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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年05月03日

夏目雅子の死

夏目雅子の死



中国核実験で19万人急死、被害は129万人に 札幌医科大教授が推計 (1/2ページ)
産経ニュース:2009.4.30 19:03


1964年から1996年までの間に、シルクロードを訪問した日本人27万人の中には核爆発地点のごく近くや「核の砂」の汚染地域に足を踏み入れた恐れがあり、こうした日本人への影響調査が必要と指摘している。


夏目雅子は中国の核兵器で殺された!?


夏目雅子という女優がいたんだが、死にました。白血病だったね。ところで、夏目雅子は1978年に西遊記のロケで中国の砂漠に行ってるわけです。まだ改革解放の途についたばかりであまり知られてなかったんだが、その当時、中国は盛んに砂漠で核兵器の実験をやっていたわけだ。

っていう、記事なんだけど・・・・・・
ナルホドです。


夏目雅子さん憶えている人はもうあんまりいないかもですね(笑)。

1978年、NHK大河ドラマ『黄金の日日』に出演。日本テレビ系『西遊記』では三蔵法師役を演じて人気を得る。この時、彼女は役作りのために実際に剃髪し、頭の形が良く「髪の毛を剃ったけど、美しくて神々しい」と話題になった。

1985年2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中に体調不良を訴え、翌2月15日慶應義塾大学病院に緊急入院。急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。夏目の入院と共に夫の伊集院は、仕事をすべて辞めて彼女が亡くなるまで母親らと共に看病にあたった。約7ヶ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復、退院間近の報道もあったものの、その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発し、突然逝去。27歳の若さだった。


軽井沢在住の僕の知人のべーシストなんですが・・・・・・
ある日、軽井沢でのライブの帰りその知人の家に呼ばれたときその御夫婦のアルバムの中に夏目雅子さんがいました。
で、その夏目雅子さんと御主人がその知人のべーシストのお仲人だったとかで驚きだったんですけど・・・・・

それにしても突然発症の、白血病での急死です。

「やっぱりななぁ」

の思いがその当時からあったようです・・・・・・

まあしかし、孫悟空役の堺正章も、猪八戒役の西田敏行も、沙悟浄の岸部シローもなんともないようですから。

って言う話なんですけど・・・・・・

しかしです、今朝も「豚インフルエンザ」こと「新型インフルエンザ」での物々しい報道ですけど、

ハッキリ言って、中国の核実験の死の灰の「核インフルエンザ」の方が致死的には数万倍の脅威です。

インドもやってます。パキスタンもやってます・・・・・・

西方浄土から死の灰じゃあ話にも何にもなりません!!

アメリカも、豚インフルエンザなんかじゃあなくて、砂漠での核実験で伝染している被爆後遺症のことをもっと考えた方がいい。

日本も、中国の黄砂でもわかるように、どれだけ死の灰で被爆しているか分からないからです・・・・・・



中国核実験で19万人急死、被害は129万人に





中国が新疆ウイグル自治区で実施した核実験による被害で同自治区のウイグル人ら19万人が急死したほか、急性の放射線障害など甚大な影響を受けた被害者は129万人に達するとの調査結果が札幌医科大学の高田純教授(核防護学)によってまとめられた。被害はシルクロード周辺を訪れた日本人観光客27万人にも及んでいる恐れがある。

情報鎖国日本!!

  


Posted by 昭和24歳  at 08:50Comments(0)

2009年05月03日

<訃報>忌野清志郎

<訃報>忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け
5月2日22時54分配信 毎日新聞



忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館

 「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。

 東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。



僕の会社にも熱烈なファンがいたなあ・・・・・・

忌野清志郎



フォーク、GS全盛の1970年代にあって、バンド形態こそアコースティックながらデビュー時よりロック、R&Bを基調としたオリジナル曲を作り、歌い続ける。特に影響を受けたと自身が語るのは、黒人音楽とビートルズである。

黒人音楽であるソウル・ミュージック、R&Bへの造詣はことのほか深く、往年の名ソウルシンガー、オーティス・レディングを最も影響を受けたアーティストの一人であると公言している。その影響は、メロディーやリズムの取り方はもちろん、ステージ上でオーディエンスに問いかける「愛しあってるかい?」というMCや、曲中での「ガッタ、ガッタ」という独特の発声・シャウトなどからも伺うことができる。ソウル、R&Bへの憧憬から、自身のライブにおいてジェイムス・ブラウンのガウンショーを再現、ブッカー・T.&ザ・M.G.'sとのレコーディングやツアーの実施(1992年)、ブルース・ブラザーズ・バンド来日公演時のサプライズゲストとしての参加(2007年4月)、サム・ムーア(ex. サム&デイヴ)のステージへの飛び入り出演(2007年10月)なども実現させている。自身の曲中においてもオーティス・レディングの曲をカバーしたり部分的に使用したりしている。(例:「Sweet Soul Music」の曲中で「(Sittin' on)the Dock of the bay」、ライブアルバム『The KING OF LIVE』中の同曲では「I've been loving you too long」を歌っており、「よぉーこそ」の曲中では「I can't turn you loose」の有名なホーンセクションのフレーズを使用している。)

また、ビートルズに関しては多くの曲にビートルズへのオマージュと見られるアレンジやコード進行、ファルセット、歌詞などが散りばめられている。


その意味では、吉田拓郎もなんだろうか・・・・・・
もっとも音楽性としてはその対極にあるようなイメージで、
僕らの時代としては、吉田卓郎のメジャーに対して忌野清志郎、RCはマイナーだったなぁ。

1970年代の学園祭ライブで一度対バンしたことがあったけど、
僕らの“デルタブルース”に対して忌野清志郎、RCのはなんとなく笑っちゃったのを覚えている。
今から36年前の話だ・・・・・・

時代が変わった。

先日だったが、山崎ハコさんがシティギャラリーで夫婦ライブ・・・・・・
行きそびれたが、ファンであるそうな、やきとり“ささき”の亭主はいたくご機嫌だった。
あの亭主がご機嫌だったっていうことは相当良かったに他ならない。

因みに、その御亭主、今年の拓郎ツアーも予約済みだとか。
そして“アヤカ”もいいとか、いつかのライブでは最前列で見ていて、目のやり場に困ったとか・・・・・・

都はるみもいい、美空ひばりもいい・・・・・・
クラプトンも、オーティス・レディングも、おーティス・ラッシュも、フレディ・キングもとか。

因みに、ご機嫌な寅目のGIBSON LPが宝物だとか。

全く弾けないけど。

さて、明日あたり“RC”でも肴にしながらやきとり“ささき”に行ってみようかな・・・・・・


  


Posted by 昭和24歳  at 08:07Comments(0)

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