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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年02月23日

“三角乗り”

“三角乗り”





あの頃は時代そのものが「貧乏」だった・・・・・

父は「MP」に鞭で追われるように東京駅で荷物を運んだと云っていた。母はと云えば、内職の和裁・・・・・
終戦間もな頃、「着物」とは云っても新しい生地、反物なんかは手に入るはずも無い時代だった。

昭和24年・・・・・僕が生まれた年。
敗戦の焦土から僅か3年と半年、この国に「明日」なんかある訳が無い。それを思うと今日の、今の「百年に一度」とかなんてちゃんチャラ可笑しい。
未だ食糧、生活物資は配給でコメを買うにも今でいえば「住民票」みたいな「米穀通帳」が必要で、どこの米屋で買えたわけではない。

都会、東京には失業者、浮浪者、孤児。今でも覚えているがまだ京王線が路面を走っていた頃・・・・・・
渋谷の伯母の家の近くの水道道路のところにはその土手には張り付くようにしたバラックでぎっしり埋まっていた。
聞いた話だが、そんな戦災の光景は東京のアチコチで東京オリンピック決定の頃まであったという。

それは不況とか恐慌とかの話ではない。
もちろんその頃、そんな時代「麻生太郎首相」なんかは大礒の吉田茂首相の膝の上で昼寝でもしていたんだろう・・・・・

チョイト大袈裟だがそれは何処にでもあるような話。その大袈裟な「出生の秘密」が僕にもあった。
笑い話で聞けるようになった頃、10歳年上の姉に聞いてみた・・・・・

「僕・・・生まれた時どんなだった」

「お産婆さんが取り上げて、男の子だよって・・・」

皆に聞こえるように言ったって。

上3人が女の子で、一人は死んじゃったけど男の子は初めてだった。
だから僕の名前は「はじめ」・・・横「一」の、はじめ。 祖父が名付たと云う。
でもいくら初めての男の子だからと云って、僕等の世代の子供のように、2人がかり、3人がかりの西洋医学無菌培養施設で生まれるわけではない。
それこそ、臍の緒を処置する間もなく新聞紙か襤褸切れの上に置かれて・・・・・

「ギャーギャー泣いていた」

と、姉は笑っていた。

僕を産むと母は10年間「寝たきり」になってしまった・・・・・・
僕の生まれた家は地方農村の何処にでもある、田圃、畑、と万屋を商っていた。
そんな母の病床と明日を知らない時代、復員から2年の父は僕の預け先探しに奔走したと言う。
貰い乳もそうは続かない・・・そこいら中で赤ん坊が生まれてるのだから他所の子どころではない。
もちろん、配給の粉ミルク、飼っていたヤギの乳で半年くらいは守ったらしい。
ヤギの乳で育ったせいか、今でも「紙」が好きで、良く本を読む・・・流石、本を喰ったりはしないが・・・・・・

隣街で国鉄職員「ポッポ屋」と一緒になっていた父親の「妹」がようやく預かってくれることになった。
その、「妹」が今も一緒に暮らす母だが。その父母には子どもが出来なかった。しかし全く子育ての経験のない母は最初は渋っていたとか・・・・・
当時28歳だった母は「赤ん坊」に戸惑っていたという。結局は1年後、養子縁組。
僕は一人っ子として育てられ、どうって事の無い「紆余曲折」で偏屈の初老可笑しくも此処にいる。

自転車を覚えたのは、父が通勤に使っていた自転車の「3角乗り」だった。
あの時代はよほどのおカネ持ちでもなければ、つまり「子供用の自転車」などは夢のまた夢だった。
しばらくして、親戚におカネ持ちがいてそこの坊ちゃんが乗っていた古いのを譲り受けた。
もちろん近所でも「マイ自転車」なんていうのはやはり夢のような話で近所のよその家では大人用の自転車すらなかったそんな時代だった。

そう云えば初めての野球も「三角ベース」。野球道具、グローブとかボール、バットなんて洒落たものはなかった。そこいらの駄菓子屋で売っていた布製の「ボール」。
木っ端のバットに新聞紙で折って作ったグローブ。
そんなわけで、いくら時代がどうのこうのとはいっても、僕等子ども達、遊ぶ事には事欠くことはなかった。

戦争は「フィクション」だろう。そのフィクションの中で、大衆、民衆は犠牲になる・・・
威勢のいい何処ぞの「大統領」が最前戦に赴くはずも無い。どうせ、温もりの中で札束の勘定でもしているのだろう・・・それが関の山、それが相場。
残念だが、イラクの国民も、この国の国民も然したる差は無い。
今朝も、共産党の宣伝カーがお題目の戦争反対。
国民に聴けばいい・・・国民に、大衆、民衆に問えばいい。マスターベーションの「似非平和主義者」。
助兵衛が邪魔をして統一政党を組めないで、ただ手前味噌の「アブラカダブラ」が今の政治で、「国民、コクミン、国民のため」は票集め、選挙のためのただのお題目。
 
口が酸っぱいが、この国、総理大臣が3代もお父様が、お爺ちゃまが総理大臣。
中には50年程昔には東条英機陸軍大将とかと巣鴨プリズンで絞首の刑に寸前だった、その、超A級戦犯が内閣総理大臣の孫とかだからハッキリ言って北朝鮮のそれを笑ってばかりはいられない・・・・・・

愚かで、ひ弱で、蒙昧な子羊達・・・
いずれ、フィクションの戦火の中50年ほど昔のように逃げ惑うのか・・・
12年前と同じように、イラクの大衆、民衆は閃光に慄き明日が無い。
明日が無い事を知っていた、僕等父母世代を責めるつもりはないが、微温湯の中さらに僕等を誘う。

僕は「3角乗り」を忘れない・・・・・
だから僕らの子どもや孫にはその「3角乗り」の時代が無いことを願う。
もちろん、僕等の腹積もりにそれはあるのだが・・・僕等の子々孫々を「微温湯」には誘うまい。

三角乗り・・・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 14:22Comments(1)

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