2009年04月01日

生まれる理由

生まれる理由などどうでもいい・・・・・

問題は、産んだ「後」と、生んでからの「覚悟」。
その覚悟のないままの父母に育てられては子どもはたまらない・・・・・・

「家貧しゅうして孝行出」

どんな境遇でも子どもはしっかり育つ。

それは親の徳育に全てがかかる・・・・・・
人の生きる道に「運、不運」はつきもの、しかし後悔のない人生はいくらでもある。

要は「普通に生きる」ということだろう・・・・・
我が物顔で世間、娑婆を闊歩したところで、
産まれて来る時と死ぬ時はなんの前触れもないし、自分で決められることではない。

親の徳育・・・・・・
いつの頃からか「教育」を言うようになって、親が「徳育」の手間を省くようになってしまった。

養育・・・・・・
養い育みながら「人」が「人」であることを説く。
それは、時には親の叱責であったり、親の鬼の涙であったり・・・・・・
また、慈母の情愛であったり。

かけがえのない命だから、親は身を呈して「かけがえ」てでも子を守るもの・・・・・・

貧しかった遠い時代にもそこいら中にそんな話はある。
社会の暗澹に口減らし、身売りなどの時代にも親の情愛はあったろうに・・・・・

尋常小学校で奉公に、僕の父などもその口だった。
「百姓に学問なんぞはいらぬ」、「女に学問はいらぬ」・・・・・・
そんな時代にもこの国は脈々と生きつづけた。

それがどうだ・・・・・・
誰もが等しく学問を習得し「教師」と言う他人に教えを委ねて、
この徳育を他人任せに、その親、大人までが社会を他人に委ねる。

先の幼児虐待殺人の犯人だった「親」と、被害幼児の「親」。
社会はまったくに無関心・・・・・・
その両親とも「覚醒剤中毒」。

まさに彼らこそが校内暴力、暴走族のハシリ・・・・・
ベトナム戦争時代の「ウルトラマン世代」。
欲しいものは何でも手に入る、
お金がなければ暴力に訴えてでも手に入れる・・・・・
そんな子ども達も親になる・・・・・
いや、親になんかなってはいない。
ただ、子どもを作っただけ、
いや、作ったわけではない、ただ産み落としただけ。
挙句の「子殺し」・・・・・・

その親の親世代、昭和10年代生まれの戦後高度経済成長の中、自分のみ、己だけを生きてきた「人間」。
なんともみすぼらしい・・・・・・・
社会を省みることのない「国民学校世代」。
ここにも戦争の悲劇は60年の時を経て膿となって吹き出る。

今この国の社会を形する為政者も全てその世代・・・・・
そこに僕ら世代も続くのだろうか。

僕達世代の子ども達・・・・・
僕達は・・・・・
僕はどこかに大切なものを置去りにしてはいなかっただろうか。
まだその答えは見えないが・・・・・・

いや見えている。
見えないフリをしているだけ・・・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 17:29Comments(4)

2009年04月01日

ネイティブアメリカンと侵略者

ネイティブアメリカンと侵略者





アメリカ全土がネイティブの埋葬地だと言ってもいい。そこに立つ彼らの見えぬ墓標は、数えきれない。
もっとも寒い時代にありながら、それども心に熱きものを持ち続ける人びとの中で、物語が死ぬことはない。
そうして物語のたいまつは次の世代に渡されてゆく。「セブン・アローズ」



北米大陸を侵略した“欧州人”は当時いたとされる先住民、2000万人をほぼ虐殺・・・・・・

もちろん“欧州人”はその行為を『神の名の下』に聖書を片手に実践した。

アメリカ大陸を“インド”と間違えて『インディアン』とは笑い話ですませるが、
その“インディアン”を“白人”を襲う“ならず者”・・・・・
そうしたてての『西部劇』はその“インディアン”、先住民からの歴史としたなら、
白人とは、そこに部族共存していたであろう先住民を侵略、虐殺しまくった“インベーダー”(invader)そのもの。

それが今日の『神の名の下』の“アメリカの正義の振る舞い”でその正義にたてつくのは全て“テロリスト”のならず者。

かの太平洋戦争はその“アメリカのDNA”であった。

日本民族、“日本軍”はその“DNA”の中のアメリカの正義にたてつく“先住民”そのものに映った・・・・・・
アメリカにおける“排日法”も日本人強制収容政策もその“DNA”は先住民“アメリカ・インディアン”を映していた。

東京大空襲のジェノサイドもヒロシマ・ナガサキの原水爆も“皆殺し”・・・・・その遺伝的な「ジェノサイド思想」。
もっともアメリカ人に限らずその思想は欧州人特有のものかも知れない。

中近東の砂漠はいったい誰の土地か・・・・・・

ただ“燃える水”が出ると言うだけで、ただ反米と言うだけでそこに戦争を仕掛ける。
南北アメリカ大陸の先住民から見たその歴史は語られることはない。
すべてそこにいる“侵略者”からの歴史でしかない。

もちろんあの太平洋戦争の歴史もその“侵略者”からの歴史でしかない。
中国大陸を舞台に、戦場にアジア人同士が争うように仕掛けた欧米白人。そうさせることで両者の力を殺ぐ。
その戦後は、片方では“蒋介石”の片棒を、そしてもうひとつは“毛沢東”を・・・・・・
そうやって半世紀“中華分断”を策略し両方に武器を売りまくり自国経済を潤わせた。

そして今は、“金正日(先住民)”に核開発をさせ、日本(先住民)に武器を買わせる・・・・・・
それはまるであの西部劇の中の先住民同士の争いの様。

まるで劇画国家の“アメリカ合衆国”。

“銃社会”はその意味ではまさに「ジェノサイド思想」ではないか・・・・・・

少なくとも“銃所持規制”すれば多くの犯罪は防止できるはずだ。

たった一人の狂人の銃乱射で意味もなく奪われる命も救われるはずだ。

それなのに、「自由の名の下に」の銃所持を法律に書く異様さ・・・・・・

それが国家レベル、年間軍事予算40兆円にも及ぶの“軍事産業”の顔。

インドの核も、パキスタンの核も、中国の核も欧米製・・・・・・

もちろん北朝鮮の“核”もだ。

世界中に紛争の種を蒔きそれを“刈り取る”。

紛争当事者に双方に武器を供給し、片方を“正義”、そしてもう片方を“悪”に仕立て自国経済を成り立たせる。
日中戦争もそうだった・・・・・・
そして中台紛争もそう。両者に近代的武器を開発製造する能力はない。

中近東にも、アフリカにも近代的武器を開発製造する能力はない。

その意味ではあのイラクのフセイン大統領の人生は悲喜劇そのもの。

「無い」と言っているのに「あるかもしれない」といい、「無いことを証明しろ」といい・・・・・

そのことを一番よく知っている欧米の軍需産業が「無い証拠」を破壊しつくした(笑)。


アメリカの中の“DNA”・・・・・・

それは、日本(先住民)を軍事解放するつもりはない。

先住民は占領者に必ず敵対する。


大相撲の中の“モンゴリアン”・・・・・・

横綱“朝青龍”が言っていた。

「モンゴル人は適応力が勝れている。」

言葉も自然に憶えた。“モンゴル人”は日本語でも中国でも英語でもすぐに憶えられる。僕だけが特別じゃあない。

子どものころ受けた教育では、「“日本”は“極悪人”と教わった」・・・・・

でも、見ると聞くとではまるで違った。

「その土地にすぐ順応する“遊牧民”のDNAかな・・・・・・」とも。

そこへ行くと日本人は・・・・・・

しかし世界でそこに根をおろし活躍する日本人は枚挙にいとまがない。


それも遊牧民のDNAなのかも知れない。

  


Posted by 昭和24歳  at 12:18Comments(0)

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