕らよりもずっと楽なんじゃない」

「そうかいそうかい。じゃあおじいちゃんの煙草も世の中の役に立ってるんかい
そう言って、叔母さんがMETROの運転をする太一兄貴を睨みながら笑った。」


高齢者特区

2030年に市民運動の盛り上がりから「高齢者特区構想」が盛り上がり、2037年に「高齢者特別区域行政法」として国会を通過、翌2038年4月1日施行で、高崎市をトップに全国順次環境整備がスタートした。
高崎市の場合は観音山丘陵の国有、県、市有地を大規模開発し、高齢者居住ゾーンを中心に、保育園、病院、介護施設が建設され2040年に第一期工事完了させた。
概要は高齢者夫婦世帯750、単身高齢者1500世帯、重度要介護者500人分の医療介護施設棟を完成させ、併せて、24時間保育可能で、小児医療施設を併設させた5ヶ所、500名の園児の受け入れを可能とした保育園を完成させた。
現在2055年新年度においてはその総数は各分野とも3倍となっており、またその特区を囲むようにして現役世代、とくに子育て世代用の賃貸官営集合住宅が建設され、第一期700所帯分が2055年に完成し、今日現在二期目の、700世帯分が建設中だ。

そんな高齢者特区と、そこで暮らす高齢者のみなさんは僕らからしてみれば羨ましい限りだが、やがては僕らもその恩恵を受けることになる。
もちろん僕の両親もそこで生活しながら、父と母は特区外のモールで3か所のカフェを経営している。どうやら死ぬまでやりつづけるらしい。
もちろん営業が不可能になったとき、あるいは辞めたくなった時は行政にその事業清算の上、全ての権利を返上する。当人の意志で他者、あるいは親族に営業権を移譲することはできない。
その際は、これまでの経営者と行政が、営業権申請者を公募し、審査され営業権を譲渡されて経営することになる。

特区に居住選択すれば何もかも無料でしかも定額年金も給付され、仕事もできる。
しかし、毎年、税務申告をしなければならない。使わずに残したおカネは70%徴税される。もちろん目的をもった計画所得は控除される。たとえば海外旅行に行くとか、インテグラルフォトグラフィTVを買いたいとか、家具をそろえ直したいとか・・・・・
とにかくおカネは使わないと税金で取られちゃうから、孫には何でも買ってあげられるありがたいおじいちゃん、おばあちゃんだ。
もちろん、徴税された税金でも、その後必要が生じた場合は申請すれば、その証明さえあれば還付される。
ただし、万が一に当人に不幸があった場合は全て徴税される。
そして万が一の葬儀だが、特区は全て市民葬で家族には一切の負担はかからない。

「太一、ほら、大きいMETOROに替えないと、みんなが乗れないよ・・・・・
何人だい?、ええ、13人。そんなにもいるんかい。きっとママもパパもたまげるよ。
そうだ、ママとパパのところはW-20XX‐0024だったね・・・・・
大きくなったろうねぇ」

カフェの前に到着すると、叔母は太一兄貴にまたそう命令するように言いながら、タバコをくゆらしテラスで椅子にもたれる叔父に手を振った・・・・・

つづく
  


Posted by 昭和24歳  at 11:39Comments(2)

2009年05月08日

「空白の世代」・・・・・・




「空白の世代」・・・・・・

僕等は間もなく終わるだろう・・・・・
その終り方は、それぞれ様々だろうが。
その始まりの瞬間と、終りの瞬間は誰も同じ・・・・・

「空白の世代」・・・・・

それは時間の空白なのかも知れない。
恰も、様々な、色んなことがあったように見せられてはいたが、その実何にもなかった・・・・・・

あの混沌とした時間の中に僕等は生まれ、世相の喧騒の中僕等は孵化した。
それはまるで蛙の卵がお玉杓子に、お玉杓子に手が生え、そして足が生えるように。

そう・・・・・・

僕等は未だお玉杓子のままなのかも知れない。
手足は生えたものの、未だ未だ、お玉杓子のまま。
そこが、池の中なのか、小川の中なのか、嵐の後の水溜りの中なのか・・・・・
何れにしろ、水の中・・・それは温む水の中。

「井の中の蛙」どころか、「井の中のお玉杓子」。

戦後、営々と築かれたこの国の「形」・・・・・
その「形」が一体どんなものなのかは未だ僕等には、実は知らされてはいないのではないだろうか。

焦土、戦後の混乱に生まれた僕等。

昭和20年代・・・・・その情景さえ僕等の脳裏には不確かなものでしかない。
心象にあるその風景はある時を境に、まるで何もなかったかのようにかき消されていたように思えてならない。

僕が住むこの街も、あの時代には河原にバラックを拵えて暮す人、橋の下で生活をする人・・・・・
街の中でさえ共同炊事場、共同便所に3畳、4畳半一間に親子数人で暮す人たち。
僕等は忘れてしまったのだろうか・・・・・
ツギハギだらけのズボンに真冬でも素足のアカギレ。

あれから50年・・・・・・

僕等が物心がついた頃から狂騒の時代。
六〇年安保、七〇年安保、そしてヴェトナム戦争に石油ショックと狂乱物価。
さらにそれのフィナーレとしての「バブル経済」・・・・・・

それらの全てが崩壊し、終焉する中この国の支配階級層の精神的荒廃。
政、官、財が曝け出す醜態の数々・・・・・・
汚職、隠蔽工作、贈収賄、裏金・・・それらが豊かであるはずの階級階層の中で繰返される。

それも、「時間の空白」の中。

未だ何も明かされないままそれらの全てが終わろうとしている。

そう・・・・・・

僕等も終わろうとしている。

「井の中の蛙」なら未だいい。

それが、「井の中のお玉杓子」だとすれば・・・・・・

それこそ、「井戸」の「水」が干上がってしまったら・・・・・・
水を干されてしまったら、僕等は「大海」を知ることなく終わるしかない。

空白の中に生まれ、空白の中に育ち、空白の中を生き・・・・・・
空白の中に埋没。
それは、その時間の空白のように・・・・・・

生まれ、育ち、生きたことも消されてしまうのではないだろうか。

「空白の世代」。
  


Posted by 昭和24歳  at 05:08Comments(0)

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