2008年05月08日

駅前留学考

'45年進駐軍が「米語」の看板を日本中に立てた。

この高崎もそうだったのではないだろうか・・・・・

日本国憲法の原文、調印、条約文書等、全て「米語」。
GHQの命令も全て、なにからなにまで占領政策は「米語」、極東軍事裁判も・・・・・
http://jp.youtube.com/watch?v=ARaFqgF1m5g

少なくとも、公用語くらいは進駐軍、占領解放後も「米語」にしといてくれたら、
今ごろ日本は、いや世界すらガラッと変っていたかも知れない。
しかし当時の連合軍側の提示した降伏文書には「英語を慣用語とする」とあったそうです。

そうすれば日本人、爺婆から赤ん坊まで米語「ペラペラ」だったらと思うと可笑しい。
今ごろは「NOVA」も「イーオン」も日本中の駅前留学はない・・・・・

英語をまともに喋るやつは、政治家には“しない”・・・・・・

「これ、日本政府の方針。」

外務官僚と財務(大蔵)、法務、警察の高級官僚のみ本格的に国費で英語教育をさせる。

防衛庁を筆頭に各省庁には政府中枢の息のかかった官僚を官邸に出向させ、
そこでは総理をはじめ、英語を理解し喋る、もちろん政治経済社会あらゆる分野・・・・・
ネイティブに「米語」を喋るやつは誰も入れない。

もちろん米語をネイティブに喋れるといわれる「ポカ~ン宮沢(故人)」総理を総理にはしたくはなかった政府。
唯一、吉田、池田の本流のる外務官僚・・・・・
下手に政治家に目覚めて隠し事を喋られると政府、山本リンダじゃあないが「困っちゃうな」なのである。

誰一人その米語を喋る首相閣僚はいない・・・・・
それどころか、極めつけは「イット」に「フーアーユー」のシンキロー相撲レスラー元総理。

だから、ネイティブなイングリッシュスピーカーは、けして「政治家」にはしない。
官僚出身の政治家も結構いる。
しかし政治家になる官僚は・・・・・・馬鹿で間抜けなお調子モンだけ。

「TVタックル」でお笑いに笑われている“オバカ”な連中ばかり。

戦後、占領軍の命令で小学校の授業は全て「英語」、公用語は英語、ということにでもしておいたら・・・・・
少なくとも、60年安保改定くらいまで。


しかし、よかったね・・・・・
日本の政治責任者(政治家ではなく官僚)、日本の公用語を英語にしなくて。

文部省も、中学に入ってやっと「ディス・イズ・ア・ペン」だもの・・・・・
英語の文盲率はアフリカ、中南米以上じゃあないの(笑)。
それが、文部省「ローマ字学習」だもの・・・・・
考えてみたら教員も笑える。

21世紀、未だ英会話を教授できる公教育も教員がいない(笑)。
下手をしなくとも、児童生徒の方が先に「駅前留学」で喋れる。
挙句、進駐軍教師を、それもただの外人を雇い入れて税金を遣う。
それで「義務教育費減らす」、教職員の給与減らすって言っていれば世話がない。

もっとも「パソコン」も先生がまるで駄目・・・・・・
逆にパソコンに詳しい先生は、18禁オタクで、
今の教員、児童生徒に教えることができない、「指導力不足」に「登校拒否」、「適応障害」で、
下着泥棒したり、盗撮したり、児童買春したりと笑ってる場合ではない。

これも、政府・・・・・
国民を総白痴化の、総仕上げ。
国民に「英語」なんか教えてたまるか!!

もし、日本国民がせめて香港くらい英語教育がされていれば・・・・・

今ごろ、竹村健一もイギリスやアメリカの新聞を手にして、
「日本の常識は世界の非常識」

なんて“デカイ顔”していられない。
もう、“報道2001”首んなっちゃたけど(笑)。

外交の世界も変わったろうなあ・・・・・
おそらく日本商人の商魂、それこそ本当に世界一になっていたかも知れない。

音楽、ロックだって「英語」で楽曲できればマーケットは英語圏全土。
矢沢永吉だって、桑田圭介だってなにもあんな「英語訛り」の「日本語」で歌わなくても、
今ごろは世界のトップスター。

戦後60年以上過ぎて、いまだアメリカ様の占領から解けない・・・・・
夕べも、今日も、米軍のジェット戦闘機の五月蝿いこと。

こんなことならあの時、アメリカ合衆国の「51番目の州」になっていた方がよかったかも知れませんね(笑)。
そうすれば今ごろ、日本州知事がアメリカ合衆国“大統領”に選出されていたかも知れない・・・・・・

“オバマ氏”じゃあなくて“小浜氏”も絵空事じゃあなかったかも知れない・・・・・・・

なんて空想してみちゃう日本の英語教育四方山話。
  


Posted by 昭和24歳  at 21:04Comments(0)

2008年05月08日

もういくつ寝ると・・・・・

和風“サラダ記念日”

ただ生まれちまっただけ。

人間、結構シブトイもんですね・・・
オイラなんて、生まれたばっかりの時は「育つかどうか」って云われてたらしい。

オフクロは、おいらを産むと直ぐに、流行り病の「脊椎カリエス」で寝たきり。
親父は38で、シベリア帰りの大日本帝国陸軍兵士。農家だったが覚えがあんまりない。
もっとも、お袋がそんなんで、半年もしないうちに、叔母の家に「養子」に出された。
叔母夫婦には子供はなく、当然「乳」も出ない。
粉ミルクは「配給」で、街中だったが当時は「ヤギ」を飼ってて、ヤギの乳で育ったらしい・・・
それで、紙の本が好きなのかも知れない。

もちろん、食糧難・・・
大きくなって、兵隊さんになって「お国」の為に尽くすわけでもないのに、別に産めよ増やせよでもないのに・・・・・・
向こう三軒両隣、子供が6人居ようが、7人居ようが・・・
あの時代、下手をすれば10年近く横丁のオカミさん、腹を膨らませていた。
要するに、何の目的もなく、ただ「生まれて」来ただけ。

そりゃあ困っただろうよ・・・
食う物はない、着る物もない、住む所だって戦災の跡。
それでも、父ちゃん母ちゃん強かで、戦後の混乱どっこい、何人生まれようが可愛い我が子。

敗戦国ニッポン、奇跡の復興!!
別にこの国、ニッポンが頑張ったわけじゃあない。
そこいら中で、戦争をしてくれたお陰で工場という工場が繁盛した。
奇跡でもなんでもない・・・
アメリカさんの云う通り石炭を掘って、鉄を作って、爆弾を作って。
敗戦から、20年世界中で「戦争」ばっかり・・・お陰でこの国は火事場泥棒と同じ。
集団疎開が終わったと思ったら、集団就職。
繊維工場も「フル稼働」で、包帯、軍服、落下傘用の生地作り。
朝鮮戦争、ベトナム戦争・・・日本は丁度いいアメリカの町工場。

それが、そろそろ草臥れてきたんじゃあないの。
それが証拠に、戦後、20代、30代で代議士になった「悪たれ」、みんな死んじまった。

一人残して・・・平成の大勲位。

そもそもが、アメリカ人に言わせれば、日本は「敗戦国」。
そんな国が「経済」も糸瓜もない。

「誰のお陰だと思ってるんだ」だろう。

「下手なこと言いやがると、また原爆落とすぞ」なんて脅されるのが関の山。

北朝鮮だって、韓国だって、中国だって、台湾だって・・・日本に「勝った」と思ってるんだ。
事実そうだけど。

そうだ、おいらの国は「敗戦国」なんだ。
そう思って、謙虚にもう一度、声を大にしてこの国に言わしめないといけないね。
贅沢は敵、欲しがりません勝つまでは・・・
あの頃は、みんな継接ぎだらけの服、下駄に足袋、シモヤケ、アカギレ、蓄膿、耳垂れ、トラホーム・・・
ハゲに、イボ、田虫とデキモン問屋。

それがいつの間にか高層ビルに、高速道路。別荘、リゾート、ゴルフにマンション。
いつか罰があたらない方が可笑しい・・・
いい加減で、目を覚まして、「豊かな老後」なんて欲をかいちゃあいけないね。
一世代前の子供達は、アメリカさんの焼夷弾、原爆で焼け死んじまったんだから。
生き長らえた、戦災孤児の事だってとっくに忘れてる。

もう一度・・・・・

「終戦記念日」なんて、嘘言わないで。
「敗戦」、鎮魂の日と肝に銘じたほうが良いね。

そりゃあお国は決まりが悪いだろうよ(笑)。
だいいち、“現人神”からして嘘八百並べ立てての“神州ニッポン”・・・・・
ついこの間まで丁まげ結って黒船来襲にビビッタ“サムライ国家”が見よう見まね、手取り足取り、セコハン軍艦での日清日露戦争。

まあ、それにしたて間が悪い。そういうことなら彼の国だって“神州”・・・・・
なにせ、何から何までが「“神様”の言うとおりおべべべのべのべのまた明日」のキリスト様の御国。

神様の言いがかりじゃあ、ニッポン国なんかよりは相当の筋金入り。

さて、最近矢鱈と祝日の多いこと・・・・・

だから、もう一度、ここいらでわがニッポン国の『8月15日』は“命日”でもあり、新生ニッポンの“元旦”。
全てを休めて、国民「考える人の日」とでもするべきじゃあないの?

食糧問題も、戦争と平和も、嘘から出た真の環境問題も、
そうそう、それに昨今の親殺し子殺し、近親者同士の殺人のことも・・・・・

まあ、国民に考えられちゃったりしたら、御国、政府は考えさせられちゃうだろうけど・・・・・・

和風“サラダ記念日”
  


Posted by 昭和24歳  at 13:53Comments(0)

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