2017年09月24日

日本の政治家は日米合同委員会を全く知らないって?

日本の政治家は日米合同委員会を全く知らないって?

日本政府の上に君臨し、軍事も外交も司法までも日本の主権を侵害する取り決めを交わす“影の政府”の実像とは?謎の権力構造の正体に迫る。

で、日米合同委員会とかがミーティングされるのが「ニュー山王ホテル」だそうです(笑)。
http://www.thenewsanno.com/

広尾、天現寺橋バス停徒歩1分とか。

天現寺橋って言ったら、ジョーのマンションがあったところです・・・・・

アメリカ人のカミさんと住んでて、なんでもそのカミさん、ビクトリアの親父さん軍属とか言ってたな。

「ユー、ここ、スゲーゾッ」って言ってたな、そのニュー山王ホテル。

俺もカミさんと一度、天現寺のマンションへ行ったことがあったんだけど、高級そうな中華料理屋でメシ奢ってもらって。

ま、まだ長女がお腹にいる頃だったから昭和50年ころの話で・・・・・

ジョーのマンションにはニュー山王ホテルのPXで買ってきたとかのアメリカ物が結構あったなぁ。

なんでも、日本円は使えなくてドルで買い物だそうでした。

で、昭和62年頃恵比寿の工房で仕事していて、御茶ノ水の楽器屋へ営業に行くのに恵比寿から広尾を通って六本木7丁目です。

そこに、米軍基地「赤坂プレスセンター」ってのがあって、ジョー曰く「そこに入ったきり出てこれなかった偉い人もいたんだ」とか。

まあ、そういうところです。敗戦国の日本なんて政治家なんてヘビに睨まれたカエルだし(^_^;)



嘘だろっ、違うだろーーーっ!!

で、横田空域の話もしてるんだが・・・・・

石破が日本の政治家のほとんどが知らないとか言ってるんだが、そんなことはないだろ。

2008年01月18日
米軍戦闘機「見えない占領」

http://g3s.gunmablog.net/e3510.html

この一介の下々の俺が9年前に書いてるのにだ、グンブロに↑

そんなの普通にネットのない時代だって図書館に行けば知ることはできたんだけど。

とくに、日航ジャンボ御巣鷹山墜落事故っていうか事件の時です。

だって、日航ジャンボ機ダッチロールし始めて御巣鷹山までって「横田空域」のど真ん中だし・・・・・

そら、米軍様にお断りになしに横田空域入っちゃったらスクランブルかけられるでしょうから、米軍は一部始終お見通し。

そんなわけで、↑の番組で田原総一朗先生、石破茂先生の言ってることがホントなら、日本国民、バカ丸出しだね。

日本の政治家、アメリカ様のイヌ以下だし、「知ってはいけないこと」って、なにそれ?

日本の政治家は日米合同委員会を全く知らないって?  


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2017年09月23日

父の自叙伝「エンディングノート」を書く

父の自叙伝「エンディングノート」を書く

昭和18年10月13日・・・
東京市豊島区巣鴨大塚とある。


↑もう一人の父と母の婚礼。
父も写っている、父の兄も姉も・・・・・
そして僕の父も。

渡辺兼吉、俺は大正元年7月15日、静岡県駿東郡沼津町大字小諏訪365・・・・・
父・眞木清五郎、母・渡辺サヨの次男として生まれた。
父のことは全く記憶がない、物心ついた頃年に数日小諏訪の家に逗留した。

戸籍を見ると、俺も兄貴の永吉も、姉の美佐、妹のヨシも「私生児」と記されている。
つまり母子家庭、今でいうシングルマザーなんだろうけど、確かに家は豊かではなかったが沼津の漁村の一角の一軒家に暮らしていた。
伝え聞いたところによると、母・サヨは三島で芸妓をしていて、富山の薬売りの息子、眞木清五郎との恋仲の末、身請けだろうか・・・・・
沼津町小諏訪に居宅を与えられ4人の子どもを育てたようだ。
というのも、父・清五郎の実家は富山では大きな薬房で、母・サヨと俺たち子ども4人を面倒見ることができたらしい。

兄貴の永吉と俺は10歳離れていた、そして姉・美佐とは8歳、妹・ヨシは俺より4歳下だった。
兄貴の永吉は尋常高等小学校を終えると、国鉄の給仕として勤め始めた。
学業も優秀だった兄貴はそのまま国鉄に勤め機関士になったが昭和29年勤務明け、畑仕事をしながら脳卒中で帰らぬ人となった。
享年、53歳。突然の死に俺は妻、ナツと息子、一を連れて沼津の実家に急いだ。
俺にとっては父親のような兄貴で、大正12年尋常高等学校を出ると東京、浅草の酒屋に奉公に出た。

その奉公先の酒屋で5年、17歳になっていた。元来が芸事の好きな俺は3代目三遊亭金馬の通い弟子となり落語家を夢見た。
そんな時期もあったが、日中戦争も始まり、兵隊に取られるかもしれないというので兄の伝手で国鉄に勤務することになった・・・・・
既に30になろうとしていた頃であった。そんな頃、姉・美佐は東京大塚の料亭に奉公に出ていた時に見初められた梅田壮吉と結婚し、その大塚の三業地で小料理屋を商っていた。
そんな関係で、小料理屋仲間の宮内とか言う人の紹介で縁談が持ち上がった・・・・・・

なんでもその宮内さんの小料理屋と入魂にしている、当時ではハイカラな「タイル工事」をしていた森田永吉の妻・シマの妹が22歳で、どうだということで。
まあ、俺は32歳になってたので10も違うのでどうかと思ったが、兄貴も、姉もこのままでは兼吉は一生寡婦暮らしだと心配してさっさとその縁談を勧めていった。
その縁談の相手は松原ナツ。群馬県碓氷郡豊岡村で、当時は桐生ほ和服仕立て工場で仕事をしていたとか言っていた。

話はトントン拍子で進み、その宮内さんのところの料亭で見合い、という運びに。まあ、いいも悪いもないもう敗戦の色濃い昭和18年だった。
早速挙式をその小料理屋の広間で挙げることとなった。
その時の記念写真が↑

父の自叙伝「エンディングノート」を書く
  


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2017年09月23日

OPAで選んでAmazonで買う

OPAで選んでAmazonで買う

まあ、流通革命です・・・
ダイエーができて藤五が潰れたっけ。
で、イオンができて次々と。


世間ではイオンG vs イトーヨーカドーGで、ヨーカドーGの勝、とかです。

で、イオン系のベルクよりヤオコーの方がオシャレです。
ま、寿司でも刺身でも弁当でも盛りつけが違う。ちょっとヤオコーの方が高めだけどね。
ベーカリーもヤオコーの方がオシャレ。でもレジのお姉さんはベルクの方が若い(笑)。

そんなわけで、オーパでモノ見てアマゾンでセブンで受け取り・・・・・
これって、賢い選択かもしれません。
その内、アマゾンがドローンで配達してくれるかも。

OPAで選んでAmazonで買う
  


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2017年09月22日

平和への「エンディングノート」

平和への「エンディングノート」

二人の父と二人の母・・・

写真(左)に写るのは僕のいない昭和20年初夏の一葉。

集合写真(左)

前列左は国鉄制服姿のもう一人の父(33歳・当時)、隣は祖母アキ(59歳)と長姉・冨美子(6歳)、伯母・シマと三男・倍行(2歳)、もう一人の母(24歳)とシマ(30歳)の次男・倍知(5歳)・・・・・
後ろが伯母、名前は失念、抱っこしてるのは2歳の長女・イセ子、後ろ左端は次姉、加陽子(2歳)を抱っこする母(28歳)。
従兄の稔(7歳)、義明(7歳)は国民学校の1年生だったのだろうか、この写真にはいない。
そうだ、祖父、与三郎(61歳)もいない。多分、野良仕事か、高崎の市場へでも行ってたんだろうか。

昭和19年3月18日に生まれたという僕のすぐ上の姉が写っていないところを見ると・・・・・
昭和20年7月12日に亡くなったというからその直後のものなのだろうか?
そこにはもう一人の父ともう一人の母が写っているから昭和20年3月10日以降のものなのか、定かではない。

そう、もうひとりの父と母は昭和18年頃は東京の巣鴨に住んでいたと聞いてる。
国鉄職員として東京駅に勤務していた父は東京大空襲、昭和20年3月10日、その時は勤務中だったと言ってた。
そこに写るもう一人の母はその東京大空襲の時命からがら豊岡村へ逃げ帰ってきたという。
そこに写る伯母(もう一人の母の姉・父の母)、シマは渋谷区本町にタイル業を営む森田永吉(伯父)と暮らしていたが・・・・・
空襲が激しくなり、先に生家に疎開していた長男・稔、次男・倍知の所へ18年に生まれたばかりの三男・倍行を背負っての帰郷だった。

右の写真は父、保夫(32歳)、この頃は40代半ばだっただろうかよく僕の高崎の家にもオート三輪を駆ってやってきた。
父はその頃小学3年生くらいだった僕をそのオート三輪にのせて高崎公園にあった武徳殿や鶴見町の市場へ連れて行った。
映画もよく見せてもらった、相撲が大好きだった父に連れられていった「土俵の鬼」(若乃花物語)のことは今でも脳裏に。

そう、姉、冨美子の話では父は柔道の黒帯で、武徳殿では師範だったという。
そう言えば、僕が仕事をしていたキャバレーニュージャパンの前の八百屋、中西のオヤジさんが父のことを知っていて柔道を教わったとか言っていたのを思い出す。
父は、その武徳殿で僕にも柔道をさせようと思ったようだが、僕が泣き虫で逃げ回っていたので諦めたらしい。

そんな父も50歳になると持病の糖尿病が悪化し入退院を繰り返し、長女、冨美子に次男が生まれるとすぐに53歳で高崎国立病院で息を引き取った。
僕が15歳の時で、父、享年53歳。そんな父がエンディングノートを書いていたとしたらそれはどんなものだっただろうか・・・・・
もちろん、もう一人の父もそうだが、最後まで僕には気を遣い大切に育ててくれた。
その、もうひとりの父危篤の知らせを聞いたのがエレキの行商の最中、宿泊先だった金沢市の「都ホテル」。
当時は携帯電話等はなく、営業終了しホテルに着くと既にチェックインカウンターに会社から「父危篤」の一報が。
即、宿泊をキャンセルして北陸道、関越道と乗り継ぎ父、入院先の綿貫病院へと急いだ。

僕を待つかのように、臨終を迎えた。

もちろん、父との思い出よりもう一人の父との思い出の方が数十倍、いや数百倍はあった。
それらの思い出が、その瞬間頭の中をぐるぐると駆け巡った。享年73歳。
そのもう一人の父にとって不肖の息子とのエンディングノートは一体どんなものだったんだろうか?

いつかは、僕のエンディングノートとして、もう一人の父との日々を綴ってみたい・・・・・

平和への「エンディングノート」

  


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2017年09月21日

【以和為貴】「終活」エンディングノート

【以和為貴】「終活」エンディングノート

消えた聴衆・・・

戦国時代は農民が兵隊として駆り出された、結果、野党が生まれる。
ま、日本民族は無闇矢鱈に人殺しはしない、「和を以て貴しとなす」が生活思想。

まあ、この国にも争いごとの好きな人間、いつの時代もいるんだが。

どういうわけか、人目をはばからず喚き泣き叫ぶ民をあまり知らない。

自身の不幸には人目を忍んで泣き伏せるか嗚咽するかでその環境に耐え抜く・・・・・

そしてじっとその時間の過ぎ行く時を待つ四季の中に。

いつの時代もそうだった。阪神淡路大震災の時も、東日本大震災の時も和らぎの民はひとつのものを分けあった。

そして、和らぎの民は田を耕し、種を蒔き水を注ぎ、やはり四季の中に農を恵みを待つ。

悲しみ、くるしみは、怨念はその季節の中に水に流す・・・・・

どうやらそれは、そこのそれぞれの人間性ということではないようだ。

日本列島というこの島国が、そこに住む人間をそう変えてしまう。

他人を羨まない、他人の物を欲しがらない、もし困っている人が居れば己を分け与える。

欧米人は蹂躙略奪殺戮の歴史そのもの。

定住民族ではないが故か、狩猟民族は獲物を求めて大移動する。
その結末が南北のアメリカ大陸でしょう。
まあ、寒冷地域に生活する白人種はアフリカ大陸には定住できない。

現下の北朝鮮危機もつまるところ、世界経済の停滞でしょう。
産業が兵器を作るしか仕事が無くなった。
なぜなら、北半球、ほとんどの地域でないものはないから、大量生産できない。

つまり、大量生産して、大量消費できるのは軍需産業しかない。

そもそも、極東の列島人には頭の仕組みの中に「侵略」という文字がない。
北朝鮮とて同じで、どこも侵略してない。
欧米人によって国の存立を脅かされ抵抗してるだけだ。


吠えてます。
聴衆はいっぱいですね、コッチは(笑)


かつての維新日本がそうだった。第一次世界大戦で殺し合いをした欧州。
ま、漁夫の利なんだろう、その欧州に倣い「近代化」を成し遂げ経済も自立しようとしたら・・・・・
コレだ、↓

ワシントン海軍軍縮条約(ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく)は、1921年(大正10年)11月11日から1922年(大正11年)2月6日までアメリカ合衆国のワシントンD.C.で開催されたワシントン会議のうち、海軍の軍縮問題についての討議の上で採択された条約。アメリカ(米)、イギリス(英)、日本(日)、フランス(仏)、イタリア(伊)の戦艦・航空母艦(空母)等の保有の制限が取り決められた。

で、太平洋戦争に負けた日本は国際条約によって空母保有を禁じ られているわけだ。

そもそも戦争とは他人の、他国の物を自分の物にしようという欲望から始まる。

そこに黄金があれば武器を持って襲い掛かり我が物にしようとする。

そこに燃える水が湧き出れば兵を率いて蹂躙略奪しようとする、全てがそうした欲望から始まるのが戦争。

おそらくこの日本列島の先住の民も、渡来の民も、この地に着いて長い長い季節を経て和らぎの民と変質したのだろう。


【以和為貴】「終活」エンディングノート
  


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2017年09月20日

安倍首相北を挑発か?

安倍首相北を挑発か?

1931年9月18日、柳条湖の鉄道爆破をきっかけに勃発した満州事変。事件はいかにして引き起こされ、なぜ連盟脱退にまで至ったのか。関東軍・陸軍中央部・政府指導者などの諸勢力間でどのような力学が働き、外交政策を変容させていったのか。戦争への道を突き進んだ日本の歩みに政治過程論的な分析を加えた記念碑的な著作。著者の第一作でもある。(解説=酒井哲哉)

安倍首相:「北朝鮮からの脅威に連帯を」NY紙が寄稿掲載
 【ニューヨーク國枝すみれ】米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は17日、「北朝鮮からの脅威に連帯を」と訴える安倍晋三首相の寄稿を掲載した。

 安倍首相は、北朝鮮はこれまでの交渉で、支援や制裁解除などの対価を得ると「約束をほごにしてきた」と歴史を説明。仮にいま北朝鮮と対話をしても「無駄骨に終わるに違いない」ばかりか、北朝鮮が「ミサイル発射や核実験をしたから、諸外国は対話を求めてきた」と受け取りかねないと警告し、国際社会が連帯して北朝鮮への圧力を最大限に強めるべき時だと主張した。

 安倍首相は20日、国連総会で演説し、北朝鮮に対する圧力強化を国際社会に向けて訴える予定だ。

<引用:9/18(月) 19:06配信 毎日新聞>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170918-00000033-mai-int

>国際社会が連帯して北朝鮮への圧力を最大限に強めるべき時だと主張した。

まあ、内憂外患じゃあなくて・・・・・

「内患外遊」で、国会冒頭解散(笑)。

で、大日本帝国の時代、おじいちゃま岸信介元首相は商工大臣だったわけです。
で、満州事変で昭和14年その満州国のトップ、総務次長になられた、ハイ。

まっ、北朝鮮を挑発して、金正恩閣下が無慈悲な攻撃を仕掛けてくる、ということにして、とかで、

戦時体制にでもするおつもりなんでしょうか、わかんないけど。

そしたら、満州事変の発端となる柳条湖事件(関東軍の工作)じゃないけど、ミサイルでもなんでもいいから北海道、領海に・・・・・

北朝鮮がミサイル攻撃したことにして、工作です。北朝鮮を総攻撃かける。日本列島沈没されちゃう前に、北朝鮮消滅。

まあ、アメリカ海兵隊、横田、沖縄、三沢、岩国から空軍で攻撃しちゃったら、3分で片付きいますし。

名づけて・・・・・

「カップヌードル作戦」とでも。

そもそも、北朝鮮は日本人を拉致して殺しちゃってるわけですから、それって戦闘です。

で、専守防衛とか言ってるんだけど、だったら、拉致された日本国民奪還作戦しないとまずいんじゃあないの?

で、本気かしらって、歌の文句じゃあないけど、本気だったら北朝鮮の工作員がテロしたことにしてさっさとこの話終わりにしてください。

で、国連で安倍首相、北朝鮮には対話は通じないから無慈悲な制裁をとかいうんなら・・・・・

そら、衆議院解散総選挙期間中「Jアラート」鳴りっぱなし、そしたら日本国民、有権者自民党議員に投票するかなぁ?

安倍首相、バンザーーーーイッとか叫んじゃって(^_^;)

そしたら、自衛隊、日本軍だって北朝鮮の戦後処理に参加しなくちゃならないね。だって、当事者なんだし。

で、金正恩閣下を斬首したところで、北朝鮮兵士ゲリラ化しちゃって、日本国内いたるところでテロ勃発。

そしたら、在日韓国朝鮮人に疑いかけられて、内戦状態になっちゃうかも知れない。

大韓民国だって、北が消滅したら全員韓国人なんだし、同じ民族同士だし、そらえらいことになります。

そしたら、ロシアと中国がチョッカイ出してくるかもしれませんね、トランプは知らんぷり。

まあ、在日米軍は総撤退します。「あとは日本政府で何とかしなさい」とかで。「武器だけは売ってやるから」で。

そしたら、今後10年くらいはイラク状態にっちゃうから、朝鮮半島。日本は徴兵制しかないと兵隊集まんないし。

どうすんだろ、そしたら、大企業、国家公務員は55歳で退職させて徴兵、一番人数いるんだし、それがいいと思うけど。

お国のためなんだから、まずは率先して防衛軍に入ってもらわないと、平均年収600万円だし。

安倍首相北を挑発か?  


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2017年09月19日

北朝鮮危機とキューバ危機

北朝鮮危機とキューバ危機

そら、プーチンだって・・・
キューバで使わなかったミサイルね。
世の中そんなもんです。


キューバ危機Cuban Missile Crisis
1962年夏に極秘にソ連とキューバは軍事協定を結び、ソ連がキューバに密かに核ミサイルや兵員、発射台、ロケット、戦車などを送った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E5%8D%B1%E6%A9%9F

昭和37年(1962)

僕が14歳の時だから中学2年でしたね。
で、翌年の11月22日金曜日にダラスで暗殺されるんだが中学3年でした。

まあ、北朝鮮にそんなもんはないし技術もない、もちろん金もない(笑)。
つうことは中共かロシア(旧ソ連)がせっせと運んだんだろう、陸続きだし。

で、北朝鮮の核開発は米国クリントン政権下に始まっている。
つまり、政治を操っているのはアンダーテーブルで大統領なんてテーブルの踊り子。
まあ、ケネディだって暗殺されちゃうわけです、踊りが下手だったから。

キューバ危機の「核戦争」を演出で欧米パニックだったらしい。
で、米ソ戦争になって核ミサイル打ち合った、それが「猿の惑星」です(笑)。
まあ、占領同然の日本だって今の北朝鮮どころの騒ぎじゃあなかった?
当然、沖縄返還前だし、本州の在日米軍基地にだってソ連の核ミサイルは飛んでくる。
ま、国会大騒ぎだったんじゃあないかと思うんだけど。

だが、高崎市立第二中学の僕らといえば大日本帝国陸軍第十五連隊兵舎後の後者から新校舎に移って、前途洋々でした。
世の中、スーダラ節が大ヒット、あたり前田のクラッカー、ロカビリーブーム。
キューバ危機なんで何処へやらで、高崎ではフェアリーランドができたり、前年には群馬音楽センター落成、高崎市制60周年のお祭り騒ぎ。

しかしね、テレビじゃあ評論家諸氏が「抑止力」だとか囂しいんだが。
だいたい、なんで中国だって尖閣へ領海侵犯するの。
なんで、北朝鮮が核ミサイルICBMで米国ニューヨークを無慈悲に攻撃するの?
いずれも、はっきりした理由がない、尖閣は中国の領土なんだとか言うだけで。
北朝鮮だって、はっきりした理由がない、金日成、正日、正恩と、体制がとかだが。

別に普通にしてたら、イラクだってそうだったけど内戦工作されて。
最初は見方だと思ってたら「ならず者に」にされて処刑。
北朝鮮だって今のところ外国に攻撃しかけてるわけじゃあない。
ただ、人権侵害がどうのこうので、まあ内政問題です。
言いがかりつけてるのはどっち、フセインだって・・・・・

「大量破壊兵器がないことを証明しろ」でしたし。

ないものはないって言ってるのに、「いやあるはずだ」ってヤクザの言いがかり(笑)。

その点、北朝鮮はわかりやすいICBM、飛ばしちゃうんだから。
だから、ホントならここで金正恩アウトなのに、セーフっていう、アメリカの方がわかりづらい。

だとすると、アベチャンも上手に踊ってるんだろうけど、如何にせん「モリ・カケ」喉の骨。

でも一番笑えるのが、内閣改造で新大臣になった閣僚の面々。
一度も国会で答弁しないまま終わっちゃうなんて(笑)。

北朝鮮危機とキューバ危機
  


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2017年09月17日

「Jアラート解散」で国会閉店セール

「Jアラート解散」で国会閉店セール

カケ「総理、Jアラート鳴ってますけど」
アベ「大丈夫、ここへは来ないから」


安倍総理が決断…なぜ今解散?争点は? 記者解説
<引用:9/17(日) 17:39配信 テレ朝ニュース>
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20170917-00000032-ann-pol

まあ、国会開いたら針のむしろだし。
かといって、首相遊説で「帰れコール」もねぇ(^_^;)


今年もアベ友、モリ・カケで半分終わって、そしたら北朝鮮ミサイルで「Jアラート解散」とか。
そら、国会開けませんね、首相、丁寧な説明しなくちゃならないし。
で、民進党とかの野党第一党も「解散寸前」、現政権、解散総選挙受け皿ないし今のうちなら・・・・・

あと、「Jアラート」2、3回鳴らせば、それも投票日だったら笑えるけど(笑)。

これで大衆の攪乱は十分だろう。

麻薬、セックス、スキャンダル。

政治家の精神的「ドーピング」はアレ。

時の最高権力者も例外ではないはず。
「天才」もそう長続きはしない。

思考を続けることでの興奮作用の持続。
そしてアルコール依存症か薬物依存症、あるいは常に性的興奮を覚えるか巨額を費やしての博打。

今時、外交も本来は戦争。
日本外交官と北朝鮮外交官の質の問題も、そこに麻薬的要素。恐怖による洗脳がより強靭にさせる。

僕も仕事柄10代、20代の頃は周り中が麻薬に日常を過ごした。
僕は元来「タバコ」が飲めない体質で吸引するものは皆目駄目だった。
そして、注射も嫌いで覚せい剤を打つこともできなかった・・・・・・
もっぱら、アルコールか、催眠剤の摂取、服用だった。若気のナントカでした。

酒は日本酒なら1升、ビールなら6、7本は飲んだか。
昭和40年代の頃はいわゆる横田、福生辺りで「マリワナ」とか「LSD」だったが。
僕は、タバコが吸えないためバンド仲間の「Lucy in the Sky with Diamonds」を経験した。

米粒ほどの紫色のそれ。

「俺は空が飛べるんだ」

と経堂の家の2階から空中へ羽ばたいて引力の制裁を受けた奴がいた(笑)。

あの時代の横尾忠則のイラスト、ビートルズの音楽、あのソースは「それ」。
ベトナム戦争では兵士から恐怖心を取り除くために「それ」。
かつての日本軍も不眠不休の戦闘、特攻には「ヒロポン」を盃に交わした。

常人の状態で思考を高めるために最高権力者は確実に麻薬に借りる。
それは「毛沢東」然り、「金日成」然りで、最高権力者が故の猜疑心に苛まされて・・・・・
そこでの正常な思考には限界があることは容易に想像できる。

精神安定剤、興奮剤、催眠剤、アルコール、そして「セックス」。

この国は今、アヘン戦争を仕掛けられている、仕組まれている。
政治が混乱すればするほど、麻薬は政治家の手で蔓延させられる。
国民の精神がボロボロになれば為政者は安泰。
自暴自棄は政治には歯向かわず、国民大衆同士が殺しあう。

くどいが、公教育にしろ、法曹、医師、公務員、その全てが「国家試験」、国家の篩にかけられての話。
反国家的な者が受け入れられないのは当然で、非国民的言動者なおさら。

世界第二の経済大国が国民を幸せにできない、しない。
これがこの国の形。国民、戦ってボロボロになるか、戦わずしてボロボロになるかそれしか選択肢はセットされてない。
問題は、今の子どもたちの10年後、20年後だろう。

政治はなぜかバブル経済期に、日経平均が3万円台の頃に消費税、所得税の増税をしなかった。、
消費税を欧米並みにしていたなら今のこの国の「内患負債」はなかったろう・・・・・。

それを今や全労働者3人に一人が非正規でその年間所得は200万円台。
そして言われる子どもの貧困と子ども食堂。そこからも消費税を取る追い剥ぎ行政。

バブルでジャブジャブの時に増税しないで国民、生活困窮で苦しんでる時に増税。

どうやらこの国は国民が幸福になると、役人が不幸になるらしい。

「Jアラート解散」で国会閉店セール  


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2017年09月17日

父と僕のエンディングノート

父と僕のエンディングノート

70年前の風景だ・・・↑

国家による殺人の強要。

それに従わなければ「国家反逆罪」になる。一平民、赤子にそれから逃れる術はなかった。
一銭五輪の赤紙で狩られ「万歳の声」に死地へ赴く。生きて帰れる保証なんて
戦地では全てが敵だったろう、既に余命の尽きていた大日本帝国陸軍。それは、誰しもが覚悟していた敗戦。

僕の父。昭和18年32歳で兵隊検査出生、農家の長男だったからないものと思っていたが・・・・・
戦地、最前戦には無謀な戦略で兵士の数がどんどん減って行く中、そして、ついには南方で玉砕の報、村の20代の青年たちは帰ることはなかった。
そして、長女4歳、次女2歳と、その年には生まれるであろう妻(母)のお腹の中の子供を残して死を覚悟した父。

僕も子供を持ってみて、父のそんな時代に翻弄された人生は想像することすら出来ずにいる。
そして昭和20年8月15日「敗戦」。北支に従軍していた父はその敗戦と同時に「シベリア」へ・・・・・
ようやく復員、舞鶴港に着いたのが昭和22年冬だった、父36歳。

その復員にも、二人の妹と弟の死を知る。そして、生まれていたはずの子供の死を知る。
三女、ミサ子(昭和20年7月12日没)。生まれたのが昭和19年3月10日だったから1歳4ヶ月の命だった。

昭和24年2月11日長男誕生(僕)。

大正2年1月10日生まれの父。大正、昭和、それは「戦争世代」だった。
父(祖父)の代からの農業と酒屋は戦後もそれなりの暮らしを保てたようだったが・・・・・
大正6年11月21日生まれの妻(僕の母)は僕を産むと同時に脊椎カリエスによる闘病生活10年。
と、期を同じくして(僕の祖父)、明治17年11月1日生まれ、昭和30年5月13日没。
母(僕の祖母)明治19年8月25日生まれ、昭和33年5月30日没。

その時、父44歳。戦争というトラウマはかなりのものだったらしい。
父母(祖母)が亡くなると、酒屋もやめ、農業もほとんどやめていった。
もっとも、戦後復興というか、経済成長の中、父たちの田んぼは行政の手によって「豊岡工業団地」に。
そして、桃畑も梅畑も住宅団地開発業者に買い取られ・・・・・
その頃父は「糖尿病」を発症していて、入退院を繰り返す。それから10年と待たずに、享年53歳。

「戦争で人生が狂った」そんな父世代。

そして戦後世代のもうすぐ終わる僕らの時代はなんだったのか?

しかし、ホント、都合よく「ならず者」が生まれてくる(笑)。
そんな彼らも「犠牲者」だろう。戦わなければ生きては行けないそんな彼ら・・・・・
本当の「悪」ははっきりしているのに、おおよそ80年という寿命がそれを隠す。

さらに言えることはその「賊」の情報の全てが「英語」ということだ。
欧米で語られていること真実なんだろう、もちろん今でいうフェイクもあるだろうが。

その意味では、日本国民、1%を除いては情報「文盲」である。
戦後の文教行政は、本来なら占領政策から考えたら、日本の公用語は「英語(米語)」にするはずだった。

それを反対したのは、日本の官僚という話もあるが・・・・・
米政府も日本統治を円滑にするためには英語(米語)を公用語化したほうが都合が良かったのかもしれない。
しかし、日本国民の全てが「英語」を理解し、情報伝達手段として「英語」を使ったとしたら世界戦略情報の全てがバレバレになる。
それは、フィリッピン人が、香港人が公用語に英語を使うのとは全く質を異にすることになる。
そうなれば、第二次世界大戦後の世界政治が大きく変化していたのに違いない。

つまり、ほとんどの政治家、そして一部の官僚以外は英語(米語)「文盲」。
当然、世界発信の情報は間接的に、あるいは歪曲、捏造された情報しか入らない。
国民も、高等教育で英語を学ぼうとも、精々が「生活英語」の域を出ない・・・・・

その意味では、日本はけして先進国ではない。
日本語、母国語の「文盲率」か限りなくゼロだが、英語(米語)の文盲率は限りなく「100%」に近い。
もしそれが、多くの日本人が英語(米語)のネイティブ・スピーカーだったとしたら、それはあらゆる分野・・・・・
けして政治経済分野だけではなく、芸術、スポーツ等々の分野でも今以上に世界進出を果たしていたはずだ。
当然、日本の世界におけるスタンスも大きく変わっていたに違いない。

結局、現況の世界情勢の中では、その「文盲」が故に、引きずられていくだけだ。

この平和。それが作られたものにしろ、それを維持し続けるには「情報文盲」を正すしかない。
つまり、支配者の声が「英語」のそれなのだから・・・・・

父と僕のエンディングノート
  


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2017年09月16日

トランプもアベも頓珍漢、正恩だけが正気(笑)。

トランプもアベも頓珍漢、正恩だけが正気(笑)。

大丈夫だよ・・・
お前は一人じゃあないよ。
道連れだから。


まあ、なんだってこんな時原爆持ってるインドへ行くかなぁ、です。
つまり、インドが持ってて、パキスタンが持ってて北朝鮮が持ってちゃあ悪ことはない。
そういうことになるよなぁ、普通に。
で、世界一安全な原発をセールスって、正気じゃあないです。
しかもインドで日本製原発事故が起きたら日本国民が補償しますからって、終わってます。

トランプ大統領「国際社会を完全に侮辱 屈しない」  
アメリカのトランプ大統領は空軍基地で演説し、ミサイルを発射した北朝鮮について「国際社会を完全に侮辱した」と非難しました。

 トランプ大統領:「アメリカと同盟国は、我々の生活を脅かそうとするあらゆる者に屈しない。もちろん、近隣諸国や国際社会をまたもや完全に侮辱した北朝鮮に対してもだ」
 トランプ大統領はさらに、兵士たちに対して「アメリカは北朝鮮の脅威に対する圧倒的な能力を持っていると自信を深めた」と強調しました。

<引用:9/16(土) 11:51配信 TV朝日>
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20170916-00000017-ann-int

まあ、踊るポンポコリンです(笑)。

第二次世界大戦が終了し、東西冷戦も終了し、そら困るでしょうね死の商人は。
で、その死の商人たちは独裁者を仕立てて、しばらくしたら「ならず者」呼ばわり。
それらは戦争じゃあない、民族紛争。

サダムフセインを生んだのも、カダフィ大佐、ヴィンラディンを生んだのも死の商人。
で、都合が悪くなったもんで処刑しちゃった。

まあ、最後に残ったのが極東の「独裁国家」ってぇところなんだろうけど・・・・・
金日成、金正日、そして三代目が金正恩、なんで好き好んで危ない橋渡るのか?

そんなこと言ったら、東南アジア、カンボジアにしろ、ミャンマーにしろ民族紛争片付けて普通に発展しようとしています。
まあ、死の商人が時々ちょっかい出してイスラム戦線とかいって反政府軍を組織、援助して火種作ってるけど。

そら、金日成の時は東西冷戦だったからどうもこうもないんだけど、息子の金正日の頃には死の商人、ちょっかいさえ出さなければ、核開発なんてするはずがない。
で、金正日に「首を狙ってるから、金は出すから核開発しなさい」と、そそのかして。
その一方で、「北朝鮮怖い」のプロパガンダ、CGつくって日本に流す。
欧米なんて関係ないわけで、北朝鮮とはフランス以外は国交あるわけだし・・・・・

まあ、欧州は欧州で、死の商人のしでかした民族紛争で難民に押し寄せられて大騒ぎなんだが、元はといえばアフリカにしろ中近東にしろ欧州の植民地だったわけで、言ったら自業自得。
だって、武器売りつけて紛争させて、難民作っちゃってるんだし。

シリア、イラン、イラクはいったらアーリアの同朋です。
けど、金のためなら同胞だろうがなんだろうが知ったこっちゃないのがアーリアっていうか欧米列強。
考えたら難民に押し寄せられて被害者面してるけどイギリスとか、フランスとか、オランダとか・・・・・
でも、元はといえばこの人たちは加害者なんですね。

ま、そんなこと言ったら、朝鮮半島有事で朝鮮戦争再開して難民が日本列島に押し寄せる。
そしたら、金正恩、日本列島沈めちゃったら朝鮮半島の難民行き場がないじゃん、それに日本列島なくなっちゃったら反日できないし(笑)。
ま、元はといえば大日本帝国が負けちゃったせいで朝鮮半島分断。みんな大日本帝国が悪いのね・・・・・
まあ、欧米列強と違って大日本帝国は略奪するどころか、日本の資産の3分の一を半島においてきた、そら戦争に負けるわけです。

で、そろそろアフリカ、中東じゃあネタ切れしちゃって、しばらくはそっち、ほっといて、北朝鮮「カリアゲ君」でっち上げて、かりあげクンも災難です(笑)。
そら、普通に暮らしたいでしょ、嫁さんもいて子供もいるんでしょ、30代だし。
それが義理の兄貴とおじさんが「お前の命を狙ってる」とか囁かれて殺しちゃったり・・・・・
いや、ホントはカリアゲ君そのつもりがないのにそうなっちゃったりして。

そら、日本国民こそいい面の皮です。アベちゃんだもの、吹かれちゃってその気になっちゃって。
でも東京オリンピックは無理みたい。

トランプもアベも頓珍漢、正恩だけが正気(笑)。
  


Posted by 昭和24歳  at 15:29Comments(0)

2017年09月15日

【My way】僕は人生の終幕を迎えているのだ



20代始めの頃の音楽仲間の訃報が入った・・・
同い年の彼はピアノ弾きで僕らの演奏するキャバレー時々演奏した。
僕と彼がそんなつながりがあったことは誰も知らなかった・・・・・

68歳。咽頭ガンを患っていたんだとか、仄聞はしていたがこんなに早く逝くとは。

こうしてブログを書き始めて15年くらいになるだろうか・・・・・
幼かった末娘も23歳、来年には僕の手から離れ「マイウエイ」を歩き始める。
まだまだと思っていた僕もカミさんも気づいたら結構な歳になっている。



My way  マイ・ウェイ

そして今や終わりが近づいている
僕は人生の終幕を迎えているのだ
友よ、はっきと言おう
確信を持って言うことが出来るよ
僕は精一杯生きてきた
どんな道も避けずに通ったが
更に、それ以上に自分の道を歩んで来たのだ

少しは後悔することもあったよ
いまさら言う程の事ではないが
目を逸らさずにするべきこととはしたし
自分で立てた人生の設計図をもとに遠回りをしながらも慎重に歩み
更には、それ以上のことを自分なりの方法で成し遂げたよ

だが君が知っての通り
自分の力を超えたことをして持て余したこともあった
だけどどんな時でも、疑問が残れば
それを食い尽くしてからそいつを吐き出してやった
僕はひるむことなく何にでも立ち向かい、自分の道を生きてきた

僕は愛し、笑い、泣いた
欲しいものは手に入れたけれど、失うこともあった
そして今や涙は乾き、楽しい思いで一杯になったのを感じるよ
僕がして来たいろいろなことを考えると
ためらい無く言えるだろうけれど
「ああ、いや、そうではないんだよ、僕に限っては、自分の信じることをしてきたのさ」

男として何をすればいいのか、何を得れば良かったのか?
自分を偽れば、彼が本当に感じた事を言う事も出来なければ
祈りの言葉も口にすることは出来ないだろう
僕の人生の履歴は僕が戦いながらも
自分の信ずるままに生きてきた証なのだ!

そうさ、それが僕の生きる道だったのさ


今度のライブでは友人がこの「マイウエイ」を歌う。
第九のメンバーで、先日の加藤登紀子さんのコンサートに出演していた。
そんな彼も第二の人生を、マイウエイを歩いている。其々だろう・・・・・

そう、僕には第二の人生というものがない。

「一筋」と立派なことを言えるわけもないが、気づいたら「コレ」だけだった。

いつも書く事だが、僕らの世代は上の写真にあるように昭和29年8月、戦争が終わって10年・・・・・
みんな無邪気な笑顔で東京大空襲も広島長崎の原爆もまるで嘘のように希望ある未来を予感させている。

母がよく言っていた「空襲警報が鳴らないってほんとにいいね」て。

でも、日清製粉の時間を知らせるサイレンが鳴ると「やだよ」と顔をしかめたものだった。

あれから60年からの歳月が流れた、そんな平穏な時を追い立てるかのように朝携帯がけたたましく鳴った。

「やだよ」と顔をしかめた母を思い出した。

高校2年の孫娘を頭に、3歳になる孫娘まで6人の顔が瞬間過ぎった、マイウエイ。  


Posted by 昭和24歳  at 17:47Comments(0)

2017年09月15日

北朝ミサイル発射と前原民進代表のハニートラップ

北朝ミサイル発射と前原民進代表のハニートラップ

前原民進代表の古傷なんだが・・・
こういうことがあったのね。
「やましいことは断じてない」とか?


で、民主党政権菅内閣の時の外務大臣が前原誠司でした↓



攻められちゃってますね「ともみ組」のネェちゃんっていうかおばちゃんに。
で、ともみ組、攻めるのは強いけど守るのは弱いわけです。
北朝鮮の金正恩とおんなじですね。日本列島を沈めるとか言ったりして・・・・・けど。

で、コレ↓

「日本の領土上空を飛び越えるわれわれの大陸間弾道ミサイル(ICBM)を見ても正気を取り戻さない日本人をたたきのめさなければならない」と主張した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017091400289&g=prk

「日本人をたたきのめさなければならない」って、勘弁してよ金正恩閣下様。

叩きのめすんなら永田町だけにしてくださいな。

僕ら、下々はたった1%の永田町々民とは全く無関係なんですから・・・・・

そしたら、朝から評論家とかジャーナリストとかが「北朝鮮脅威は新たな段階に入った」とかピーチクパーチク。

確かに憲法九条の2項「「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めている、って同解釈してもおかしいわけです。

まあ、防衛力の保持として防衛省、自衛隊があるわけだし、まあ、警察で言う公務執行妨害です・・・・・

防衛手段を講じようとする公務妨害しようと暴力振るってくるんなら、しかも、刃物、ピストルを構えて。

そしたら、こっちだって最低限同等の武器もって当たらなければ殺されちゃいますから。

つまり、憲法遵守したら殺されちゃうんなら、日本列島沈められちゃうんならそもそもお笑いです。

で、我が郷土の誉れ福田赳夫首相(当時)はホホホと言いながらこう述べられた↓

福田赳夫 内閣総理大臣が「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いおよび超法規 的措置として、収監メンバーなどの引き渡しを決断。

お見事ですね、さすが我が郷土の誉れ福田赳夫内閣総理大臣(当時)、昭和の黄門様は終生「明治38歳」をほほほと(笑)。

そうです、そら、ミサイル飛んでくるんなら「超法規的措置」です。

迷ってる間はないわけで、即決断しなくちゃ、平壌を火の海にしますって。

だって、くどいようだけど、防衛費諸々これまでに200兆円から使ってるんだし・・・・・

まあ、この騒動は「平壌 vs 永田町事変」ですから、責任は現政権にありますし、早朝、電車止めないでください。

北朝ミサイル発射と前原民進代表のハニートラップ
  


Posted by 昭和24歳  at 11:14Comments(0)

2017年09月14日

日本列島を核兵器で「沈める」Σ(゚д゚lll)

日本列島を核兵器で「沈める」Σ(゚д゚lll)

言っていいことと悪いことがある・・・
アベちゃん、即確認しないとその「嘘誠」って。


北朝鮮、「核兵器で日本を海へ沈め国連を廃墟に」と威嚇
[ソウル/日本 14日 ロイター] - 北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会は14日の声明で、日本列島を核兵器で「沈める」と警告するとともに、最近の核実験に対する追加制裁決議を行った国連を破壊して「廃墟と暗黒」にすると威嚇した。国営の朝鮮中央通信(KCNA)が報じた。

【ビデオ】国連制裁は北朝鮮にどの程度ダメージを与えるのか(字幕・13日)

北朝鮮の対外関係やプロパガンダを担当する同委員会は、国連安全保障理事会の解散を要求し、安保理を「賄賂を受けた国々」から成る「悪魔の手段」と批判。

日本については「4つの列島でできた国は、主体(チュチェ)思想の核爆弾で海に沈めるべきだ。日本はもはや、わが国の近くに存在する必要がない」とした。

主体思想は故金日成(キム・イルソン)主席が唱えた、北朝鮮で指針となっているイデオロギー。

<引用:9/14(木) 14:55配信 ロイター>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170914-00000057-reut-kr

>日本はもはや、わが国の近くに存在する必要がない」とした。
で、だから日本列島を核兵器で「沈める」と警告ということなんだが・・・・・

まあ、普通に、狂ってるとしか言いようがないんだけど・・・・・

それ言っちゃったら、普通の日本人魂消ちゃいますね、オイオイです(笑)。

で、警告ってなんなんでしょうか、やるかも知れない日本沈没?

そしたら、Jアラートどころの騒ぎじゃあないでしょうに。

で、それってイエローカードってぇことでしょうか?

ま、ことがことだけに日本政府もしらばっくれたりしないで、そこんとこリコンファームしてよね。

それって、恐喝そのものだし、対話とか平和的解決とかの文言にそぐわない・・・・・

「核爆弾で海に沈めるべきだ」そら、言う方は勝手だが、ヤクザが言う「沈めちゃうぞ」とおんなじですから。

だから、アベちゃん、国民の生命と財産守る気があるんなら、ま、付き合わないとそういうキ印とも。

「本気かしら」って、島倉千代子じゃあないけど。

で、「本気だよ」って言ったら、北朝鮮の核弾頭付きミサイルが飛べないように北朝鮮上空で電磁パルス攻撃しないと。

ま、これだけ科学技術進んでるんだから北朝鮮の核弾頭搭載ミサイルにブーメラン装置インプットして、平壌へブーメラン。

そのくらい出来るでしょ、この10年だけで防衛費50兆円超使ってるんだし・・・・・

で、北朝鮮の通常ミサイルにもそのブーメラン装置を仕込む、スパコン駆使して。何のために消費税8%取られてるのか?

こういう時のためです(笑)。

しかしね、金正恩が言ってるのかどうかは知らないけど、余りにも馬鹿げた話です。

で、東京では朝鮮学校の授業料無償化が否決され、政治と教育を同一視するなとか騒いでるんだけど・・・・・

北朝鮮の核弾頭搭載ミサイルで攻撃されたら、そんな話してる場合じゃあないです。

ま、トランプといい、アベちゃんといい、なんで付き合ってんのかねぇカリアゲくんと。

「断じて許しがたい」って、じゃあどうするのかとは言わない、アベちゃん。

で、国連を破壊して「廃墟と暗黒」にすると威嚇した。

まあ、国連って言ったらミューヨークなんでトランプタワーもありますから、「廃墟と暗黒」だそうです(笑)。

日本列島を核兵器で「沈める」Σ(゚д゚lll)  


Posted by 昭和24歳  at 19:04Comments(0)

2017年09月14日

【10.13】高崎オーパが終わる日

【10.13】高崎オーパが終わる日

1976年3月26日(金) にオープン「ニチイ」。
忘れもしない・・・
長女が生まれたのが1976年3月25日(木)。


まあ、せっかくの祝賀ムードに水を差すつもりはないんですけど・・・・・
長女が41歳だから38年でニチイ(ビブレ)は建物の老朽化、経営不振で閉店したわけだが。
そら高崎の街中、藤五、スズラン、八木橋、十字屋、田原屋、ニチイ、ダイエー、高島屋デパート等などありました。
戦後、高度経済成長機は良かったけど、そういう大規模商業施設ができて中銀の小規模零細商店は壊された。
しかし、その経済成長も終わるとそれらデパート、高島屋を残して全て終了。

で、旧市街地の食料品店は郊外型スーパーのとりせん、フレッセイ、ベルク、ヤオコーで全部消えた。
ま、別に恨み節じゃあないんだが、時代でしょうか、自民党政権下の商法改正、大店法改正ですから・・・・・・
当時、自民党をヨイショしてた商店組合のおじさん連中、結果、自分の首を絞めていたのに気づかなかった(笑)。
僕んちは高砂町だったんだけど酒屋、米屋さんは福田さん、当時の若手経営者は中曽根さん支持者。
で、ご案内の小渕先生は「ビルの谷間のラーメン屋」で、気づいたら世の中すっかり変わっちゃってて、シャッター下ろしちゃいました。

で、コレ↓

高崎オーパ/10月13日グランドオープン

  株式会社OPAは、高崎オーパの詳細について同社ホームページなどで8日に発表した。
 発表によれば、グランドオープンは10月13日(金)午前10時。
「SENSE+(センスプラス)」をコンセプトに、有力セレクトショップや群馬県初出店となる話題のショップ、こだわりのメニューを取り揃えたレストランやカフェなど約160ショップが出店。群馬県初出店が72ショップ、高崎初出店が17ショップ。
1階が食料品売り場、高崎観光協会の高崎じまん、2階から4階がレディス、5階がメンズ、6階がキッズ・インテリア・雑貨、7階~8階がフードコート、書籍、CDショップなどとなっている。6階には群馬初登場のナムコあそびパークPLUSも登場する。
高崎駅前の新しいランドマーク、北関東エリア最大級のファッションビルを展開するとしている。
 地域との取り組みでは、1階に高崎産品を販売する「高崎じまん」、7階の「開運たかさき食堂本店」がオープン。群馬の食にこだわった品揃えも工夫している。
3階にはラジオ高崎のメディアスタジオが設置され、新しいメディア発信に挑戦する。2階はペデデッキで高崎駅と接続しイベントスペースを設けるほか、メイン入口に260インチビジョン、東面、南面の外壁はLED照明で演出する。
 まちなかの回遊性を創出するために、高崎オーパには駐車場はなく、周辺の有料駐車場を利用する。特約駐車場は高崎駅東西に約7000台。グランドオープンでは周辺の混雑が予想され、高崎オーパでは、公共交通での来店を呼び掛けている。
高崎オーパの情報は同店ホームページ参照。
http://www.opa-club.com/takasaki/
<引用:2017年09月8日 高崎新聞>
http://www.takasakiweb.jp/news_cat/6118/

まあ、藤五、スズランが出来た時みたいなもんで、僕んちの母ちゃんなんか・・・・・

「やっぱり、洋品は富士屋だよね、呉服は久保川だね」って、藤五にもスズランにも一度も行くことはなかった。

まあ、中央銀座通りへ行けば生活用品はだいたい間に合ったし、家から2,3分のところに魚屋、酒屋、八百屋、肉屋、豆腐屋があった。
もちろん薬局だって町内一軒、米屋は近所に5軒もあったね、有間、長井、浦野、田角、矢島米穀店と。
まあ、よく商売になったと感心するんだが、今更ながら。自転車屋も安藤、天田と2軒あったね。で、八間道路なんてショッピングモール(笑)。

それが全部消えた、この40年間でね。

で、オーパのところなんだが・・・・・

当時、あの頃の高崎駅前の土産物屋辺りは確か「アーケード」になっていたように憶えている。今の朝鮮飯店の合い向かいがやはり旅館で道幅は現在の半分くらいだろうか大きな建物といえば新町までの右手の、月賦専門店「緑屋」が目立っていた。

僕は駅を背に右手の「馬車屋」と云う「おにぎり屋」が贔屓だった。日通の高崎支店の手前である。

姉さん風の「キッ」とした女将さんと、手代のお姉さん。年の頃は三十半ばか。その女将さんにしょっちゅう叱られながらも甲斐甲斐しく客を案内していた。

「すみませんねぇ、気が利かなくて」

女将は手を休めることなくおにぎりを握りながら客を気遣う。

「すみません、すみません」

と、すみませんを口癖のように繰返す手代のお姉さん。
まあ、客が七、八人で目一杯のカウンターだけの店だからそう意気込むこともないのだろうが、その女将さんはどう言う訳か律儀であった。
兎に角、その馬車屋。季節季節の漬物が美味い、これが堪らなく美味いのだ。
それに、大きくも無く小さくも無い、いつも炊き立てのご飯のおにぎり。
僕はもっぱら、「おかか、こんぶ、シャケ」だったが、さっと仕上げた「なめこ汁」もなかなかのものだった。

今ではそんな気の利いたものを食わせる店はない。
もっとも食う方もどうやらその辺、即席「インスタント世代」美味いも不味いも口が知らないのかも知れない。
その「馬車屋」も再開発とやらで、僕が暫く高崎を離れている間に姿を消してしまっていた。
もう一度食べてみたい。どうしても食べてみたいもののひとつなのだが・・・

しかし、どうやらそれは思い出の中に仕舞われてしまうのだろう。
そうと思うと無性にもう一度食べてみたくなる最後に食べたのが昭和55、6年だったろうか。

間口半間のガラスの格子戸のシブイ滑車の音が今も耳に残る・・・

「馬車屋」を挟んで南に「もみじ食堂、小徳食堂」そして「堺屋土産物店」。
北に、「キング・バー、喫茶うえの」とあったように記憶する、そして「日通」があって、そこから先は今は旧ニチイ、高島屋となる。
が、一帯が「高崎倉庫」と「群バス」の車庫があり、もちろん舗装などはされてはおらず、梅雨時などの雨上がりは歩くのにも一苦労。
また、雨が上がって乾けば乾いたで砂埃でまた往生させられたものだ。

その頃は高島屋の「た」の字も無い。今の高島屋、旧ダイエー辺りで「慈光通り」は袋になっていて、日通の貨物トラックと国鉄の客車の操作場が昼夜違わずけたたましく賑やかな音の所だった。

で、そのオーパなんだが、まあセオリー通りなら40年です。
40年て言ったら、2057年日本の総人口が9000万人台になっちゃうとかで・・・・・
団塊世代ジュニアの昭和51年生まれの長女も81歳だから超高齢化少子化時代です(笑)。
ま、ショッピングモールって商店長屋だし時代の流れの敏感だし、大資本は。

そんなわけで、小売ビジネスはアマゾンにせっけんされるかも・・・・・

オーパも閉店、解体とかで騒いでるんじゃあないでしょうか、2057年ころ。

【10.13】高崎オーパが終わる日

  


Posted by 昭和24歳  at 12:40Comments(0)

2017年09月13日

アベのカケ・モリなんて可愛いもんです(笑)

アベのカケ・モリなんて可愛いもんです(笑)

これで知らなかったらただの馬鹿です。
まあ、できればこの時代に“暴れん坊将軍”か
“水戸黄門”にお出まし願いたい、マジで!!


2009年とかか言ってたけど、2010年に開港した“茨城空港”。

これは“航空自衛隊百里基地”の官民併用案からとかいうやつだったんだけど・・・・・
早い話、公共事業ですね。滑走路整備と空港ビル建設。
なにせ、あのアベ友のバンソーコー農水大臣と元額賀防衛庁長官・現財務大臣の。
そんでもって茨城元竹内藤男知事とか言うオッサンがいました。古い話のようだけど10年そこそこです。

で、“元竹内藤男知事”と言えば東大閥の建設官僚、その建設省時代は東京オリンピックからつくば学園都市、つくば万博時代の“悪代官”で、
後に、その“功績”が認められ“参議院議員”に、さらにその“功績”が認められ茨城県知事にめでたくでした。

しかしその“功績”が功績ではなく“悪行”の数々が露見して、“ハザマ”からの収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕される。
もちろん同じく茨城選出の宮沢内閣時代の元自民党建設大臣“中村喜四郎”も同時期に逮捕、実刑で現在は自民党二階派の衆議院議員。
しぶといです、昭和24歳です。世襲だけど、それがどうかしましたか?同い年のガースー官房長官は昭和23歳、成り上がり。

東京オリンピックも、時代が時代だっただけに“汚職”も糸瓜もなかったけど、まあ、無法地帯だったとか (笑)。
あの東京ディズニーランドもつくば学園都市も、東海村原研も「ここ掘れワンワン」で、こ小判がザックざく、花咲爺さんがいっぱいましたから。

江戸の昔なら、三井不動産もそれにからむ代議士も、悪徳商人“三井屋”と悪代官、暴れん坊将軍か水戸黄門に懲らしめられたのに、
まあ、ハザマが捕まって、竹内知事が捕まって・・・・・別件で中村喜四郎建設大臣が捕まってチョン(笑)。
ま、もちろん「モリ・カケ」なんて市議会レベルの汚職ですから、アベなんてチンケで小粒でだいそれたことできませんね。

しかし“茨城空港”には笑えるね。だいたい茨城県人は使うかも知れないけれど、他所から茨城めざしいて来る人いるんだろうか?
確かに企業城下町日立市とか東海村とかあるけれど、まさかそこだけのためにねぇ・・・・・
毎年赤字だそうです、だって需要予測が年間100万人なのに50万人チョボなんだから赤字は当たり前(笑)。
ま、そもそも黒字が目的じゃあないし、お金を引っ張るだけの金づるだし。

まあ、静岡空港も(笑)。
静岡県人は使うかも知れないけれど・・・・・静岡に来る人ってそんなにいる?
で、こちらは需要予測の半分以下、どころか空港使うと100万円くれるんで中国の航空会社に人気って、アベノミクスです。
で、静岡空港、アクセス悪いんで空港、掛川JR間は無料バスって税金負担ですか、で赤字じゃあやんない方が国のためだけど、
これにぶら下がっている役人、業者の生活保護費です。

結局、大型公共事業で官僚のお仕事、政治家の票、大手ゼネコンの食い扶持。

高齢者のためったって、土建やさん、老人福祉施設建設くらいじゃ知れてますもんね。

因みに、ある本に寄れば“長寿医療制度”は日米構造協議の一環だとか。
結局、低所得者層の“長寿者”は切り捨て・・・・・長生き禁止(笑)。
そこそこに不労所得、年金のある“長寿中産階層”の老人に“米国仕込み”の高額高度医療を売り込む。
そしてそのために“長寿中産階層”のための特別医療保険(米国の)の市場を確立する。

もっとも、医者だって人間、低所得の長寿者を診てカスカスの診療報酬よりは“金持ち”の長寿者を診てウハウハのほうが好いに決まってるし。

まあ、現役時代、取れるだけ天引きしたのに・・・・・
年取ったら、「若い人に迷惑かけていいのか!!」で、年金減らされてじゃあ、立つ瀬ないね。
まあ、若い人だってそのうちに高齢者になるわけですから、人生いろいろじゃあないです。

ところでね・・・・・

日本国民、どんどん所得が落ちて国内消費が落ちるてえことは、即ち、国内産業が衰退するてえことじゃあないんですかねぇ。
国内消費、内需が拡大すればするほど、国内産業は研究開発にも資金が回るし技術も開発される・・・・・

つまり“内需減退”は“国力の衰退”

米国は経済占領政策(日米構造協議)で「角をためて牛を殺す」。
ということは、最終的に、この日本を戦争経済に持っていこうとしているんでしょうかねぇ。

昨今の若者の無軌道な殺人事件・・・・・
結局、家族崩壊からの少年少女非行。
しまいには51歳の中学教師が中三女子を淫行旅行だとか・・・・・
何もかもが狂っちまったような世間。

はっきり言って、携帯電話。国民、それも弱者少年少女の精神を完全に蝕んでいる。
これが、国家の政策なんでしょうかねえ。

携帯なしの生活は考えられないとか。
しまいには携帯のために犯罪にまで走るとか・・・・・

しかし、事の始まりは「なんてったって小泉~」でした。

で、アベのミクスとしては、東京オリンピック2020年の工事が気になってやめられないんです。

モリ・カケなんてゴミ案件ですから、キックバック

アベのカケ・モリなんて可愛いもんです(笑)  


Posted by 昭和24歳  at 18:42Comments(0)

2017年09月13日

【昭和24歳】黄昏て“爺放談” もうすぐ10周年

【昭和24歳】黄昏て“爺放談” もうすぐ10周年

昨夜彼の夢を見た。亡くなった父の夢も見た。
父は53で他界、僕が15の時だったから・・・
今あっても父は僕のことは分からない、きっと。


2007年12月17日

壊れる時代

今年を言う字が“偽”だとか・・・・・

請負偽装、耐震構造計算書偽装、食品偽装・・・・・

平和偽装――――

敗戦、占領、講和、解放。

戦勝国は本当に敗戦国に寛容だろうか?

NHKテレビでも“戦国モノ”が人気だが、
お人好しといわれる日本人、民族が、勝者が敗者を裁くときはその情けに容赦はないことを見せている。
敗者を生かしておけば必ず意趣返しするは歴史の倣い・・・・・

勝者の描いた“講和条約”がはたして敗者を赦すものだったのか。
今にして思えば、到底そのような判断には達しない。

国家は全ての国民を犠牲にして「国家の存亡」のみに開戦した。
歴史の証明に見れば、江戸幕府の開国、外圧工作での政権交代、維新・・・・・
それから僅か十数年で、今までこの国が経験したことのない外国との戦争、「日清、日露戦争」。
それら戦争が、開戦も、停戦も外圧工作であった。
もちろん農業国ニッポンに欧州のような産業革命があったわけではなく、
さらにその戦費は工作された戦争に、いわば“押貸し”で“勝利”とは名ばかりの「偽装戦勝国」。

それまで刀とも、銃とも無縁の最下層の「鍬鋤の農民」に「大和魂」を言わせ・・・・・・
まるで、“廃鶏”を“比内鶏”とでも言うかのように勇ましい「日本軍人」に俄仕立て、偽装して、
その工作された戦争の犠牲者に至らしめた。

昭和の日中戦争も大東亜、太平洋戦争も同じ・・・・・・
農民を、大衆を勇敢な大日本帝国陸海軍兵士に無理矢理偽装し“国家”と言う支配階層が、
その支配階層の利益のためだけに仕掛けられ、開戦。
百歩譲ってそれを聖戦と言ったところで、僅か半世紀前の「黒船の国」に宣戦布告は正気の沙汰ではない。

そもそもお叱りを承知でその“偽装”を言えば・・・・・・
「現人神」。つまり、まさに“神話”、騙り話の域を出ない「偽装中の偽装」が今日、現代もこの国の象徴と世界に語る(騙る)。

いみじくもあの“髭の殿下”が仰せられた・・・・・・
10月20日付のニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたインタビューで、

「皇室はストレスの塊のようだ」と。

その意味で世界が“人権”をいうなら、日本人にあって苗字もなければ、戸籍もないその存在は、
「ヒトとして」確実にその“人権”を剥奪されてはいまいか・・・・・・
その代償が、執拗に国家に保護された皇族、皇室という儀式の中の“現ヒト”と言う、神格化された存在なのか。

普通の、極々普通の、そこにさえ生まれなければ「普通の日本国民」だあったろうに。

たしかに一部、有識者日本国民が胸を張る万世一系のまこと稀有な人々かも知れないが、
そのことの事情は「日本だけの」、しかもその「国家だけの」事情でしかない。

ところで、その「ストレスの塊」に嫁がれた衆議院議員・麻生太郎氏の妹君、寛仁親王妃信子さまのご心境やいかに・・・・・
余計なことだが、その麻生太郎氏とは15も年の離れた妹君、妹君の夫君が「ストレスの塊」で、「アルコール依存症」ではさぞやご心痛。


その意味では日本国民は「偽装慣れ」しているのではなかろうか(笑)。
僕ら農民の末裔としては耳慣れた言葉、言い回しに「商人はずるい」というのがある。
そう言う僕も一時、自らの商いに「偽装」を習慣としていた。

それは「産地偽装」である。

「MADE IN USA」でもないくせにパーツを「MADE IN USA」を用いていることをいいことに、
「このギターは“アメリカ製”」だと広告宣伝して消費者を欺いてきた過去がある。
ま、それというのも木工、塗装、組立技術もその頃のアメリカ人には日本人技術者の真似はできなかったからだが。

実は、今のそれらの商品のほとんどが「“そう”なのである」事実、真実を知る立場にある僕だが、
僕の場合も、できうる限りその「偽装」行為を、工作を最小限に止めるべくその時代はアメリカ大陸を往復していた。
しかし、白状すればそれは明らかに“偽”である。今更遅いが多くのユーザーにはこの場を借りて深くお詫びをする。
いっそのこと、その筋の専門誌“ギターマガジン”にでも「謝罪広告」を見開き2ページでしてみようか(笑)。
リークしちゃうと、あのF社、G社の金物パーツはほとんど「MADE IN ISESAKI」なんだから笑って誤魔化しましょう。

商号“比内鶏”の社長も最初から「比内鶏ではなかった」と、正直(笑)。
ミートホープといい、白い恋人といい、赤福といい・・・・・
多かれ少なかれ“偽装”は日常茶飯事ではないのか。

間もなくその日がやって来る「メリー・クリスマス」。
山崎製パンのクリスマスケーキも暇な夏場に作り置きした“冷凍”の「作りたて」とか?

大きければ大きいほどその偽装は薄められる・・・・・・
防衛庁が“防衛省”になって、たちまちそのインチキ振りが白日にさらされた。
もっともそれは昨日今日のことではない。1970年代のグラマン事件に始まり、10年ほど昔の「NECグループ」の数百億円“水増し請求事件”も、
そして数年前の防衛施設庁の談合事件・・・・・・それがきっかけで小泉純イチロー首相の時代に抜擢の守屋武昌事務次官・・・・・・

国を守る自衛官は「こう言うことをしてはいけませんよ」を作ったその張本人が「そう言うこと」で小菅の塀の中。
しかもカミサン同衾で。
それこそ、「笑っていいとも」、「笑ってる場合ですよ」どころの話ではない。
その防衛省、“テロ特”の無料ガソリンスタンドだって「偽装中の偽装」のつくり話・・・・・・
だから、本当のことが言えない。
一体全体、アメリカ等の艦船等に給油している“ガソリン”はどこで仕入れているのかを、

「それは秘密です」

昔のNHKのクイズ番組じゃあないんだし、どこの石油会社からいくらでどれだけ仕入れて、どれだけ給油しているのかを聞いても防衛大臣、

「日本の商社“A社”と“B社”ですが、そのお名前は言えません」

巷ではご案内の“Y洋行”がその内の一社だとか言われているが(笑)。

その海自給油艦の証拠を示す航海日誌を紛失してしまったとか、どこからか出てきたとかで、大日本帝国大本営も真っ青のちゃらんぽらんの“防衛省”。


しかし最後の最後に笑わせてくれたミヤコヤ蝶々似の“船場吉兆”の女将。

「頭が真っ白と言え」とか、「嘘でした、嘘でした・・・・・」と、
そのヒソヒソがすっかり表マイクに入っちゃってる。
いくら大阪が「ボケと突っ込み」の世界とはいえ吉本新喜劇も真っ青。

しかし、庶民、大衆の生活は偽装ができない(笑)。
お国のためにと、身包みはがれる「偽装財政」は消費税増税の連呼。

かと思えば、「最後の一人まで、来年の3月までには・・・・・」。

「そんなこと言ったかなぁ・・・・・フフフゥ・・・・・」
が総理で、

「選挙の時だからつい・・・・・」
が、官房長官(笑)。

つまり、政権与党、政府は選挙の時には「嘘八百」を言いますってえこと。

「偽装選挙公約」

相変わらずの“大本営発表”ですな・・・・・

そして時代は壊れた、昭和20年8月15日。

壊れる時代


で、あれから10年だけど今も政治は嘘ばかりのウソップ寓話「欲張りな犬」だらけ(笑)。

税金取り放題で今度は「出国税」だって。

その内空港利用税じゃあないけど、新幹線利用税とかの徴収をいいだすんじゃあないの?

チャンチャン!

  


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2017年09月12日

【団塊通信】グアム島行商紀行

【団塊通信】グアム島行商紀行

奇天烈、グアム島にミサイルなんて(笑)。

世界を股にかけた団塊世代・・・・・

HISの澤田氏は僕らと同年代昭和24歳か、23歳か?
その沢田氏も当時旅行業界、といってもブルーカーなんだが、韓国で仕入れて東京で売る。
まあ、外人相手か当時の団塊世代、ま、格安航空券なんかなかった時代で・・・・・

ソウル発、羽田経由米国西海岸行の往復航空券、なんでもその値段が正規の3割くらいで仕入れられたんだとか。
で、その航空券買ったやつはソウル発、羽田を使ったことにして羽田、西海岸のチケットを使い、帰国も羽田でソウル行を破棄。
もちろん、キャリアによっては香港発なんていうのもあったみたいだけどマレーシア航空とかは緩かったみたい。
僕が始めたアメリカ(LA)へ行った時も、ブローカーから買ったブラジル航空のチケット、当時で往復12万円くらい、1年オープン。
しかし、米国入管はホノルルでした。で、帰国は真冬のアンカレッジ経由、トランジットが6時間くらい(笑)。

それにしても面白い時代でした・・・・・

で、HISの沢田氏なんかも随分と儲けたんでしょうね。
あの時代、目鼻が利いてた団塊が成り上がってます。あのGコードのジェムスタージャパンも知人です。
まあ、日本の学生運動尻目に、留学?遊学?で、英語ペラペラでしたね、フルハムロードの三浦先生もそんな一人?

音楽仲間に実に愉快な奴がいた。
未だ独身の頃だが所謂「ヒッピー」というのがはやった頃のこと。
既にベトナム戦争は終わり、学生運動も拍子抜けした頃のことで矛先は「成田闘争」へと向かっていた時代。

「ユー、グァムで商売になるぜ」

と、バンド仲間の米国系中国人の奴、なぜか大金持ちの息子で、両親は広尾の億ション住まい。
なんでも欧陽菲菲と親戚なんだとかで、「家族歌合戦」その欧陽菲菲と一緒にテレビで歌っていた。
その大金持ちの息子のそいつが僕にそう言った・・・・・
余談だが、そのアメリカ系中国人のやつ、アメリカンスクール時代にあのブリジストンファミリーの成毛滋とバンドを組んでいた。
なにかの時に一度その成毛滋宅を訪問したんだが、目のくらむようなお屋敷に目のくらむような楽器が(笑)。

で、要するに、グァム島に日本の「ヒッピー商品」、主にアクセサリーといったたぐいだが、それを卸すのだという。
まあ、あの時代、街角にはいわゆるそのヒッピーとかが手作りのアクセサリーを露店で商っていた・・・・・・

実はその頃は70年代も半ば、ロックもだいぶ下火で、
僕らは5月ころになると拠点を恵比寿と軽井沢に移し、そのヒッピー商売をやった。
で9月になると軽井沢のバーゲン屋で仕入れた洋服雑貨を東南アジアへ輸出して一年を暮らそうなんていういい加減な若造だった。
若造とはいっても既に24歳になっていて、イッチョ前を気取っていっぱしのつもりでいた。

あの時代、軽井沢でひとシーズン、5月から9月半ばまで2、3坪の店を借りて40万くらいだっただろうか・・・・・・
とにかく極楽トンボの青春も最後の時代だった。

でひととおり軽井沢バーゲン物の香港向けが終わると横山町で子供だましのアクセサリーを50万ほど仕入れた。
で、試しにと仲間3人でグァムに持込む。それらをグァムの商店にセールスして歩くのだ。

昭和48年の11月の話だ。

羽田、グアムのツアー料金はたしか6万円ほどした・・・・・・・
宿泊はグアム第一ホテル。

グァムにはなぜか、インド人の商店主が一番多かった。
その次が、華僑、そして韓国人。
グァムには周りの島々からクリスマスの頃ともなるとその商店主が仕入れにくるのだそうだ。

持込んだ商品は二日ばっかりで全て売れた。
聞けば、インド人は無茶苦茶商売上手だという・・・・・
そう言えば、香港でもインド人の商店主は多かった。
まあ、インド人とはいっても、あの手の顔は僕なんかはみんなインド人に見えてしまうから、
それが正真正銘のインド人であるかどうかは定かではない。

そこで知り合った、香港人に・・・・・

「今度その商品香港へ持ってこないか」

と、誘われた。

で、グアム島なんだが、11月といえば雨季にさしかかったグァムは雨ばかり。
それも日本でいえば台風のような雨。いわゆるスコール。
それに海にはナマコの大群で、とてもじゃあないが遊ぶどこではなかった。

もっともその頃のグァムは未だ、信号がひとつもないといったようなところで・・・・・
72年、恥ずかしながら復員した横井庄一さんの洞穴を見学したくらいか(笑)。
つい1年半前ほどの「日本兵発見」の話だった・・・・・

翌年、グァムで知り合った香港人を香港島のワンチャイに訪ねた。
もちろん注文の品物をしこたま持って。

貿易商を気取ったつもりが、今にして思えばただのカツギ屋だ(笑)。
周りの観光で香港に行く日本人の興味本位の眼差し。
もっとも僕はいっぱしの貿易商人のつもりだったから結構態度がでかかったのかもしれない(笑)。

よくよく考えたら、髪の毛ぼさぼさ(流行のロン毛)にTシャツ、穴だらけのジーパン。
実のところはよほど奇天烈に見えたのかもしれない。

パックツアー大盛況の頃で、200キロほどの手荷物も団体に潜り込んで、
超過料金、オーバーウエイトチャージなし。
旅行会社(近鉄)の添乗員に袖に下を渡して・・・・・・

当時はちょうどニクソンショックから3年ほどで、1ドルが300円ほどだっただろうか。
対円、香港ドルは54円くらいだった。

軽井沢の売れ残り商品をかき集めて、香港で卸す。
香港にはインドネシア、マレーシア等の商人が仕入れにくる。

日本製は高価だ。
しかしその日本製を買うのは東南アジアのセレブ、半端じゃあない富裕層・・・・・・

ワンチャイに事務所と店舗を持つ「王さん」。その店の看板には、「日本時装」と書かれている。
所謂、日本の流行ファッション問屋といったところだろうか。

とにかく日本製品は引く手あまた、訊けば香港の若手の商人の多くが日本製品を探しに来日しているという。
まあ、その「王さん」もそうした香港のファッション業界にいて独立したのだという。

で、ご案内の通り、一年中が真夏の国の東南アジア・・・・・常夏。
日本のサマーバーゲン商品は大好評だった。
ちょうど、原宿、竹下通りが流行りだした頃で、マンションメーカーめぐりで、主に返品をひと山いくらで買い付けた。

日本製、出来はしっかりしているし、ファッションセンスもいい。
モノは瞬く間に売れた・・・・・・

3年は続いたか・・・・・
しかし1ドルが200円を切りそうになる頃、そして香港ドルが28円になった頃・・・・・・
つまり円高で商売にはならなくなった・・・・・・

井の中の日本人、大海を知らず。

まさにそのままの僕。
いや、知らないから出来ている・・・・・
知っていたら臆病風が先に吹いてそんな経験も出来なかっただろう。

まさしく田中角栄の時代だった。

今の、この時代の若者、青年はどんな夢を見るのだろうか。

僕らの見たそんな夢・・・・・


そして今日この頃がこの時代だ。
北朝鮮のミサイルがどうのこうのと、時代は目覚しく進んだというのに戦争の騒ぎをしている可笑しさ。
中東、ヨーロッパのテロ騒ぎもそうだが、主役は国連常任理事国とかの5カ国・・・・・
日本政府の親方は、パシリ、伝書鳩でいいように使われている。

嘘のようでホントの話なのかもしれない、ま、金目となれば戦争もありだろうが、やったら韓日で1000万人くらいは死ぬ。
まあ、トランプ、習近平、プーチンが戦争するわけじゃあない、戦後処理の戦利品の奪い合いで揉めるだけ。

この先どんな時代になるか。これで、夢のような老後はあまりにも虫が良すぎる(笑)。

つまり、今日の社会、政治状況を見ても、いわれる「団塊の世代」。
僕らの責任は極めて重いモノがあるはずなのに。

夢の中に幕を閉じるのか、人生の・・・・・

【団塊通信】グアム島行商紀行  


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2017年09月09日

【昭和の昔話し】エレキの行商「北海道一人旅」

【昭和の昔話し】エレキの行商「北海道一人旅」

昭和64年ころ・・・・
1200円くらいだったかなぁ?


たしか、八戸、夜10時00分出発の苫小牧行きフェリー。苫小牧着は早朝7時。
晩秋には下手をすると苫小牧は一面銀世界。そんな中を一路、札幌へと急ぐのだが、
札幌に着くとまず一番のお得意、カワイ楽器時計台店の開店に合わせるために札幌駅地下の“賓龍”、札幌ラーメンを朝飯代わりに食べる。

もちろん、札幌の夜は「魚や一丁」で、そのカワイ楽器時計台店の主任を誘って酒盛りだ!!

まあ、そこの“イカ”の美味いことと言ったらなかった。
最近ではその「魚や一丁」も仙台店、東京新宿店、池袋店と進出しているようだったが当時は札幌に三店ほど。

ナナ、ナント今では香港にも進出してるんですね「魚や一丁」!!

仙台のも、新宿、池袋のも何度か行ったが札幌のそれに適うものは何もなかった。
わが女房殿はその札幌の「一丁サラダ」が好みだった。もちろん大ぶりのイカ刺し、タコブツもだが。

札幌で商ったあとは小樽。小樽で泊まることはあまりなかったが、国際ホテル(バブル後に破綻)の地下にあった“利尻”という居酒屋。
そこのイカも、利尻直送とかで兎に角美味いの美味くないのと言ったらなかった。
小樽の花園のお得意に立ち寄ると、次は一路旭川へ。

旭川も、居酒屋と言う居酒屋、やはり魚が美味い。もちろんイカも!!

一度、真冬に車で行商に旭川に向かって高速を走っている時、猛吹雪。途中、岩見沢インターで降りて電車に乗り換えて旭川に向かった。
旭川に着いたのは午後6時ころだったろうか、街はすっかり雪に埋もれていて、駅頭の温度計はマイナス20度くらいを示していた。
夜中、ホテルに帰るころには“ダイヤモンドダスト”がキラキラと舞っていてファンタジックの世界。

ワシントンホテルにチェックインすると、お得意の店長を誘って居酒屋へ。
やはりここでもイカ尽くし(笑)。
旭川のもう一つの楽しみは「赤門」という“旭川ラーメン”。とにかく辛くて美味い!!

冬場の北海道行商は旭川止まりだけど、4月から10月までのそれは旭川から層雲峡を抜けて北見のお得意に立ち寄り、
屈斜路湖の湖岸、243号線を一路、釧路へ。釧路のお得意、北海道全道にチェーン展開する楽器店、やはりそこのマネージャー氏を誘う。
釧路って言えば「炉辺」発祥の地。例のお婆さん名物の「炉辺焼き」でやっぱり飛びっきりのイカ焼き!!

翌朝、釧路を出ると次は帯広。

釧路から白糠、音別あたりまでは白い海岸線。太平洋のなんとも綺麗なことといったらなかった。
38号線を浦幌、豊頃、そして帯広。
帯広駅近くの楽器店で一通りの商いをすませると、やはり帯広の居酒屋でやはりイカ尽くし(笑)。

しかし、夏場の北海道は兎に角グッド!!
夏場はほとんど、行き当たりバッタリだとビジネスホテルは取れない。
そこで、民宿とか旅館に泊まることになるんだけど、もちろんクーラーなんかはない!!
まあ、冬の北海道もご機嫌だけど、夏場のそれはつい仕事を忘れてしまうほどだった。

帯広の次は一気に札幌まで戻るのだが、当時は高速などはない。
274号線、日勝峠、ここは夏場にはよく雨が降る、かなりの難所だった。
夕張まではけっこうな時間を要した。もちろん夕張メロンを宅急便で自宅に送る。
札幌につくころは夕闇が迫っていた。

その日は札幌泊となる。

夜はやはりお得意の札幌のミュージシャン経営のライブハウスで、ご機嫌な音楽を楽しんだ後は、そんなミュージシャンたちと深夜、札幌ラーメンで打ち上げ。
もちろん“ラーメン横丁”なんていうのは観光名所で「美味いものなし」。おまけにしつこいほどの客引き合戦には閉口する。
よく行ったのは3丁目のやはり賓龍だった。

札幌は早朝出立。函館のお得意の営業時間に合わせるべく定山渓、中山峠、羊蹄山の230号線を洞爺湖畔、昭和新山を左に眺めながら一路長万部、八雲と函館本線沿いを函館まで5時間ほど。

北海道行商最後の函館。やはり居酒屋なんだけど函館は「函館山」が決まりだった。
その「函館山」のご機嫌な肴は“函館山”だ!!
納豆に、山芋に、大間のマグロのブツ、イカ刺し、ホタテ、これをかき混ぜてワサビ醤油で食べる。
ワッ、思い出しただけでも咽が鳴ってしまう。

翌朝は、函館の朝市で「朝市ラーメン」を食って、フェリーポートに急ぐ。
函館をお昼チョイ前に乗船すると3時少し前あたりになると右手に“竜飛岬”が。
思わず“津軽海峡冬景色”の一節も唸りたくなる(笑)。

夏場意外はガラガラの青函連絡フェリー。ほとんどがトレーラーの貨物搬送車ばかりで、デッキも貸しきり状態。
それはチョイとした至高の時、4時間ほどの船旅が楽しめた。

もちろん、青森からが♪みちのく一人旅♪津軽三味線の調べにのせて・・・・・

エレキ行商の旅が会津若松までつづく。

【昭和の昔話し】エレキの行商「北海道一人旅」
  


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2017年09月09日

【建国記念日】アントニオ猪木が闘魂注入訪朝

【建国記念日】アントニオ猪木が闘魂注入訪朝

闘魂注入しちゃったら、
金正恩、「ヨッシッ」ってならない?


アントニオ猪木氏、北朝鮮に到着 核実験実施で緊張高まる中
 元プロレスラーのアントニオ猪木(Antonio Inoki)参院議員が7日、北朝鮮の首都平壌(Pyongyang)に到着した。数日前に北朝鮮が6回目となる核実験を実施し、緊張が高まる中の訪朝。
<引用:9/8(金) 12:08配信AFP>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170908-00010006-afpbbnewsv-int

まあ、平和だつうことです。

空気の読めない我が大日本帝国のアベシンゾー将軍。

ロシアだってウクライナで制裁受けてるわけで、まあ、ミサイルだってロシア製かも知れないし。

もちろん戦闘機だって潜水艦だって通常兵器のミサイルだってロシア製・・・・・

まあ、出来レースです「米・中・露」の合作。で、ロシア製の通常兵器のタグを「北朝鮮」に付け替えて輸出。

もちろん、中国製とでもしてるんだろうけど、で、日韓はせっせとアメリカ製兵器をセールスされてます。

ま、「死の商人」ですから、適当に生かさず殺さずです。殺しちゃったら顧客失いますから、煙だけ上げてオシマイ。

そらそうです、Jアラートがなって5分でミサイル着弾つったら、まあ、どんだけのミサイルなのか、核なのか?

今時の兵器なら頑丈な建物もヘチマもないわけで、中東の戦争ごっこ見たら一目瞭然です。

それに、中露だって戦争に加担してたりしたら、習近平、プーチンの体制すら、寝首かかれちゃうかも知れないし。

世界第二の経済大国になった中華人民共和国ですから国民だってわかってます、ゼニ勘定が(笑)。

まあ、上海あたりのコンビニのバイト時給は東京より高給だそうで、宅急便だって請負配達一個150円(バイク)。

日本は自転車リアカーで一個100円だそうだから、中国人だって平和のがいいわけです。

まあ、実際が、Jアラート鳴らしてミサイル攻撃されて助かるわけないんだし、首相官邸だけです助かるのは、シェルター付きだし。

そんなんだったら、全国、小学校単位で校庭地下に核シェルター造れよ、お得意の特区でさぁ。

そしたらゼネコンとか地元の土建ちゃん大喜びするよ。そういうの造ってから、Jアラートだろうが、一昨日来やがれ!!

それにしても、なんでアントンが平壌に行けて、アンビョンがお断りなんだろうか?

政府専用機で平壌空港へ行ったらいいのに、まさか日の丸の政府専用機撃ち落としたりはしないだろうし。

まあ、万景峰号だって新潟西港で足止めくらってたりしてるんだから、思い切って日本政府も外交で平和的解決を。

プーチンもああ言ってるんだしさ。トランプよりは少しはまともだと思うよ、アベ命って言うのが解せないけど(笑)。

【建国記念日】アントニオ猪木が闘魂注入訪朝
  


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2017年09月08日

【弘前】津軽三味線ライブハウス「山唄」が閉店していた。

【弘前】津軽三味線ライブハウス「山唄」が閉店していた。


「山唄」

初めて行った弘前はたしか22、3の頃だったけど、まさにデジャヴでしたね10年後その場に立ったときは。

その場とは「タクト」という楽器店。それが初めて行った弘前でのコンサートの打ち上げロック喫茶。名前は失念したが(^_^;)

で、昭和64年頃から平成8年まで毎年のように通っていたその津軽三味線ライブハウスの「山唄」。

まあ、エレキの行商です。で、僕が通った「山唄」は上の写真(ネットから借用)の時代だ。

なんでも、駅前の区画整理か何かで移転。新築したらしい。もちろんあの頃の弘前駅前はりんご市場で喧騒としていた。

弘前にはその「タクト」という楽器屋があったがほとんど取引にはならなかったため・・・・・

秋田、青森の道中の都合で宿を取った。そのおりの「山唄」だった。

そうですか、「山唄」閉店でしたか。時代なんでしょうね。まあ、僕が通った頃の「山唄」もお客は出張ビジネスマンがほとんどでしたね。

まあ、地元の人たちが常連ということはあまりなかったのでは。

で、弘前のあとは青森市の「ヤマハプランズ青森」で商って、青函フェリーポートへ急ぐ、午後10時頃には函館パコホテルにチェックイン。

早朝、函館名物朝市朝飯を食うのが楽しみだったなあ。

玉光堂函館店に開店を待って商いに。担当さん、たしか「秋田さん」とか言ったと思う。結構な商売をさせてもらった。

さて、函館を午後イチで後にすると一路札幌だ。あの頃は高速はなかったし途中で仮眠しながら札幌へは早朝着。

上得意だった「カワイ楽器時計台店」のオープンまで今頃なら、中島公園あたりを歩く。

もちろん朝飯は札幌駅のラーメン「賓龍」、まあ、ラーメン横丁は論外なんだが、札幌で一番上手い「サッポロ一番」ではないだろうか。

そんなわけで、そうですか、弘前の「山唄」、閉店しちゃいましたか・・・・・

そう言えば札幌ススキ野のライブハウス「パフ」も閉店しちゃったとか、移ろいゆく時代です。30年前です(笑)。



↑昭和47年ころ、渋谷「ジャンジャン」でよく聴きました・・・・・

【弘前】津軽三味線ライブハウス「山唄」が閉店していた。


  


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